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塵芥記

転職が決まり、社内での引き留めの呑みも終わってしばらくすると、送別会とも言わない純然たるただの呑みが、続くようになった。
上司が毎晩、顔は知っているが話したことはない社員を引き合わせてくれる。疲れていたり嫌だったりという理由では、極力人の誘いを断らないように決めているが、こうも連夜続くとさすがに、素面の体臭すら酒精を感じる気がし始める。それでも、毎夜赤坂見附の改札で上司の背中を見送り、それからゆっくり永田町まで歩く時間は、新卒からじっくりと育てた営業職の自分を見つめる「儀式」の様で、嫌ではなかった。
 
そんな毎夜を過ごしているとふと、しばらく書いていない文章が、自分勝手だが書きたくなる。

塵芥記(じんかいき)

 日々は、塵や芥のようなこまごまして、吹けば飛ぶような物事の中に成り立つ。いや、成り立つというよりも、日々もまた吹いて飛ぶように捉え所なく、過ぎていくだけだ。
書かなかったが私は、書けない日々の間に家に猫を迎え、転職を決め、友人と場末のサウナで自己啓発本を読む男を訝しんだり、沖縄でシーサーの写真を撮り溜めたり、家を買うか悩んだりしていた。
その一つずつは、一定の重みをまとった話題の様なのだがどうしても、言葉にするだけの熱が自分の中に見付けられない。それでいて未練がましく、題名だけ下書きに書き並べたり、最初の枕だけを時間をかけて捻り出したりした。頭の中に積もった塵芥は、言葉や余計な手を用いずとも既に、寄り集まって何か、捨てるに忍びない形になった。そうして累積した非公開のタイトル群をいつのまにか、「塵芥記」と呼ぶようになった。

上総一ノ宮「世界は未踏に溢れて」
いつか夕陽が目に染みる
「池袋のサウナ、蒸気の中ガリガリの男がギラギラした目で啓発本を読んでいた」
多摩湖畔「遠く近い日々の繰り返し」
世界は静かに回る
私や貴方は犀の角の様
「命は今日も毛まみれで喉を鳴らす」
夏の終わりの新年報 28‐29
「今夜貴方と話そう」

これらは、ある意味で私の日記とも言える。誰かと飲んだ記録である「今夜貴方と話そう」。多摩湖や上総一ノ宮を放浪した休日。恥ずかしいが私は、孤独で認められたい時に書き出す癖があり、いくつかの下書きは明らかに、心の揺らぎを映している。
文章を書くことは少しく、吞みすぎた末の、妙に冴えた一瞬の語らいの様だ。頭の中に大量に散らばった走り書きや殴り書きを集め、一つずつ納得がいくように組み合わせて初めて答えが出せる遠回りさから、どうしても曖昧な感情のまま、投稿のボタンを押すことができない。答えを出すに及ばないものを書くため始めた呑みの記録も、ゆっくり意味を見失って、止めてしまった。

昨年の今ごろから、副業としてデザインの仕事をやるようになった。最初に作ったものが一番いい、という話もあるがそんなのは稀なことで、一つのデザインの裏には大量のラフとボツがあることを知った。そして、その大量のボツの裏に更に、大量の思考と事例が存在する。結局私ごときの塵芥記とやらは、まだ少量の、文字通りのラフかボツに過ぎない。積んだ塵芥の数こそが、その先にある投稿物を作るのだ。

酒浸しの頭をゆっくりと回しながら、赤坂見附の地下、半蔵門のプラットフォームをひと間を縫って歩く。
酒の席で一緒になる人の多くは私にとっては大抵、初めましてから始まるが、一方的に知られていることも少なくなかった。どうやら想像と実際の乖離もあるようで、それでも好意的な言葉を言われるたび、彼らの中にあった像もまた、私が描いたラフなのだと気付く。
退職寸前のこの会社で、いくつの自分をきちんと、投稿まで仕上げただろうか。投稿どころか、下書きすら、数えるほどだったに違いない。後悔はしないまでも、なんとなくもっとうまいやり方は、あったのだろうと思う。これもまた次の章立てでの、題目の一つになるのだろう。

いよいよ来週から、有給消化に入る。
上司と飲み歩いた夜は、すぐに遠くなる。気怠いまま買ったポカリで、首筋を冷やしながら乗る有楽町線ホームへの長いエスカレーターは、もう二度と乗らないかもしれない。それでもこれも、私の人生のうちで丹精込めて作ったラフの一つとして残るだろう。捨てるに忍びない、塵芥の一つになるに、違いない。そう願っている。

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