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僕の死生観と科学とSCP

僕自身毎日のように死にたい死にたい言ってますが、やりたいことや夢は意外にもあるんです。
旅行にだって行きたいし、一人暮らししてみたいし、いろんな実験してみたいし、行きたい大学だってあるし、有機化学とか臨床心理学とかいろんな研究してみたいし、やりたいことたくさんあるんです。
それでも死にたいんです。いや、死ねるんです。
今楽になれるなら、今後の不明瞭な可能性なんて捨てられるんです。
~のために生きる!とかじゃなくて、どうせ生きるなら~したい、みたいな。そんな感じ。
でも死に方にはこだわりありますよ。まぁ別にそんな強いものじゃないんですけど。てかそんなこだわってらんねぇですよ。
僕何度か自殺に失敗してるんですが、その中でも一番危なかったのは銃火器の制作でした。
首吊りとか飛び降りとか飛び込みとかいろいろ失敗したので勢いと確実性を求めた結果でした。結局作ってないけど。
構造自体は簡単だし、てか何なら調べたら出てくるし、材料もホームセンターのもので十分だし、重要なのは弾丸の方だし、作ろうと思えば中学生でも作れる代物なんですよ。ほんとは歌舞伎町とか行って怪しい中国人とかに片っ端から声かけて買うのもアリだったんですけど。
まぁ、そんなお手軽に作れるものをなんで作るのをやめたか。
僕ね、科学が大好きなんです。その科学を同じように好きな人に迷惑はかけたくなかったんです。
この日本では銃なんて見慣れないから、ましてや中学生が自作してそれで自殺したってなると大騒ぎするじゃないですか。
その大騒ぎしてる人は何に対して騒ぐと思いますか?
僕が持っていた知識と技術です。
単純な物理現象と化学反応を利用した工作なのに、その簡単な技術をボッコボコに叩きまくるんです。
そうするとやはり科学は悪だ~とかほざくやつが出てきて日本の科学離れが加速するんです。
それだけは避けたかった。科学は僕が一人の時でも寂しさを埋めてくれたものでもあるから。科学は大好きだったから。
元首相暗殺の時にも思いましたよ。やっぱりな、って。
明らかに作った人が、技術を悪用した人が悪いのに、技術自体に罪はないのに、無知な人々は無辜な技術を悪とし、気が済むまでボッコボコに叩きまくります。
だから辞めました。でもやっぱり思うんですよね。僕がアメリカに住んでたら多分衝動的に遺書を書いて机の上に置き、銃口を口にくわえ先が脳幹を撃ち抜くようにして後ろの壁に脳髄まき散らしてただろうなって。
アイスバーグ博士のように。
最初に見つけるのは上司ではなく親でしょうけど。
SCP財団のtale読む度に死にたくなります。でもギアーズ博士のように僕の遺書を読んで悲しさを噛み締めてくれる人はいないから。なんて寂しい人なんだ僕は。
死を救済とする文化は昔っからありますよね。お経唱えれば極楽に行けるとか、教えを守ってれば天国が待ってるとか。
死後に救われたいっていう感情というか欲望自体はおかしくないんですよね。
でも死にたいって言ったら散々綺麗事言われて。もはや罵倒ですよね。
SCP-3519が蔓延してくれたら僕が死んでも皆死ぬから何ともないのに。
3519が何かっていうと、とある日に世界の終焉が来るからその前に自殺したほうがいいよな!っていう異常感染なんですけど、(SCP財団っていうフィクション作品の一つ)それが蔓延してくれたら僕も何の気兼ねなしに死ねるのになぁなんてあほなこと考えてます。リンク張っときますね。

奮闘する財団には申し訳ないけど一人の博士を除いてみんな死ぬわけだし。
It's a beautiful day.って言ってみたい気持ちはあるけどやっぱ死にたい。
あぁ、終着点がどこかわかんなくなっちゃった。オチが行方不明。
というわけで何が言いたいか、
「お前らみんなSCPにハマれ!!!!」

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