【読書の記録】チーム/堂場瞬一
チームを読んだことがある人にしか伝わりづらい感想と、
私が好きな人・考え方が伝わる文章。
とはいえ、要所から抜粋しているのでこれから作品を読もうと思っている人は読まない方がいいかもしれない。
チーム
三部作全てを最近読んだ。(無印の一作目は再読。便宜上以下でⅠと書く。)
内容は以下の通り。まとめ方は私の独断による。
Ⅰ 大学4年生、箱根駅伝関東学連チーム編
大学として箱根駅伝本線突破を逃した学生たちに与えられた箱根駅伝へのチャンス。寄せ集めのチームは何をモチベーションに戦うのか。
チームのキャプテンを任された浦、
「駅伝はただのタイムの総和」と考え協調性を欠いた絶対的エース山城
を中心に高校時代ぶりに浦とチームメイトになった門脇、オリンピアンを育てながらも箱根には縁がなかった吉池監督といった主要キャラクターの目を通して「チームとは何か」に迫る。
Ⅱ 実業団、山城引退編。
大学卒業後マラソン日本記録を樹立し、世界を舞台にするランナーに成長した山城。
しかし、初めて経験した大きな怪我、所属実業団チームタキタ解散の危機で引退の瀬戸際に追い込まれる。
「過去の自分よりいい記録で走ること」だけを目指して走り続けてきた山城は、それが叶わなくなるならばそのままレースの場から身を引こうとする。
引退レースへ、かつてのチームメイト浦たちが「チーム山城」を作ってサポートしようとする話。
Ⅲ 現役引退後、MGC、次世代育成編。
今回のチームの中心はオリンピックでメダル争いに絡めるのはこの人だけと期待される日向。
初マラソン日本2位、次いで日本歴代2位を樹立してポスト山城とも囁かれながらスランプに陥った次世代の星に手を差し伸べるチームを描く。
日向は浦が監督を務める城南大の出身。
特Sランクの選手の起爆剤になれるのは同じ特Sランクのランナーだけだと、長距離界から身を引いた山城に助けを求める浦たち。
一作目を読んだ時に、主人公は浦だと思っていたがシリーズを重ねて山城の方だなと感じるようになったので以下そちらの話をメインに。主に3作目に踏み込む。
山城の哲学
読了直後のツイートに補足。
1作目では山城の心境が深く語られないので、彼の尖った態度がただコミュニケーション能力を著しく欠損している人だからなのか判断がつかないところがあった。
しかし、シリーズを重ねるにつれて山城自身の考えを深く知ることができ、良い。
更に山城自身が色々な感情を知って成長していくのを見ることができる。最高。(!!!)
山城にとって「走る」とは何か。この答えは1作目で提示されて以降一貫しているように思われる。(といいつつ引用は2作目より)
家族も、高校も大学もタキタというチームも、自分にとっては「一時的に身を置いている場所」でしかない。
大事なのは走り続け、記録を出すだけ。そして出した記録はすぐに過去になっていい。自分には未来しかないと思っていた。ーⅡ p.315
・過去の自分を超える
・順位ではなく記録
・他人の存在は不要
天才ランナーゆえ、見据えるのは世界。よって常に自己ベストを更新してさえいれば他人に負けてもいいと思っているわけではないので、そこだけは注意。単に自分の視界にチームメイトを含めたその辺の他人が入ってこないのでいてもいなくても関係ない。この強気、大好きです。
「山城は、他の選手のことなんか何も考えていなかった。奴が考えていたのは、常に自分のことだ。自分のタイムしか頭になかった。そういう態度を傲慢だと言う人もいたよ」ーⅢ p. 192 (浦の山城評)
意志の強さが結果を導く。単純でいて一番大切なこと、ストイックさが提示されている。
本来、アスリートはそうあるべきだ。コーチの助言がなくてはやっていけないような選手は、そもそも伸びない。ーⅢ p. 67
選手を育てるのは、ひとえに選手本人の意志なのだ。「強くなりたい」と願う気持ちーエゴが強くない人間は、周りがどんなに盛り立てても勝てない。ーⅢ p.88
コーチ依頼を断った際の山城。速く走るためには何よりも自分が速くなりたいと思い続ける意志、そしてそれを成し遂げるための分析が必要だとしている。
誰に影響されるでもなく、常に速くなることを望み、それに必要な道筋を立てて行かなければならないのだ。
以上の山城なりのランニング哲学が通用しない相手のことはどうすることもできないと考えている。
更に、浦、妹といった人間とのやり取りの中で
・会話が嫌い
・コーチする自信がない
ことを自認していることが明かされる。
山城は走り、性格においても自身を分析する能力に長けている。しかしそれゆえに他人に干渉することを諦めてしまっていた。
山城の魅力
上記述べたのは特別ではないが実行するのが中々難しい考え方だ。
もちろん身体的ポテンシャル、秀でた分析能力が根底にあるのが山城のランナーとしての強みだ。加えて意志を貫く並外れた強さを持っているのが、“天才“ランナーたる所以なのだろう。
彼に対して様々な登場人物の口から「普通じゃない」「特別だ」といった言葉が飛び出す。
「常人には理解不可能ですかね」
「理解しようとする努力はしないといけないけど」ーⅢ p. 57
天才の魅力に惹きつけられ、真っ当な会話が成り立たないのにも関わらず手を差し伸べずにはいられない誰かがいる。
そして当然のようにその手を取る(と言うほど温厚な話ではないが、サポートを当然のように受け入れる)山城という男。
対して山城二世とも期待されながら良くも悪くも「普通の人間」であり、壁にぶち当たる日向。
「でもお前は、俺たちが見ていない世界に到達していない」
「ちょっとよく分かりません」日向も首を傾げる。「見ていない世界って…」
「アスリートだけじゃない。アーティストなんかもそうなんじゃないか?普通の人が見えない、感知できない世界に足を踏み入れて、そこで手に入れたものを、俺たちが分かりやすい形で絵にしたり音楽にしたり…彼らは、そういう『翻訳』作業で作品を生み出すんだろうけど、
アスリートの場合はそんなことをする必要はない。ひたすら自分の記録と向き合えばいいんだ」ーⅢ p. 165(浦と日向)
山城という一人のアスリート像から普遍的な天才観へ拡張した浦の言葉が気に入った。
天才という言葉は使われていないし、適切なのかわからないが、「普通の人」とは違う卓越したアスリート・アーティストなどを指すのにここでは天才という言葉を使わせてもらいたい。
これは持論になってしまうが天才が、常人には辿り着けないところへ至るために必要な最後の1ピースは「没頭」なのではないかと思っている。
才能に加えて、昼夜そのことしか考えずにいられないほど没頭して取り組むことがある。没頭しているからこそ、強い意志をぶらさずに何かを成し遂げる。
天才が持っているその秘めた熱量が眩しく、羨ましく、尊いと感じる。
最後は根性だ。(中略)同じ実力だったら、最後は気持ちが強い人間が勝つんだ。ーⅢ p.296(山城から日向へ)
いろいろなものを捨ててきたからこそ、気持ちでも絶対に負けないという自負があったのだろう。
山城の実力、意志に裏打ちされた自信に惹きつけられてしまう。
変わるのは誰か
3部作を経て強く印象に残ったのは山城の成長物語としての側面。
チーム1作目、主人公浦がキャプテンとして奮闘する姿を主人公と捉えて読んでも、実は変わっているのは山城だ。
浦も色々なことを学びスキルアップしているのだろうが、人格に変化が表れるシーンはあまり出てこない(出てこなかったと思っている)。
対して箱根9区を走り終え、10区浦のゴールを迎えるため、道を急ぐ際。チームメイトにからかわれる山城の姿は、明らかに「チーム」を軽視していた物語の前半とは異なる。
「最後を見届けるんだ」
「どうして」
山城は苛立ちを拳にこめ、自分の腿を叩いた。青木の野郎、何で分からない?いや、本当は分かってるんじゃないか。にやついているのがその証拠だ。何としても俺の口から言わせたいらしい。ーⅠ p.357
最後には自分達がチームになったと認めることに。
「俺たちはチームだから」ーⅠ p.420(山城)
2作目、所属実業団解散の危機に面して山城がチーム観を語ったシーン。
先に引用したⅡ 315ページ『チームとは一時的に身を置いている場所にすぎない』の後に、大学四年時の経験を例外として語っている。
そんな自分が、たった一つだけ引っかかってるのが、学連選抜というチームだった。自分の経験にーまったく生きてはいない。しかし何かが引っかかるのだ。それが何なのかは、自分でも分からないのだが、ーⅡ p. 314(山城)
1作目ラストで浦たちをチームメイトとして認めた割に、まだそれがどんな存在であるのか分かっていない。この未完成な姿がまたたまらない。
1作目で初めて他人を慮ることを覚えた山城だったが、浦が監督する学連チームの選手を見て「彼は5区だな」、タキタ監督の言動に対し『真意を知りたい。例えそれが自分に関係ないことだとしても』と発言するなど、自分以外を気にかける姿が現れるようになる。
これも「チーム」を経験して得た変化なのだろう。
「引退する」と宣言して、そのまま身を引くのが一番簡単だ。面倒臭い記者会見ー山城はこれが大嫌いだったーはやらない。チームを通じて、ただ発表文を流してもらえばいい。その後、しばらくアメリカにでも身を隠しておけば、マスコミに追われることもないだろう。ーⅡ P.25
これなら、個人的な連絡先は一切分からないのだ。(中略)
自分のことは自分で守る。ーⅡ p.95
極力目立つことを避けてきた山城。頼る人がいない、人と関わるのが面倒だというのを認めているからこその発言から孤高な山城に潜む弱さ、脆さのような部分が垣間見える。
更にこちら。
ただ走るだけ。走れなくなったらその先のことはわからないー結局自分も立派な陸上馬鹿じゃないか、と山城は頬を歪めるように笑った。ーⅡ p.380
鈍感というか、走るという行為以外のこと、様々な感情を知らなかった山城が自分を笑うようになるなんて。ランナー山城を超えて人間山城が明らかになっていき、愛らしい。
これらは単に1作目では語られなかったのに加え、山城自身が変わる、また気づいていなかった自分に気づくという成長による効果なのだろう。
3作目、山城が主人公に見えるのは変わらないが、「スランプに陥った日向を変える」という変化対象が明確な本作。
確固たるランニング哲学を持つ山城のコーチングがかなり好きだった。
「弱点があれば自分で気づいて修正する。俺はその手助けをするだけだ」ーⅢ p. 244(山城から日向へ)
変わるのは自分。自分が変わろうとしないと意味がない。
蛇足になるが、別作品で私が好きなセリフ(化物語忍野メメ)と通ずるところがある。
「助ける?そりゃ無理だ。
君が勝手に一人で助かるだけだよ」
ポテンシャルで走り続けてきて執着がなかった日向だが、山城のもとで鍛えられ何よりも「勝ちたい」という強い気持ちを獲得する。
真の“特Sランナー“となるための最後の1ピースが嵌って物語は終わる。
「変わるのは自分」というスポーツ小説の側面に加えて「人に影響される」ヒューマンドラマの側面が存分に描かれているのが、この作品が派生小説ではなく『チーム』の3作目に位置付けられている理由で、また優れたところなのだろう。
駅伝、マラソンに興味がない人でも「いいな」と思うところを見つけられると思う。
(なんかすごい烏滸がましい書き方になってしまったがうまい言葉が見つからないから許して)
2作目よりも更に山城が変化し、成長した姿にグッとくる。
「勝ちたいです」日向は馬鹿みたいに繰り返した。
「分かった。俺が勝たせてやる」ーⅢ P.318
一生走ることから離れられないなら、自分が走るこ以外にも、やれることがあるのかもしれない。
教わったのは俺の方だぞ、日向。ー同上
「襷はあいつに渡した。いずれあいつも、誰かに襷を渡す。それが、俺たちが生きている世界なんだ」ーⅢ P. 352
終わりに
駅伝が大好きだからと読んできたチーム三部作。
見つけた「好き」は、スポーツに限らない普遍的な内容なのだなと思った。
私は、これだけは誰にも負けないくらい好きといえる対象を持たない。
こういう熱意を持って、何かを掴んで表現してくれる人が好きなんです。
ランナーでも、アーティストでも、もっと違うものでも同じだと思う。
こういう意味で好きになった本はこれまでnoteに書いたものだと『風が強く吹いている』、『階段途中のビッグ・ノイズ』、『天地明察』かな。
ちなみに、誰かの熱に触れるのが好きという意味でいくと天才たちに魅せられて熱狂している人たちのことも好きです。オタク好き。
多分年内最後の読書記録。言葉選びが難しかった。
内容がまとまらないままリリースしたが、お読みいただきありがとうございました。
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