#04 六本木 美術館デートの相性 《森美術館》
『今日は、遅くまでありがとうございました。
もしよければ、現代アートの企画展が森美術館で開催されているので、一緒に行きませんか?』
会社の後輩に誘われて参加した飲み会で出会った、野田さんからのメッセージだ。
かつて一緒に合コンに行ったり、夜遊びをしていた煌びやかな女友達も一人、また一人と卒業していった。
三十歳目前で駆け込むように結婚ゲートに滑り込み、普通の女になっていく後ろ姿を何人見送ってきただろうか。
独身時代は、たくさんお酒を飲んで思いのままに毒を吐きまくり、世間体を気にすることなく自分を貫いていたあの子も、結婚が決まった途端に無難におさまる。
明るい髪色も黒に変わり、オーガニックを重視するナチュラル系にシフトチェンジ。
急にそれまで無縁だった家庭、妊活、節約術を口を揃えて語り始める。
その内容は、コピーされた定型文かのようにみんな同じだ。
かつての姿は、一体どこへ?
「先輩、今週の金曜日の夜って空いてますか?商社マンと合コン予定なんです。よかったら一緒にどうですか?」
後輩のまりちゃんが、私の席の背後に周りに聞こえないような小さな声で話しかけてきてくれた。
この前、ランチの時に脱退していく遊び仲間の話を自虐的に面白おかしく話したので、後輩なりに気を使ってくれたのかもしれない。
最近は、飲みのお誘いもなくなっていたのでありがたいお誘いだ。
即答で「行く!」と返答した。
ここは、先輩の威厳を保つためにも、忙しいアピールをした方がいいのかもしれなかったが、前のめりに即答してしまった。
そんな一芝居を打つことすら余裕がないほどに飢えていたのかもしれない。
◇
金曜日の夜。
スーツに黒縁メガネの大人しい雰囲気の男性が私の目の前にいる。
これが冒頭で登場したメッセージをくれた野田さんだ。
「週末は、何してるんですか?」
会話のきっかけとなる王道の質問を投げかけられた。
男性ウケがいい球を返すべきかと一瞬頭をよぎるも、答えが見つからず正直に答えた。
「私は、美術館に行くことが好きです。一人でも行ったりしますよ。美術館の後に美味しいご飯を食べに行くのが最高に幸せですね。」
「美術ってどんな美術?僕も興味あるんですよね。アート。」
美術をアートを表現するタイプか。
美術をアートと表現するあたりに、若干の違和感を感じはしたが、美術館の話題に興味を示してくれたのが嬉しくて、その後も話が盛り上がった。
「僕は、アートをコレクトするのが好きなんですよね。ベアブリックっていうクマのフィギア知ってる?」
彼は、スマーホフォンを取り出して彼のコレクションの写真を見せてくれた。
アートギャラリーのように片付いたリビングの壁に、綺麗に展示された二十体以上あると思われるクマのフィギア。
アーティストや有名映画やファッションブランドとコラボしたいかにも高そうなクマのフィギアがぎっしりと等間隔に並んでいた。
その他にも、一枚数十万円もしそうなストリート系のフォトポスターの数々が額縁に入れて飾られていた。
目の前の黒縁メガネの大人しそうな雰囲気からは、イメージがリンクしないほどに成金的なギラギラ感が部屋の写真から伝わってきた。
不景気が続くこのご時世、バブルのにおいをまとうこの人は絶滅危惧種かもしれない。
嫌いじゃない。
むしろそのギャップに興味津々。
もっと野田さんのことを知りたいとすら思った。
恋愛感情というよりは、完全に好奇心だ。
「今、六本木ヒルズの森美術館で僕の好きな現代アーティストの企画展がやってるんだよね。すごく行きたいんだけど、一人で美術館に行く勇気がなくて。」
「キター。」
心の中でガッツポーズだ。
有名ラグジュアリーファッションブランドともコラボしている世界的現代アーティストの企画展がやっているのは、私も勿論チェック済みである。
このように野田さん出会い、初めてのデートが決まったのであった。
◇
そして、今私は六本木デートのベタな待ち合わせ場所である、黒い蜘蛛のオブジェの下にいる。
私は密かに、この蜘蛛は六本木ヒルズの守り神だと思っている。
「お待たせ。」
野田さんがやってきた。
スマートフォンの画面から顔を上げると、スーツに黒縁メガネの野田さんではなくて、胸に大きな虎の顔が描かれたトレーナーを着ているギラギラモードの野田さんがそこにいた。
「野田さん!」
胸に描かれた虎は、大きな声で「KENZO」と叫びながらこちらを威嚇しているようだった。
今流行りのストリートカジュアル系の装いだ。
これが、彼のアート鑑賞のための戦闘服なのだろう。
やはり、野田さん興味深い。
今日の私のデート服は、スキニーパンツに革ジャン、Acne Studiosの大きなマフラーを首に巻いている。
六本木でデートといったら思いっきり雌を意識してヒールにワンピースとガーリーにキメた方がいいのではと思うかもしれないが、こういう時こそあえてシンプルな装いが良いものだ。
さっそく森美術館のチケット売り場へと向かい、チケットを購入し五十三階にある森美術館を目指し、エレベーターに乗り込んだ。
森美術館は、常設展はなく現在進行形のアートを発信する日本一空に近い美術館だ。
アジアから欧米、アフリカに至るまで世界各国の現代アートを紹介している。
同じく六本木にあるサントリー美術館や新国立美術館とを結んだ「六本木アート・トライアングル」や「六本木アートナイト」などのイベントも開催し、六本木の街をあげて文化発信活動も行なっている。
企画展の入り口で、係員にチケットを見せる。薄暗い静かな空間へと足を踏み入れた途端に急にあることに気がつく。
男性と二人きりで美術館に行くのは、初めてだ。
(どうやって、鑑賞しよう…。)
いつもは、一人か気心知れた仲間とそれぞれのタイミングでくっついたり離れたりしながら、自由に鑑賞している。
どうやって鑑賞すればいいの?
正解は何?
企画展の会場にいる他のお客さんの鑑賞の仕方や関係性を観察する。
日本の美術館は、静かなので話す時は小さな声でも声が届く範囲での距離感を保つことになる。
自然に距離を縮めることができるので、見方によっては知的ながらロマンチックな空間だ。
二十代前半のカップルは、二人の間ゼロ距離で一作品ごとに同じペースに足並みをそろえて、ニコニコと微笑みながら感想を語りながら一緒に鑑賞している。
野田さんと私の関係性では、あの距離感は却下。
次に目撃したのは、六十代ぐらいの熟年夫婦。
旦那さんの方が鑑賞ペースが早いたも先にいきつつも、時おり後ろにいる奥さんのペースを気遣い、セクションごとにスピードの調整をしながら、お互いのペースで鑑賞している。熟年夫婦ならではの阿吽の呼吸さえ感じられる。
付き合ってもいない、初めてのデートという私と野田さんに合いそうなモデルケースを瞬時に見つけることができないまま、初めの作品の前まで来てしまった。
「この作品、雑誌でしか見たことなかったけど、実物は想像以上に大きいな。迫力ありますね。今の時代、雑誌やネットで簡単に作品を見れるから、その作品を見た気になって知ったかぶりしてしまうことって多いですけど、実物を鑑賞して作品を体感するっていうこの感覚って大事ですね。」
野田さんの飾らない純粋な感想に心打たれた。どのように鑑賞するかに気をとられていた自分が恥ずかしい。
「現代アートって、過去の作品とは違い、アーティストが生きているから、アーティストがその作品を作った想いや社会背景を語ってくれて、作品への理解をより深めることができるような気がして楽しいです。」
私も飾ることなく、率直な想いを言葉にしていた。
現代アートが今を生きる人達のカルチャーとなり、フィギアや洋服や鞄などに形を変えて、普段美術に関心がない人達の心をつかんでいる現象を肌で感じ、アートの価値を再発見した。
誰かと一緒に美術館に行くのは、新しい発見や価値観と出会えるから楽しい。
適度な距離感を保ちながら、野田さんは薀蓄を押し付けてくるでもなく、知識をひけ散らすことなく、冗談を言ったり、作品の感想や感動を言葉にして伝えてくれた。自然に足並みも揃い、展示会の出口を後にする時には、私達の距離感も縮まっていた。
『美術館を一緒に回れる相性』これって大事かもしれない。
◇
「わぁ~。心うるおったぁ。」
心が潤ったら、お腹も潤さなければならない。
「お腹すいたね。」
「俺のオススメのお店があるから、そこでもいいかな。」
野田さんは、迷いなく次の目的地へと私を誘導してくれた。
男性がお店を選んでくれるなんて久しぶり。
アート好きオシャレ男子だから、とっておきのお店に連れて行ってくれるのだろうと、期待が膨らむ。
六本木ヒルズを後にして、西麻布方向に坂を下った。
「ここなんだ。」
到着したのは、赤いのれんが掛けられた老舗感のある店構え。
正直、期待していたお店のイメージの斜め45度をいく変化球だ。
「ここのラーメンは、本当に美味しいんだ。僕のお気に入りだから是非食べて欲しくて。」
暖簾をくぐり、店内に入ると数人の男性客がカウンター席にで黙々と麺をすすっている。私達は、テーブル席に座る。
野田さんのお勧めのとんこつラーメンを注文。
いつもの習慣で食べる前に写真を一枚撮影してSNSに投稿。
#着飾って美味しい美術館巡り
スマートフォンから蓮華に持ち替えて、まずは、スープを一口。
こってり味でさっぱり感のある醤油仕立てのとんこつ味。
「おいしっ。」
まさか、美術館デートの後に西麻布でラーメンを食べるとは想定外に色気のないデート。野田さんの中で私はラーメン一杯程度の女と認定されてしまったのかと不安がよぎる
ラーメン一杯なら15分もあれば食べ終わる。
早く食べて、早く帰りたいのかな?
それとも、ラーメンなら会話しなくてもいいし、私とは特に話をしたくもないって思われてる?
「この後、まだお時間ありますか?」
ラーメンの汁をすすり終え、丼を机に置いた時に、横並びに座る野田さんが私の顔を覗き込む。
「よかったら、一杯お酒でも飲みに行きませんか?お腹もいっぱいになったことですし。近くにいい感じのバーがあるんです。」
次があるのかと、一安心。
断る理由はない。
こうして、心もお腹も潤った私たちは、夜の六本木の街へ喉を潤しに行くことになった。
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