リンクスの断片ハイスクールギャンビット 転校生リンクス 3
79「あれは何か厄介事だぞ!」
イックスに帰国した僕らだけれど、日常生活に戻るにはまだ相当片付けなければならない仕事が山積みだ。まずはリキュアさんやルンナさんの住居をなんとかしなければならないし、もちろん情報省への報告もある。それから僕が本当に学校へ行くとしたら、そのための手続きが必要だ。
テレマコスさんがたった二週間しかイックスに滞在しないということは、僕自身の住むところも考えないといけない。できれば僕はみんなと一緒に住みたいので、セイバーさんの事務所が良いのだけれど、セイバーさんが迷惑かもしれない。とにかくいろいろやることが多すぎる。
翌朝、テレマコスさんとタルトさん以外のメンバーは事務所に集まった。タルトさんは帝国の諜報組織、ダイ・アダールのメンバーということもあって、こちらの支部に挨拶に行かなければならないらしい。テレマコスさんは大学のほうで挨拶回りだそうだ。だから事務所にいるのは残りのメンバーになる。
僕らは早速、探偵業再開のための準備…つまり大掃除をはじめた。昨夜簡単には掃除したけれど、あの程度じゃルンナさんは全く納得してくれない。
「全部雑巾掛けよ!これじゃハウスダストでお客さんが逃げちゃうわ!」
「ま、まあたしかに…」
ルンナさんの号令で僕らは大急ぎで掃除を始める。床から壁、窓ガラス、机の上、本棚に至るまで皆で掃き掃除と雑巾がけだ。セイバーさんの事務所は鋼鉄精霊サイズなのでどうしても大きいから掃除も大変だ。
少し遅れてきたセミーノフさんも、ルンナさんに雑巾を押し付けられて黙々と掃除に勤しんでいる。リキュアさんは食器を洗いながら笑って僕らに言った。
「ルンナはパーティーの首根っこをしっかり掴んでいるのだな」
「ははは、まあこの事務所のお母さんだぜ」
「なによセミーノフ、まるで私がオバちゃんみたいな言い方じゃない!」
たしかにルンナさんがしっかり僕らの生活を管理してくれるから、セイバーさんやセミーノフさんは安心して外で暴れられる。事務所の維持だって経理だってルンナさん抜きでは回らない。パーティーのお母さん役というのは正しいかもしれない。もっともお母さんと喩えるのは、ルンナさんにとっては心外らしい…老けているみたいで嫌なのだろう。
午前中いっぱいかかって、ようやく事務所の掃除が一段落する。もちろんまだ探偵業の再開にはしなければならないことが多いけれど、とりあえずはこれで居場所だけは確保できた。僕が全員分のインスタントコーヒーを入れると、みんなはホッとした表情でソファーやスツールに腰掛けて休憩する。
「この壁紙も張り替えたいよな」
「そうねぇ、もうかなり古いから」
セミーノフさんがそんな事をいうとルンナさんも頷く。するとセイバーさんは苦笑しながらルンナさんに注文した。
「探偵事務所にふさわしいシックなやつにしてくれよ」
「ええっ⁉かわいいやつにしようと思ったのに」
「それが良いな。この事務所はビジネス的すぎると思うぞ、セイバー」
「…むむむっ」
ルンナさんの意見にリキュアさんまで同調するので、セイバーさんは頭を抱えている。女子二人のパワーはセイバーさんの予想を遥かに超えている。そんなセイバーさんにセミーノフさんは、自分のことは棚に上げて笑っている。
ところがその時だった。僕は事務所の前の廊下に気配を感じた。人が数名いる…みんな武装して、いつでもこの部屋に踏み込めるように準備を整えている。
僕はわずかに身を動かしてそばにあるサイバーソードを手にした。僕の表情が急に変わったのを見て、セイバーさんは驚く。
「リンクス?どうした」
「誰か来ています」
「お客かしら?」
「まだ看板は出していないはずだ。客ではないな」
セイバーさんもセミーノフさんも、僕の動きに呼応していつでも戦えるように身構える。
みんなは突然の銃撃に備えて、机や物陰に隠れる。僕は扉の脇に近づき、身を隠しながらドアを内側に開けた。もちろん僕自身は扉の裏側に隠れることになる。
「‼」
扉が突然開いたのを見て、廊下にいる男たちは驚いた。そしてそれ以上に驚いたのは、奴らの位置からは僕らの姿は見えないことだ。ついさっきまでにこやかに歓談している声がしていたのだから、誰もいない部屋を見て奴らはびっくりしたに違いない。
奴らは部屋に飛び込んでくる…だけどそれは網の中に飛び込む魚のようなものだった。
「ずいぶん乱暴なお客さんだな」
「あっ!まさかっ!」
周囲の物陰から武装した僕らが姿を表すと、包囲された奴らはようやく状況を悟る。僕らはみんな重武装だし、神将のリキュアさんもいる…そして僕は出口に立って奴らの逃げ道を塞いでいる。
「さすがみんな。腕を上げたようだね」
包囲された奴らの真ん中に一人の高級士官らしい人がいる。恰幅がよくて額が広い。目は優しそうだけど、鋭さが潜んでいる…
士官が片手を上げると、男たちは頷いて武器をおろした。ゲームは終わったのだ。どうやら僕らは試されていたらしい。
「またキンバリー大佐のイタズラか…相変わらずだな」
セイバーさんは立ち上がり、銃をおろした。すると士官は破顔して頷く。
「君たちが帰ったと聞いてね、早く会いたかったんだよ」
「それにしちゃ乱暴な訪問だぞ。こちらにはイックスが初めての人もいるのに…」
「ははは、驚かせてすまなかった。帝国神将リキュア・ヘカトンケイル殿…」
そう言って士官は笑顔でリキュアさんに片手を差し出す。ベルサリウス将軍もそうだけど、この士官も人を引き付ける笑顔を持っている…それは恐ろしい武器だ。今の僕にはその事がよく分かる。それにまだ紹介もしていないのにリキュアさんのことをちゃんと把握している。空港から情報があったのだろう。
間違いなかった。この人は情報省の事務次官、そして僕らの協力者キンバリー大佐だった。わざわざ僕らに会うために、事務所まで来てくれたのだ。ちょっと乱暴な出迎えだけど、この人なりのイタズラなのだろう。
キンバリー大佐の笑顔を見て、なぜが僕はようやくイックスに帰ってきたという実感が湧き上がってきた。
* * *
「そうか…帝国とはいずれ干戈を交えないといけなくなるのか…」
「ああ…いずれは必ず。残念だが…」
セイバーさんの簡単な報告に、キンバリー大佐は残念そうにため息をつく。
キンバリー大佐を出迎えた僕らは、掃除したての事務所でこの一年の帝国での調査結果を報告した。もちろん詳細な資料はセイバーさんが渡したファイルに収められている。しかしファイルには書けないような漠然としたことや、僕を含めたみんなが肌で感じた印象などを大佐は直に聞きたがったのだ。だからわざわざ僕らの事務所にまで来てくれたのだろう。
僕らの報告の中で何より大佐が暗い顔をしたのは、やはり帝国の最終目的だろう…サクロニアだけでなく帝国自身も生贄に、世界の破壊を防ぐ…世界を救うという名目はともかく、生贄にされる僕らにとってはたまったものじゃない。もちろん今すぐにというわけじゃないのはわかっているけれど、あのまま帝国の考えが変わらないと、いずれ絶滅戦争が起きてしまう。
「二つの次元が融合しつつあるという事実は我々も理解しているが…」
「ああ」
ため息をつくキンバリー大佐に、セイバーさんは頷く。帝国の主張が真実かどうかはともかく、妥協の余地のない目的には僕らは困惑するしかないからだ。
とはいえ、それは今というわけではない。何千年も先の話かもしれないし、もっといい方法が見つかれば帝国だって考えを改めるかもしれない。それに…
「まあとにかく、まだまだわからないことだらけだが、今回の調査旅行はこんな感じだ」
「そうか、ご苦労だった。収穫はあったというべきだな」
「ああ。すくなくとも多少の人脈は掴んだと思う」
そう言ってセイバーさんは僕らを見回し頷いた。間違いない…帝国への旅で一番大きな収穫は、いろいろな人と出会い、直接語り合えたことだ。護民官さんやベルサリウス将軍、大教母テアドラ様、敵のタラントラスだって知り合いだ。彼らとの出会いは僕らにとって貴重な武器になる。セイバーさんが前に言った通り、世界を作っているのは人だからだ。だからきっと…
キンバリー大佐や側近といろいろ話していると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
「次官、そろそろお時間です」
「そうか、戻らねばならんな」
大佐は名残惜しそうに頷くと、セイバーさんやセミーノフさんの手を取る。
「君たちが戻ってきてくれたから、また忙しくなるな」
「何だよ大佐、まるで俺達がトラブルを持ち込むみたいじゃないか」
「ははは、もちろんそうじゃないが、隠れているトラブルを暴くのはお得意だろう?」
「ははは」
セミーノフさんはセイバーさんやルンナさんと顔を見合わせて笑う。もちろん大佐の言葉は冗談だけど、僕らみたいな遊撃隊が隠れた陰謀を見つけ出すのはたしかだ。
大佐はその後、ふと僕を見てこんな事を言った。
「そういえばリンクスくん、君もしばらくイックスにいるのだろう?」
話を突然振られた僕は、少し恥ずかしくて頷くことしかできない。セミーノフさんやセイバーさんと違って僕は話すのが得意じゃないから、こういうときにうまく受け答えできないのだ。
戸惑いながら頷いた僕に、しかしキンバリー大佐は優しい目をして言った。
「どうだね、せっかくだから学校にいってはどうだろう?良ければ紹介するが…」
僕はますます面食らう。テレマコスさんと同じことをキンバリー大佐が言い出すとは思わなかったからだ。
セイバーさんはキンバリー大佐の提案にぎょっとした表情をする。
「大佐、まあ俺達もその件については相談していたところだ。リンクスには少しでもこの年代にふさわしい経験をしてほしいからな」
「なるほど、それなら学校はもってこいだな」
セイバーさんはセミーノフさんと顔を見合わす。その表情を見れば、セイバーさんがキンバリー大佐の提案を鵜呑みにしていないことがよくわかる。
「ま、まあ俺達もつてがあるから、まずはそっちをあたってからにする。もしかすると紹介をおねがいするかもしれないが、そのときは頼む」
「お安い御用だ」
大佐はちょっとイタズラっ子のように笑うと、僕の頭をなでた。大佐の大きな手のひらから伝わってくるのは、悪意のない、だけど新しいイタズラを思いついた少年のような感情だった。
* * *
「どうするセイバー、あれ…」
「ダメに決まってる!どう見てもあれは何か厄介事だぞ!」
セイバーさんはセミーノフさんに噛みつくように言う。セミーノフさんも笑いながら頷いた。
「だよな、キンバリーのおっさんが下心無しであんな事言うわけ無い」
情報省の人たちが帰ったあと、僕らは大騒ぎとなった。偶然かもしれないけれど、テレマコスさんの構想が情報省にバレてしまったのだ。たとえあの申し出が好意百%だとしても、なにか下心があると感じてしまう。
「でも大佐のせっかくの親切じゃない?」
「まさか、あのキンバリーだぞ!絶対なにか狙いがある」
セイバーさんは警戒心もあらわにルンナさんに説明する。傍らのリキュアさんは苦笑を隠さない。
「さてはセイバー、今まであの男に、散々こき使われてきたのだな」
「まあ言ってしまえばそうだ。腐れ縁というやつだが…」
そういって肩を竦めるセイバーさんにリキュアさんは笑う。が、セイバーさんは笑い事ではないというように言った。
「とはいえリンクスの学校生活については、正直変なことになってほしくないのだ」
「変なことって?」
セイバーさんはすると頭をかきながら答える。
「例えば暴走族の抗争に巻き込まれるとか、番長に絡まれるとかだな…そんなことになれば、勉強どころじゃなくなるぞ」
「ちょっと待ったセイバー、そりゃまるで大昔の少年マンガの話だぜ!」
大げさに言うセイバーさんにセミーノフさんはツッコミをいれる。僕にはセミーノフさんの言っている意味がわからないのでコメントできない。少年マンガっていうのは何だろう…
困惑する僕をよそに、セミーノフさんとセイバーさんは話を進めている。
「とにかくセミーノフ、リンクスにちゃんと普通の学園生活を体験させないと、テレマコスに顔向けできんぞ」
「まあそりゃそうだよな。といっても喧嘩とか部活とか友達とか恋とか、学園生活の華じゃん。普通ならみんな経験するんじゃ…」
「いやまあ確かにそうなのだが…」
どうも僕の意識に触れる二人のイメージは結構差がある。セイバーさんの懐いているイメージに比べてセミーノフさんの思い浮かべる学園生活は賑やかだ。学校というのは勉強をするところだと聞いていたけれど、なんだか違うみたいだ。まるで勉強はおまけでそれ以外がほとんどのように感じる。僕はますます学校というものがわからなくなる。こういう一般生活のことになると、サイコヘッドギアも全然知らないらしい。
「セイバー、ところでお前の言う『あて』というのは?」
リキュアさんは笑いながらセイバーさんに聞く。さっきセイバーさんはキンバリー大佐に向かって「あてがあるから」と言って切り抜けていたけれど、実際にあてがあるのだろうか、という意味だろう。
するとセイバーさんは少し苦笑して答える。
「サンドラーじいさんに会うか」
「あ、いいわね。あの人変わっているけど頼りになるわ。リキュアさんびっくりしちゃうかもしれないけど…」
「もしかして変人なのか?」
「変人じゃないけど、センスは変なのよね…」
「すごく控えめな表現だよなそれも」
ルンナさんはセイバーさんのアイデアに賛成しながら、そんな事を言う。サンドラーおじいさん…僕らがお世話になっているサンドマン族の長老さんだ。製薬会社の会長さんで大金持ちだけど、ちょっと変わったセンスの持ち主で、面白い邸宅に住んでいる。赤や黄色の不思議な陶器の人形とか、独特のデザインの庭園とか、本当に良くわからない感覚の邸宅だ。だから観光名所になっている。
とにかくサンドラーさんなら、僕の学校の件だってなにかいいアイデアがあるかもしれない。いや、そもそも帝国から帰還したことだって、早くサンドラーさんに報告したいのだ。
「まあとにかく皆で明日にでも伺おう。リキュアさんには少し驚かれるかもしれないが…」
「そうなのか?ルンナ…」
「うふふ、あたしも最初ビックリしたもの。でもいい人よ」
サンドマン族の姿が想像もできないリキュアさんは首を何度もかしげる。僕は驚くリキュアさんの姿が楽しみで、少し笑った。
(80「じゃあリンクスは俺の後輩に」に続く)
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