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大学受験でメンがヘラった話

ご挨拶

こんにちは、秒針です。最近涼しくなってきましたね。
9月の第1週の土日、第2週の土日が来るたびに思うことがあります。

高校の文化祭の時期だなぁ、と。

文化祭といわれて思い出すものは、人によってさまざまなのではないでしょうか。ずらりと並んだカラフルな垂れ幕、普段と違う装いの煌びやかな仲間たち、手作り感溢れる出店など。

私が思い出すのは古典の先生のこの言葉です。

「お前ら、遊べるのは文化祭までだからな」

というわけで、私の中ではこの時期からが受験勉強シーズン。
今回は私の受験──と言っても大学受験──について書いていこうと思います。

高校について

私の母校は自由闊達な風土かつ進学実績をかなり重視していて教育熱心なところだったので、生徒たちははしゃぐ時間とまじめに勉強する時間のメリハリをよくつけていました。

一年生のときから模試があって、結果が出たら学年全員が決まって視聴覚室に集められました。

「今回の数学、大問7の⑴がA高校よりも上、H高校よりも下の辺りでしたね。努力が足りない」
「あなたたち、現代文はちゃんと勉強しなくても獲れると思ってない?舐めないでね」

こういった先生方の有難いお言葉と問題の解説を聞きながら、みんなはこそこそ単語帳を見たり寝たりしている学校でした。自由闊達。だけど勉強にはうるさい

そんな母校の文化祭は、他の高校より少しだけ時期が早かったことをよく覚えています。

時期は毎年、9月の最初の土日でした。

したがって、夏休み中の準備は命懸けです。
お化け屋敷や食品店よりも演劇やダンスを出し物にするクラスが全体を占めていた学校なので、みんな必死で大道具を仕上げたり動きの確認を行ったりして練習を重ねます。

遊ぶときは遊ぶ、かと言って勉強はサボらない。それが私の高校の特長だったので文化祭だって生徒たちは手を抜きません。

本題からは逸れるので割愛しますが、高校3年のときに上演した海外ポップスメドレーも私はなかなか楽しめました。照明担当でしたが。

さて、高校とその文化祭についてざっくりと説明しましたので、私と受験勉強の熱いバトルについて書き綴っていこうと思います。

怠惰の2年間

ここまで散々言っておきながら、私は高校1〜2年生の頃、全く勉強していませんでした。

自由闊達という単語を先ほどから使っていましたが、私はその自由さの中で勉強をサボることを選んでしまったのです。

なぜか?

それを説明するのは一言で済みます。

高校受験で燃え尽きたのです。

高校に入学して一安心した私は、1年生の途中までは頑張っていましたが途中から諦めてしまいああ、私の脳が最も教科書の文字を吸収する時期はもう過ぎたんだなとか思っていました。怠慢ですね。

私は小〜中学生まではしっかり毎日勉強をして過ごしていました。勉強していないと不安になるくらいの子供でした。図らずとも中学で学年首位をキープしていたような私は、高校受験が終わった途端にどっと力が抜けてしまったのです。

要するに、勉強に不向きな脳みそを無理やり勉強に向かわせていたのかもしれません。

さて、高校1〜2年の私に話を戻しまして、国語はともかく理系科目などは300人以上いる学年の中で288位、英語の学年順位は真ん中より少し下くらい…というのを維持していました。
社会科目に関しては平均点に届かないレベルでした。

焦り始める

そりゃあもう、焦りますよね。

高校3年の4月。今まで受け身で生きてきたので、将来特にやりたいこともありません。目指すものが何もない。しかし、高校は大学受験が前提の進学校。そうなると言葉では言い表せないほど大変です。

私は自分の進路について考え始めます。自分の人生を振り返ります。

小学生時代、『方丈記』『走れメロス』が好きだったこと、『平家物語』が好きだったこと、島崎藤村「林檎」が好きだったこと、『枕草子』で大感動して何度も音読したこと、百人一首が大好きで決まり字と作者と歌番号まで網羅していたこと、etc…

ここも割愛しますが、結論としてやはり文学への熱い気持ちは捨てられないというところに落ち着きました。しかし、問題があります。

大学、受かるのか?

シンプルにこの不安がもくもくと私の心を支配しました。そして高3の6月ごろに焦ってとりあえずみんなが使ってて有名な英単語帳を書店で買い、全く知らない単語だらけで絶望するのでした

この辺りからが、私の受験勉強の始まりです。

6〜7月

ここは前述の通り、焦り始めた時期です。
と言っても、高校の期末試験があったのでそちらの対策だけはしていました。

そして、友人と遊ぶなどの娯楽を断ちました。

模試で志望校がなくて困ったのをよく覚えています。それくらいです。

受験生の夏休み

「受験生=高3じゃない、高校に入った瞬間から君たちは受験生だ」

入学したての頃のセミナー合宿で、日本史の先生がこう仰っていたのを昨日のことのように思い出せます。ともかく、1〜2年生の私は全く受験生ではなかったのでとにかく勉強を頑張ることにしました。

何をしたか?

1日17時間勉強しました。


これは本当にお勧めしません。なぜなら4日に1回ぶっ倒れるからです。

具体的に言うと
・23:30に就寝、3:30に起床→勉強
・朝食休憩1時間
・夕食休憩1時間
・風呂休憩1時間
です。

昼食ですか。食べていませんでした。
高3のときは1日2食で過ごしてました。頭悪かったです。

とにかく勉強しまくって、たまに倒れる夏休みが懐かしいです。

日本史を受験で使う予定だったので、毎朝起きてすぐ日本史の教科書に出てくる家系図を頭に思い描いてひたすら書き出す。書き終えたら答え合わせをする。というのを毎日実行していました。

当時のルーズリーフ↓

これは夏休みが終わってからも毎日続けてましたね。(その他詳しい勉強法についてはリクエストがあったら書きますが、今は割愛します)
とにかく自分を追い込むことをしていました。繰り返しますがお勧めしません

この頃、元々自分が嫌いで死にたがりの私の考え方はこうでした。

人生で今だけ、勉強をするだけで生きてるのが許される

だから大学進学という名の一定位置のために、勉強という行為に時間と血肉をどろどろと捧ぐ。
そんな生き方をしていました。

あとは文化祭の準備手伝いでたまに出掛けるくらいでしたね。とんでもない生活です。

9月

文化祭がありました。

文化祭後はさらに追い込みが加速。私は勉強の奴隷になりました。

塾などには通っていなかったので、通学時間(電車)と家でひたすらに日本史の一問一答や英単語の復習をしていました。
この辺りから、模試の偏差値がじわじわと上昇していきます。

10月〜11月

勉強にくらくらと酔い始めました。悪酔いです。

勉強以外のことが頭に浮かばない。リフレッシュをしろと言われてもわからない。勉強の気分転換は他の科目の勉強。身体いっぱいに勉強が溢れている感覚。

そして私は自分の容姿に強いコンプレックスがあります。大嫌いなのです。当時もそうでした。

あらゆる板に反射する無数の嫌悪の対象を塗り潰していくかのように単語の暗記をする。過去問を解く。答え合わせをする。

他の人のことは見たくない。怖い。みんな私より人生がうまい。私より苦しんでない。ずるい。

こんなことを考えながら秋めく日々を過ごしていました。

12月

遂におかしくなりました。
机や自分のことを殴ったり、引っ掻いたり、自室の壁を蹴ったり、床に眼鏡ケースや教科書を投げつけたり、お皿を割ったりするようになりました。

毎晩のように泣いていました。過呼吸のように泣き喚くこともあったし、参考書を見ているときにスゥっと涙が頬を通って、そこから壊れた水道管のようになることもありました。

参考書も1ページずつくしゃりくしゃりと潰していったことがあります。今でも何故そんな行為に及んだのかまるでわかりません。

私より年上の方のほうがすぐに察しがつくでしょうか。そう。センター試験が怖かったのです。

おかしくなっても、勉強することが人権の証明と思っていた私は勉強をやめられませんでした。

泣きながら机に向かいます。シャープペンを鈍器の如く握りしめます。
手の震えは止められません。それでも勉強をしない自分に価値を見出せないからと机と椅子にしがみつきます。

そんな毎日が続き、いつものように夜を苦しんでいたら、いつの間にか年明けの瞬間というやつが来ていました。

1月

センター試験。緊張して失敗しました。忘れ物や会場に向かう際のトラブルなどもなかったのに、本番の時間が始まったらテンパりました。

帰りに自転車の運転を失敗して膝に大怪我までしました。帰りでよかった。
それ以上のことは聞かないでください。

2月

センター試験がうまくいかなかった私は、必死で取り返そうとヤケになって勉強を重ねました。

ボロボロになっていく単語帳。涙で滲んだ参考書。すっかり小さくなった消しゴムに、インクが出なくなってきた赤ボールペン。

いよいよ当日です。
日付だって忘れもしません。2月のあの日、私はある大学の試験を受けたのです。どの部屋のどの席だったかも覚えています。


日本史で、家系図の穴埋め問題が出ました。



涙が出そうなほど嬉しかったです。淀みなくすらすらと解いていきます。
あれは本当に嬉しかった。苦しみと自己嫌悪が溜まった心が急速に浄化されて、潤ったような気がしました。

約1週間後

確か、バレンタインが合否の発表日でした。
試験の日程は覚えているのに結果発表の日はよく覚えていません。

受験が決まっていた試験が全て終わり、日付の感覚が消えるほど脱力していた日々の中で、今日が合否だ!と、唐突に思い出してよかったです。

思い出した途端、感情も体温も失いそうになりました。初めてスマホに触った生き物のように、ゆっくりと、どぎまぎしながら、メールを開きます。


合格を意味する文章が、燦然と輝いていました。


受験を終えて

受験勉強は本当に過酷です。
度合いは人によってさまざまだとは思いますが、私の場合は以上のような生活を送るほどでした。

これを読んだ受験生の皆さん、どうか私のようにはならないでください。

気分転換をして、メリハリのある受験生生活を送ってください。勉強法は正解が教科書にもどこにも載っていないから難しいですね。そこが醍醐味でもあるという言い方もできますが、いずれにせよ簡単ではない筈です。

勉強は大学受験以外にも役に立つからと言われても、合格はしたい。そのためなら命が燃え尽きてもいい。そんな受験生のひとりが私でした。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
大学に限らず受験生の皆さんは、どうか健全に学び、試験を無事に乗り切ってください。

では、今回はこの辺で。

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