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森の女

 風通しの良いあの森のあの部屋に行くために、今日も私は自分が住んでいるシミリ市郊外の鬱蒼とした森に入っていくのだ。なぜだろう。そこにしか私はいく場所がないような気がしていたのだ。友人との会合など、人間たちとの約束があってそこに行けない時、本当にイライラしてしまう。毎日、数分でもいいのでそこに行かないと気が狂ってしまうのだ。
 森の女はそこに住んでいるとされる女とされ、多くの目撃情報もあるが、定かではない。私も年に3、4回ほど見る。かといって取り立てて騒ぎはしない。私は森に行くことが好きなのであって森の女に出くわすことは副次的なことなのだ。それでも森の女に会うとそれなりにというか、かなり興奮した。形容詞がたい歓喜に包まれもした。彼女はすぐに消えてしまうのだが。ピンクか白地に花柄のワンピースをいつも着ている。他の目撃情報も同じだ。
 ある時期、非常に仕事が忙しくなり、土日もないような日々が続いた。そんな日々がなんと17年間も続いたのだ。私はそんな中でもその森に通い続けた。5分でもいいからと、その森に通った。だが、仕事が忙しすぎて私はついに森に行くことをやめてしまった。森を失った私はだんだんとおかしくなっていった。私が行かなくなると同時期にシミリ市の森が次第に枯れ出し、倒木が増え出したという情報を小耳に挟み、心が傷んだが、日々に忙殺されていた私にはどうしようもなく、その事実に目を背けた。
 森に行かないと言うことは人間たちとずっと暮らすと言うことだ。私は人間たちが話すほとんどのことには興味がなかった。人と話すことが面倒くさくなり、と言うより昔から面倒くさかったのだが、それをガマンしているうちに次第におかしくなり始めた。森が無くなったので、自分のおかしさに向かい合うしかなくなったのだ。人と話すときには汗が異様に出るし、普通の人には想像もつかないような緊張を強いられた。おそらくその緊張状態が続くことからきているのだろうが、自分でも制御できない怒りを誘発してしまうことも多くなった。そういった私の症状に、社会不安障害という病名がついているということはずいぶん後に知った。それが全てその障害の症状に当てはまることは今ではわかるのだが、当時は人と向かい合うのが苦痛であり、それが発汗や怒りに結びついていることが分からず、ひたすら暗闇を走るしかなかったのだ。
 突然に転機はきた。職場で上司と口論になり、それで腹の虫が治らない私は会社を3日間無断欠勤したのだ。私はその3日間のあいだ怒りと失望感の狭間を彷徨っていたが、ふと思いつき森に行ってみた。すると森はほとんど無くなり倒木の渦の向こうにわずかながら面影を残すのみとなっていた。木造白壁の森の女の家はほとんど朽ちかけており、窓ガラスなどはほとんど残っていなかった。双眼鏡で家を見やると、割れた窓ガラス越しに森の女が机に突っ伏しているのが見えた。この時私は決心した。仕事をやめて森を取り戻そうと!
 決めたものの会社を辞めるまでには多くの困難を要した。家族を説得し、自分に割り当てられていた仕事を終わらせたり引き継いだり、上司は表向きは個人の意思を尊重するようなことは言ったが、言葉の端はしに非難の意図を感じた。なんやかやで辞めるまでに半年を要した。そして3月の終わり、私はようやく森の女に会いに行くことができた。
 森の女は泣いていた。「私はこれまで何も知らなかったし、これから何も知ることはないのよ。ただ目眩く渦に巻き込まれていけばいいんだわ。それだけが私を確かにする手立てなのよ。」
 その途端、私たちのいるこの森が渦を巻き出したように歪んでぐるぐると回り出してきた。私と森の女はその渦に飲み込まれていったのだった。
 その日から、ある8月の朝道路で発見されるまでの23年間、私はこの世から姿を消したのだった。 


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