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死にたいと思ったことがあるか。

タイトル不穏だけど、そんなに暗い話ではないと思うのでご安心を。

世の中の人間は2種類に分けられると思う。
「今までに死にたいと思ったことがある人か、ない人か。」

わたしはもちろんあるよ😉

てゆうか、大人になるまでみんなそれぞれに死にたいと思ったことあるもんだろうと思ってたから、
知人に「そんなこと思ったことない。」と言われた時の衝撃な。

なるほど…わたしはどうやら普通ではなかったみたいだなと思った記憶。


中学、高校の頃が一番危うくて。
特に兄が嫌いで、親がいない時に背中を蹴られたり、二段ベッドの上から蹴られたり(バリエーション少なめ)、普通に最低な扱いを受けてたんだけど、
母に「さっき蹴られた」と伝えても、喧嘩両成敗で取り合ってくれなくて、喧嘩でもなんでもない一方的な暴力なのになって思ってた。

兄は女家系の我が親戚内で唯一の男子。
家族、親戚中からの寵愛を一手に引き受けてた。
あからさまに兄弟間での格差がすごかった。
だからなのか、わたしの言うことよりも兄の言うことのほうが大人にとっては信用があったのだと思う。

なので、わたしの話を聞いてくれない当てつけで死んでやろうと何度か思った記憶がある。
家の目の前が結構な高低差のある擁壁で、フェンスをサクッと飛び越えればいいかとか考えてた。

あれ?暗いな。笑

まぁ、この頃から完全に今のわたしが出来上がってた気がするな。
自分はこのからっぽの形だけの家族が白々しく思えて。
思考力があるから(疑問しかない状況すぎるし笑)違和感をそのままにしておけない性格。
自分がこの家にいる意味、生きてる意味、なんでこんなに自分が嫌いなのか。
考えるしかない環境だったな。今思えば。

思い返せば、死にたいと思ったことがあるからこそ、生きてる意味とか考えがちあるある。ちゃんと通ってきてる。笑


小さい頃から兄には散々な扱いを受けたので、未だに兄とは話したくないし、子供と関わろうとしてこなかった父とも話したくない。
わたしは薄っすら年上男性全員が苦手なんだけど、それは最寄りの男性がコレだったからなのだと思う。

どうしてくれんだよ…。笑


父の話を人にしたことがないけど、シンプルに話題がない。典型的な「仕事だけして家庭はおろそかにしてる昭和のクソジジイ」なだけなので。

ひとつ、父のことが決定的に無理になった出来事がある。

高校1年の入学当初、環境の変化に対応できずご飯が喉を通らない時期が2か月くらい続いたと思う。
毎朝小さいおにぎりひとつも食べられない。
それでも憂鬱な気持ちの中、必死で登校していたんだけど、そういうウジウジしたわたしに日々苛立ちを募らせていった父に、ある日突然「いつまでそんなんでいるんだ!」と車内で怒鳴られたことがある。

普段気難しくて会話も一切無いくせに、自分の辛さに寄り添ってくれるどころか急に怒鳴られた時の絶望たるや。

この日以来、マジで約20年間自分から父に話しかけたことがない。会話は母経由。
それなのに、父の日のバーベキューに実家に帰ってこいと言えるよくわからない家庭。

わたしだけがマトモで、あとの4人がおかしいんだ。

あの頃のわたしに今からでも言ってあげたいな。


大人になってからは、「消えてぇ」と思うことはあるけど十代の頃のような危うさはもう無い。
代わりに、世の中生きてみないと分からないことばかりだと思って、今も生きてみてる途中。

なんせ、十代の多感な時期に生き死にに関して考えすぎた。若い頃って何でもLIVE or DEADになりがちだし。

そして今のわたしは、職場でのドデカ怒りの根源が自分でも分からなくて困っていたんだけど、
この怒りを細かく紐解いていくと

「誰もわかってくれない!誰もわたしの話を聞いてくれない!」

という小さな頃の心の傷が、些細なことに反応して過剰に疼いてるからなんだなと気付いた。
気付いたところで対処法がまだ見つけられないのでしんどいことはしんどい。

…なんでこんな事書き始めたんだろ。笑

最近昔の自分のことを考えることが多くて、そうなると必然的に避けて通れないネタすぎた。

文字って、口に出すよりポップな仕上げに出来る気がして、誰にも言ったことない話を書いちゃうなぁ…。

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