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【思い出す】「適応障害」と診断されたあの頃

こんばんは!
珍しく下書き(といってもタイトルだけ)書いてたけど、どうしても書きたいテーマが見つかったので、書きます。下書きの話は……また、書けたらいいな😂

今朝、あるTwitterのフォロワーさんとやり取りしていたら……その状態って、もしかして「適応障害」じゃない?って思い、自分ごとのように心配になりました。なぜなら、わたしも適応障害と診断されたことがあるから。
その頃のことを振り返りながら、あの頃のこと、綴ってみようと思います。

かなりネガティブな振り返りです。
普通に「死ぬ」とか「死にたい」とか出てきます。
閲覧にはどうか、ご注意ください。

いろいろあったよね、わたし

大学4年の夏に父が亡くなった後、母を雇ってくれるという父の知り合い(経営していた飲食店の取引先でありお客さんという、旧知の仲でした)に声をかけてもらいました。わたし、母、そして同居していた母方の祖母の、女3人家族で神奈川から愛知へ舞い戻り。
とはいえ、大学卒業を目の前に、なんなら東京で就職も決まっていたわたし。ゼミの指導教授に許可をいただき、月1回の新幹線通学。卒業論文も高評価をいただき、無事に大学を卒業できました(真面目に単位取ってて良かった〜……)。

その後、東京での就職のため、埼玉で生まれて初めての一人暮らしチャレンジが始まりました。だけど。

どうしてできないんだろう、わたし

配属された先の、キャリアウーマン風女上司。真面目そうな男性の先輩。ちょっとギャルっぽいけど、仕事はこなす女の先輩。少人数の部署で、慣れない仕事に、慣れない人間関係。
少しずつ、わたしの「何か」が壊れていきました。
ちょっとしたミスで注意され(当時のわたしには「怒られ」ていたように感じていました)、萎縮してまたミスをして。例の女上司は、次第に口もきかず、冷淡になっていきました。
あいつには何を言っても無駄」とでも思われていたのかもしれません。男性の先輩は優しいけど、周りに合わせるところがあるから、表立ってフォローしてくれることは少ないし、ギャルな先輩は女上司と仲が良いので、助けてくれるようなことは、ほぼありません。
孤立無援って、こういうことだったんだなぁ

Let's go 心療内科

大学4年で愛知へ戻って来てからも、実はといえば、心療内科にはお世話になっていました。よくわかる自覚はなかったけど、何だかんだ父が亡くなったこと、ショックだったみたいです。
弱っていく父を見ているのもつらかったし、死に目にも立ち会えなかったし(病院から知らせを受け、急いで到着した時には、既に亡くなっていました)。
そんなこんなで、無自覚でも精神やられていたことに加えて、職場で起きたこと。ボロボロでした。
だから、心療内科にかかることは、そこまでハードル高くないものでした。しかしながら、慣れない土地。
近所にあった心療内科クリニックで、治療を開始しました。抗うつ剤や睡眠導入剤(たまに寝つけないこともあった)……薬を飲んだり、別途クリニック内のカウンセリングルームで、カウンセリングを受けたり。そんな日々が続きました。

もう嫌だ、死にたい

適応障害の診断受ける→抗うつ剤などの薬を飲む→副作用でぼーっとしたり眠くなったりする→仕事でミスする→怒られてさらに自信なくす→通院を繰り返す の無限ループから、抜け出せませんでした。
心配して声をかけてくれる職場の人もいたけれど、その心配が、余計に重くのしかかっていたんです。
何にもできないわたしが、申し訳なくて。

こんな役に立たないわたしなんて、ひとりいなくなったところで

職場へ向かう某地下鉄のホームから、落ちてしまえば。家で、手にハサミを握りしめてみることも。

もう嫌だ、死にたい

母との電話で、こんな言葉を繰り返していました。そんなわたしを心配して、母は何度も一人で新幹線に乗り、わたしに会いに来てくれました。ただただ涙が出た。

休みの日は元気

適応障害は、置かれている「環境」が合わないわけで。休みの日、つまり、出勤しない日は、調子悪いのが嘘のように元気でした。一人でふらふら出かけて、一人を楽しんでいたのを思い出します。
某秋葉原の通り魔事件の時に「あんた外出てない?!」って母から電話がかかってきたり(この日はたまたま家にいた)、母から「日光でも行ってきたら?」って言われて、昼前の時間にいきなり特急電車乗って東照宮行ったり。そんなこともあったなぁ。

けど、やっぱり無理

件の女上司のさらに上の女上司は、頼れる優しいゴッドマザー(独身だけど)でした。保存容器にラップを敷いて、そこに食べ物を入れれば、洗い物は少なくて済む。ゴッドマザーの教えは、今も守っています。
そのゴッドマザーや、めっちゃ頼れるお局おばさま(めちゃくちゃ心配してくれた)のおかげで、業務で関連はするけど、他の部署へ異動することが叶いました。
おばさまがいつも気にかけてくれるし、その部署の中で別グループだった当時の同期とも話せたし。
症状は、部署が変わる前に比べれば軽くなったけど、(元)女上司を見かける度に、ぐっと身が縮こまりました。こちらから挨拶をしても無視されるし。
首都圏での一人暮らしは、とかくお金がかかる。新卒の給料じゃ、続かない。加えて、ここまでやられてしまったメンタル。
母や会社の人たちとも相談して、退職を決めました。新卒で入社して、約2年と半年ほど。よく頑張ったなぁ、わたし。

一度折れたメンタルは、折れやすい

えっ、もう2,000字超えてる!
そろそろ締めます。

その後いろいろな仕事を転々としましたが、嫌なことがあると、決まって吐き気が出ました。ああ、これがストレスを感じている状態なんだな、って自覚ができるようになりました。よくよく思い出せば、学校で嫌なことがあった時も吐き気がしてた。
ストレスを感じた時に、こういう反応が出ると自覚できたのは、この先生きていく上で大切なことだったかも。
そして、もしわたしと同じような環境に置かれている人がいたら、これだけは伝えておきたい。

周りに頼っても良い。
頼れる人がいなければ、ハードル高いかもしれないけど、専門家に相談して欲しい。
どうか、一人で抱え込まないで。
それでもダメなら、思い切って環境を変えて「自分」を取り戻して欲しい。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
あの時のわたし、成仏できたかな?

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