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世界の秘密

____子供の頃の話をしよう。地球が丸いだなんてのは大人が子供たちを丸め込むために作った虚構に違いない。世界を平面的に捉えていたあの頃の僕は、この青い惑星の果てには、大きな崖と滝があり、その向こうに広大な宇宙が広がっていると考えていた。かつてガリレオを否定した人間達と同じことを考えていたのである。無論、この考えは後にかくもあっさりと否定されてしまうのだが。

博識な祖父が話す、遠く海の向こうの外国の話や文明、宇宙の謎、生命の神秘、人類の争いの歴史の話が好きだった。僕の心は好奇心と共にあった。すべての謎を自分の手で解き明かすと躍起になっていた。あれから何年が経ったのだろう。僕にとって解き明かすためにある世界の秘密は既成事実に変わっていた。



時間の流れは止まる術を知らず、気付けば20を過ぎた。僕にとって、世界はあまりにも狭くなってしまった。存在を疑わなかったサンタクロース、当たると信じていた予言、あれだけ遠いと思っていた東京の街、夢に見ていた一人暮らし、離れることなどないと思っていた祖母との別れ、永遠に共にあると思っていた友の魂、憧れの人の死。多くの出来事が僕の前を通り過ぎていった。


今まで知らなかったことを知ってしまった、欲しかったものを手に入れてしまった、という事象が起こるとあれだけ長い間渇望し、追い求め続けたのに手が届きそうになかった幻想みたいなぼんやりしたものがこんなにもちっぽけなものだったのか、と現実としてたしかな形で目の前に現れてやるせない気持ちに陥ってしまう。


見たかった映画を見ることもそう、読みたかった本を読むこともそう、見たかった景色を見ることも、行きたかった大学に受かることも、会いたかった人に会うことも、好きな娘の裸を見ることも、セックスをすることもみんなそう。知る前まではあんなにも輝いて見えていたはずなのに、終わってしまったら事実以外何も残らない。だから、見えなかった世界が見えるようになる度に、またひとつ、世界がつまらなくなってしまったと感じる。あれだけ、喉から手が出るほど求め続けたものはただの幻想でしかなかった。今はスマートフォンを開けば、インターネットを通じて、すぐに世界中のあらゆる情報にアクセスすることがきる。本を開かなければ見ることが出来なかった憧れのあの景色にも一瞬で連れて行ってくれるようになった。進歩と発展を受け入れた代償に、世界は段々と色や人間の営みを失い始めている。勿論、それらは現実として受け入れるほかない。加速し続ける時間に終止符が打たれる時は、僕が生きている間にはきっと訪れてくれない。



ぼやけていた世界の解像度は歳を重ねるともに上がり続け、世界は恐ろしいスピードを伴ってその姿を目の当たりにさせる。世界の解像度が上がるたびに、祝福されるべきその時に、いつも僕はどうしようもない寂寥感に苛まれる。

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