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赤べこいろいろ

今度、福島県の会津地方へ旅行に行きます。
会津といえば、赤べこだよな~と思うのだけど、そもそも赤べことは何ぞや?と思って調べてみた。

あかべこ

赤べことは、張り子の牛。赤い。
首がふりふり動いて妙にかわいげがある。
「幸運を運ぶ牛」として厄除けや縁起物として古くから親しまれてきた。

らしいです。

そもそも「べこ」って何よ?と思ってたら、会津の方言では「牛」のことを「べこ」と言うそうです。つまり単純に「赤い牛」ってことか。

赤べこ伝説

 1611年に会津地方を襲った大地震で大被害を受け、圓蔵寺の虚空藏堂
(本堂)はじめ僧舎・民家が倒壊し多くの死者が出ました。虚空藏堂(本堂)を現在の巌上に再建する際、大材は只見川を利用して運ばれましたが、巌上に運ぶのに大変困り果てていたところ、どこからともなく力強そうな赤毛の牛の群れが現れ、大材運搬に苦労していた黒毛の牛を助け、見事虚空藏堂を建てることができたのです。
 赤毛の牛の群れは虚空藏堂の完成を待たずにいずこへともなく姿を消したと言われ、後に大材を運んでくれた牛に感謝の気持ちと、ねぎらいをこめて建立されたのが開運「撫牛」であり、一生懸命手伝った赤毛の牛を「赤べこ」と呼び、忍耐と力強さが伝わりさらには福を運ぶ「赤べこ」として多くの人々に親しまれるようになりました。

柳津観光協会(一部抜粋)

このことから赤いべこ(赤い牛)が縁起物になったようです。

赤べこ伝説となった開運撫牛

郷土玩具としての赤べこ

赤べこの歴史、調べてみると面白い。。。

起源は諸説あるようですが、400年ほど前の江戸時代、会津藩の藩士たちは仕事が無く生活が困窮しており、城主の蒲生氏郷は副業奨励策を推進していたそうです。その一環として京都から張り子の職人を招いて藩士たちに張り子づくりを学ばせ、赤べこ伝説にならって張り子の赤べこを作らせた、とのこと。

中川政七商店

藩士の副業!?貧しくて苦肉の策的に張り子やってみて、作るなら赤べこ伝説あるし赤い牛作ってみる?
>>> 郷土玩具(21世紀) ってことか!!何か感慨深いね。

その後、観光土産用としてラッカーを使って量産されるようになり、また1961年(昭和36年)の丑年には、年賀切手の図案に採用され、一躍全国的な人気者となった。

中川政七商店

手作り郷土玩具
>>おみやげ用(商用)に大量生産>認知度UP
>>>丑年にあやかって年賀切手>>認知度UPっぷ

大量生産の良し悪しあるかもだけど、やはり認知度を上げることの重要さもありそうだ。

調べていると、カラフルべことか獅子舞とかもはや「赤」べこではないものも色々あっておもしろい。いろいろ考えるね。

野沢民芸 カラフルべこ

しかし色きれいだし、ネーミングがステキ。単に色々作ってみただけではないという感じを受けた。私はココアといちごを並べて置きたいな。


中川政七商店のよみもの👇おもしろい。。ファンになりそう。


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