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小説「クスクス嘆く」第4回

「行くぞ」
色々聞きたいことはあったのに、クスクスは勝手に歩き出す。はぐれたら帰れなくなるんだっけ。あまり危機感はなかったけど、着いて行こうと立ち上がった。足の裏にぬめった感触が伝わってくる。ゲロを踏んだみたいだ。よだれみたいな液体が地面にもたまっていた。
僕たちの行く前を、宙にうかんだ目玉が先導する。クスクスのかかげた釣針が松明になって先を照らした。明るいから、壁がよく見える。赤黒いような紫のような色だったのが僕の肌みたいな色にも見えてきて、ヒトの内臓の中を歩いているみたいだ。でもところどころに、青や緑や黄色のまだら模様も浮かんでいるんだ。
壁がどこまでも同じような色だから、ぜんご右左の感覚がちっともつかめない。上はどこまで高いのだろう。左と右はどこまで広いのだろう。そのうち、左と右の壁は僕たちにせまって来たり、広がっていたりしているのに気がついた。ぬめぬめの壁が迫っている所なんて早くとおり過ぎたいよ。でも呼吸をしているみたいに、壁が膨らんだりへっこんだりしているのをばっちり見ちゃった。
「足元、気をつけろ」
壁に気をとられていたら、クスクスが言う。
「お前、ドン臭いからな」
ゆく先には白いペンキを塗った鉄骨の階段が現れた。人間の作った物があるってことに、僕はほっとした。もうゲロみたいな地面を歩かなくていいんだ。そう安心したのもつかの間だ。一段目に足を置いたら大分ぐらついた。階段には支柱がなくて、段と手すりだけが宙に浮いているんだ。クスクスは釣針の輪っかになったところを肩に掛けて、階段を上っていく。
バランスが取れなくてふらついていると、横から思いっきり水をかけられた。粘ついた水だ。ぎゃって横を向くと、青や黄色の斑点がとくに集まった所に粘液がもりあがっていた。あの模様に水を掛けられたんだ。コノヤロって怒鳴りつけたかったけど、その模様をよく見たら人間の目玉みたいな形になっていて、しかも僕の体よりも大きな目玉だった。ナスカの地上絵っていうんだっけ?あの不思議で単純な絵みたいな目玉だった。僕はオトナの態度で知らん顔したよ。それにクスクスから声出すなって言われたのを思い出したし。
クスクスは顔の片側だけで後ろを見る。びしょ濡れの僕に目を細くして呆れてみせた。
「お前、何も知らないでよく着いて来るな。子犬みたいだぜ。(だってお前が着いて来いって言ったじゃん)その可愛さに免じてここが何処だか教えてやるよ。(え?いま可愛いって言ったよね?)
ここは余計なものの集積場所なんだ。天と地が結びつく契約の時、契約に漏れがあった。漏れそのままに手をぬいた所があって、綻びを放っておくものだから、要らない物がわんさか貯まるんだ。でもそのお陰で明日が生まれるようになった。まあお前らの町で言うパン工場や石鹸工場みたいな場所だな。たいしたもんを作ってる訳じゃない。綻びがなけりゃ明日も生まれる必要がねえ。世界は真っ暗闇だけで事足りるし、奴らやその親玉のデッカイ奴も暴れねえ。
これからそのデッカイ奴を釣りに行くんだよ。なんて名前か知らないんだ。お前知らない?お前らの所って時々本当だって知らないで本当のこと言っていたりするじゃん。名前ないと不便だから、三万年くらい前の前任者はジーザスって呼んでいて、前任者のさらに前の前任者はゴータマ・シッダールタって呼んでいたらしいけど、おれは単にニンゲンって呼んでるぜ。ま、おれがこれからニンゲンの頭をかち割ってやるから見てな。カッコいいぜ」
クスクスは手の中で十徳ナイフをねずみ花火のように回した。その顔を見て僕は階段から足を踏み外しそうになった。クスクス、大好きだからあっち向いて、だって顔のファスナーが開きっ放しでピロピロって赤い肉が垂れてるよ。
「あ、お前今、頭ん中で好きって言ったな」
クスクスはいやらしい目つきで笑う。とたんに僕の体が、中のほうからホカホカしてきた。暑い暑い。前を向いたクスクスにこっち向いてと言いそうになったけど、また考えていることを盗み見されるから、何も思わなかったよ。ホカホカすると僕の体から、屋台の綿菓子屋さんみたいな匂いがしてきた。とても甘い匂い、この匂いを僕はよく知っている。
「お花に水をあげましょー」
クスクスはそう言って僕にオシッコを浴びせた。あれはとてもよく晴れた土曜日だった。工場裏の森の木がぜんぶ、機嫌よかった日。オシッコが蜂蜜みたいにきらめいて、思わず僕は口を開いた。
「美味いだろ」
「うん」
あの時と同じ匂いがする。甘い匂いと味が僕の口を外れて下へと移動する。いきおいの良いオシッコが当たるのって気持ちいい。のど、みぞおち、おへそ、ズボンのファスナーの上。
「お花に水を上げてますよー」
もっと強くオシッコ出してよ。ぱんつの中がきゅうくつだ。
そんなことを思い出していたら、ゆっくりとしたスピードで上から何か落ちて来た。茶色いかたまりだ。
「おれたちが糞ぶっかけたあの本だ」


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