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小説「クスクス嘆く」第2回

クスクスは身軽だ。
僕の家の前をとっくに過ぎて、よそのうちの塀にかぶさった庭木をジャンプする。かと思うと塀を駆け下りて、男の人の買い物袋からオレンジをくすね取る。男の人はあんなに近くにクスクスが降りて来たのにちっとも驚かない。塀を歩きながらオレンジをかじっていたクスクスは、今度はその皮を高校生へ投げつける。高校生は「いてっ」とさけんで辺りを見回す。にやけたクスクスが座っている辺りにも一度目をやるけど、まるでクスクスがいないみたいにまだ首をめぐらしている。
僕は後を着けながら、すこし悲しくなった。
誰にも気づかれないクスクスは、クスクスと一緒にいる時の僕みたいだった。クスクスと遊んでいても、あいつはしょっちゅう僕を置いて先に行く。熱心に話しても時々うわの空だ。いつだったか、さよならを言わないで帰ってやった。あの日僕がいなくなったことにいつ気づいたのかな。クスクスは人の目に映らないのを楽しんでいるけど、僕はそうじゃない。クスクスには見えていてほしい。駅前の辺りになると街灯がにぎやかになった。クスクスは塀から飛び降りると急に消えた。どこにいる?
僕は驚いた。だって明かりのついたケーキ屋の中にいるんだもん。しかもケーキの並んでいるショーケースの中だ。
ショーケースの台に体をなすり着けて暴れている。ノラ猫も気に入った匂いがあると、こうするね。ケーキはみごとに潰れているけど、お店の人もお客も気づかない。調子にのったあいつはハーフ丈のパンツを下ろして、四つん這いになった。二つのおしりの山がこちらに向いている。その間に、ピンクの生クリームを絞ったみたいなこう門があった。
「おい、ウンコしようぜ」
クスクスがにやけてそう言ったのは、学校帰りに空き地に行った日だった。あの日二人でした遊びを、これから一人でするんだ。
「お前、面白い本持ってねえの?面白過ぎてあくびの出るヤツ」
ランドセルを空き地に下ろして、中から今日学校でもらったばかりの本を出した。
「これ、傑作じゃん」
その薄い本には、えらいヒトがのっていた。えらいというか、えらいって言われている人。シギカイギインをやっている人で、コーチョーセンセーとなかよしで、どれだけえらいことをしたのか書いてある本だった。
「こういう顔が、糞ぶっかけるのに丁度良いんだよ」
こういう顔って、鼻の穴から苦虫をつめこまれてムリヤリ笑っているみたいな顔だったよ。はんにん逃亡ちゅうっていう時にも見るよね。それをパシッてたたくと口笛を吹きながらパンツをおろす。途中で凄みのある顔で命令した。
「お前も脱げよ。おれと同じかっこするんだよ」
クスクスには逆らえない。
「ほーら、ごはんの時間ですよう」
しゃがんだクスクスは脚のあいだから、オジサンの顔の上に茶色の熱いアイツをぶっぱなす。こう門がふるえてプルプルってかわいい音がする。人間のこう門をちゃんと見たのは初めてだ。僕も脚をかかえた格好でクスクスと向かい合っていたら、「お前も出せよ」と命令されたから頑張った。干しぶどうみたいな小さいのしか出ないかなと思っていたけど、「この爺は悪人だ。糞を食わせて浄化するんだ」という言葉を聞いたら、こう門がムムムムっと強い力で押し開いたよ。
「悪人」って素敵な響きだ。
ママがヒステリックに叫んでいる。「よく知りもしないで悪人なんて言っちゃいけません」パパがママを白けた目で見ている。その頃のパパとママは仲がとても悪くて、ママはいつも、さわったらバクハツする風船みたいだった。あれは僕に言ったのかな、パパに言ったのかな、どっちだか今じゃ分からなくなっちゃったけど、ママのすごい剣幕に心臓の近くの血管がきゅーって縮まったのはおぼえている。
でも目の前のクスクスはとっても晴れやかな顔で「悪人」って言う。やましいところの一つもない顔だ。なーんだ、「悪人」って言って良い言葉だったんだ!そう解ったらウンチはすごい勢いで出て来たよ。
ぐしゅ、ぶちゅちゅちゅちゅー。
はしたなくて恥ずかしい音だった。でも恥ずかしいのはすぐ消えた。クスクスが心底楽しそうに笑ったからだ。
くすくすって。
はじめは小さく笑っていたのにそのうち大笑いになって、僕もおかしくなった。クスクスの顔がゆれると左側にかかった前髪がゆれる。髪の毛がうごいて、いつも隠している左の目の辺りが見えそうになる。そこを僕は、見たことがないんだ。よし、さり気なく見ちゃえ。なんて思いついたら、こう門がもっとむず痒くなった。
ぶるっ、びゅるびゅるびぃ、ぶいっ!ぶいっ!ぶいっ!
追加で出た茶色いアイツに、二人してまた笑った。その後は指にアイツをすりつけて、追いかけっこしたっけ。


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