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常連さんはあきらめた。

いつでも気軽にお店に行けるようなお客さんにはなりたい。でも、そんなにお店の人と仲良くなりたくない。

私はなかなかに面倒くさい人間だ。


去年の11月に引っ越しをした。都内のNという街から、これまた都内のSという街へだ。

都内間の移動とはいえ、東京は駅の単位で雰囲気ががらりと変わる。ある駅の周辺は下町情緒溢れるエリアかと思いきや、隣の駅周辺は最近流行りのおしゃれなカフェが立ち並ぶエリアだったりする。引っ越しの時にはいつも(上京してから今の街で3ヶ所目)、次の街はどんな雰囲気なんだろうとわくわくする。

新しく引っ越したSという街は、今のライフステージの私にとっては完璧な街だった。私の中の「いい街」の条件3つをしっかり満たしている。条件とはすなわち、①最低限のインフラと利便性があること、②いい本屋がいくつかあること、③美味しいご飯屋さんがたくさんあること、だ。

③については特に恵まれている。徒歩10分圏内に無数にお店があり、自転車で10分圏内も入れれば、それこそ行き尽くせないほどお店がある。そしてその多くが、しっかり個性的なお店ばかりなのだ。

入居する物件が決まった日、これからホームタウンになるS街を歩きながらある野望を抱いた。「この辺りのお店に行きまくって常連さんになってやる。そんで友達が来た時にはドヤ顔で案内してやるのさ」

かくして、晴れて新居に入居した私は、ある一軒を最初のターゲットに定めた。家と隣の隣にある、長崎ちゃんぽん屋さんだ。ここのちゃんぽんは相当レベルが高い。某チェーンRのちゃんぽんしか食べたことなかった私は、初めてチェーン以外のちゃんぽんを食べ、そのスープのコクに感動した。文句なしに美味しい。完全に虜になっていた。

それから約1ヶ月間、週に1回以上のペースでちゃんぽん屋に通った。お店のニイちゃんもさすがに顔を覚えてくれて、食べにいくと一言二言、軽く話しかけてくれるようになった。だんだん常連さんになっていっているような気がして嬉しかった。

そこまでは順調だった。

ある日、家を出たタイミングでちょうど外に出ていたちゃんぽん屋のニイちゃんに遭遇した。こう言われた。
「あ、このアパートに引っ越して来られた方だったんですね。これからもよろしくお願いします」
ちゃんぽん屋のすぐ近くのアパートだけあって、そのニイちゃんはそこの住人ともある程度顔見知りのようだった。
何も変な場面ではないのに、なぜかまずいところを見られてしまったような、決まりが悪い感じがしてしまい、曖昧な返事をして立ち去ってしまった。

また、ある日、ちゃんぽんを食べに行くと、ニイちゃんにこう言われた。
「この前、お昼にお店の前歩いてましたよね?どんなお仕事されているんですかー?」
「あ、あの、しがない会社員をしていて、ずっとリモートワークなんです…。あ、お昼はコンビニにコーヒーを買いに行っただけで…。」
その日、あんなに美味しいと感じていたちゃんぽんの味が、いつもより少しだけ違う気がした。食べているところを観察されているような視線を感じてしまい、熱々のちゃんぽんを掻き込むようにして食べ、上の歯茎裏に火傷を負ったままそそくさと店を後にした。

それからというもの、ちゃんぽん屋に通う頻度がめっきり減ってしまった。あの味が恋しくなって、1ヶ月に1回は食べに行くものの、お店の中にいるとどこか落ち着かない心持ちになってしまう自分がいることに気がついた。家から駅までに向かう2つのルートのうち、ちゃんぽん屋の前を通らないルートを選ぶ頻度が多くなった。

そして気がついた。
私には、お店の人と仲良しの、いわゆる「常連さん」になるのは無理だ。

「常連さん」とは、単に来訪する回数が多い客のことを指すのではない。何度も訪れ、仕事やプライベートのことまで何度も店員と会話を重ねることで、「店と客」以上の親密な関係を築いた客のことを指すのだ(たぶん)。

店側はそうやって何度も会話を重ねることで、その客の人となりを理解し、時には「〇〇さん、今日は少し元気がないですね。どうされました?うんうん、なるほど、そんな時にはXXがおすすめですよ」みたいなきめ細かい接客ができるようになる。

そういう接客を受けることで客側がさらに店にロイヤリティを感じ、露骨な言い方をすればお金を落としてくれる。

そんな丁寧で親密なおもてなしの繰り返しを通して、店側と客側の共通理解をもって「常連さん」という称号が客側に付与されるシステムになっているのだ(たぶんね)

しかし、その「常連さん称号付与プロセス」には、(私にとっての)決定的な欠陥がある。通常モードの私は、そもそもあんまり干渉してほしくないのだ。

私は一人で焼肉屋とか居酒屋とかどんどん行くタイプなので、ポツンとカウンターに座っている私に店員さんも気を遣ってくれるんだと思う。
「ああ、この人は今日一緒に飲んでくれる人がいなくて、でも誰かと話したくて一人で居酒屋に来ているのかもしれない」みたいに。

しかし、多くの場合において、その気遣いはノーサンキューなのである。一人で居酒屋に行って、ぼーっとその場の雰囲気を観察し、黙って空想にふけり、今日は美味しいお酒に出会えたなぁと思うだけで大満足なのだ。
そこに良かれと思って声をかけられてしまうと、なんか気を遣われていることを察知して気を遣ってしまう。

『この店員さん、気を遣って「本読まれるんですね、どんな本が好きなんですか?」って聞いてくれてるんだな。たぶん興味もないだろうし、きっと忙しいから、本当のことちゃんと説明して長くなるのも店員さんに悪いな。なんて答えよう…。』
そんなことを考えているとたちまち酔いが醒め、料理の味が2割減で感じられなくなり、疲れてしまう。

ある程度顔見知りにはなっておきたい、でも適度に放っておいてほしいというわがままな私は、「常連さん」にはなれないんだと気がついたとき、この街に来たときに抱いた野望がフワッとどこかに飛んでいった。バイバイ、小さな野望。今はもう、なんでそんな野望を抱いてみたのかわからない。そのくらい、諦めた。


でも、時々は、リモートワークの環境に疲れ、社会との繋がりが希薄になっているような気がしておセンチな気分になることがある。本当に時々だけど、そんな時は「ほんのちょっとだけ誰かと言葉を交わしたいなぁ、ちょっと世間話振ってきてよ」と思う。

適度に距離を置いて、私が必要な時だけ距離詰めてきて!という、超わがままかつ超難題を店側に期待している扱いにくい客、それが私だ。

だいぶ面倒くさい人間なのである。


余談にはなるが、バーテンダーをしている妻にこの話をしたことがある。バーといえば、老舗旅館並に客に寄り添った接客が必要になる場(というイメージ)だ。

「ねぇねぇ、こんなわがままで面倒くさい客がきた時はどうしてんの?」

妻は面倒くさそうにこう返してきた。

「そういうのは、お客さんが入ってきてから注文するまでのタイミングで見極めるだけだよ。だいたいわかるよ、そういうの」

すごいなぁ、プロだなぁ。そして大人だなぁ。


私はそんなにすぐには大人になれない。
あんまり干渉してほしくない気持ちにも変わりはない。
でも、今週どこかで、またちゃんぽん屋に行ってみようとは思った。

おわり。


2023.08.06 23:11
純米酒 会津中将 を飲みながら。

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