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【体験談③治療中期~治療後期】30代筆者が、「上顎洞癌ステージ4で余命1年」と診断された話

「上顎洞癌ステージ4で余命1年」と診断された筆者が、下記のようなことをまとめて綴っております。

・まだ、癌になっていない方に気を付けて欲しいこと。
・同じ状況で不安な方への参考になりそうなこと。

今回は、「治療中期~治療後期(4-9週間)」の体験になります。私の症状、治療に関する詳細は、下記マガジンをご覧ください。

注)私自身は、医療従事者ではないので、あくまで「体験談」として受け取って下さい。また、人によって状況・症状は異なりますので1ケースとお受け止め下さい。

お詫び

本記事内の治療をしていたのは、2021年5月~7月にも関わらず、執筆しているのは2022年12月になります。

順次執筆する話なので、ネタバレになりますが、期間が空いてしまったのは、本治療後に手術の必要性が発生したこと、何より筆者の怠け癖によるものです。

すいません。

ただ、備忘および同じ症例の方に対する参考、応援して下さった方にちゃんと説明したいという考えでnoteを執筆し始めたので「書かねば…」と重い腰を上げました。

RADPRAT中期~後期の進め方

前回記事の通り、RADPRAT1週目の治療後から始まった薬の副作用と思われる発熱は治まり、熱の出ていた2~3週目はブランクとなったものの、4週目から抗がん剤の治療を再開することとなりました。

※2~3週目も放射線治療は継続していました。

前回記事から再掲

そのため、入院期間も2週間延長し、変則スケジュールによるRADPRATになりました。

その後、治療は問題なく進んでいきました。

1点、放射線治療を管轄する担当医から「まだ体力もある年齢なので、放射線治療を1週間延ばすか悩ましい」という話がありましたが、

RADPRAT中期~後期の副作用

その間、前回記事で書いたRADPRAT前期の副作用から中期~後期に掛けて変化がありました。

■RADPRAT中期~後期の副作用(大変だった順)
1.味覚障害
2.食欲低下
3.口内の荒れ
4.白血球の減少
5.目やに
6.倦怠感
7.脱毛

副作用の種類としては減ったのですが、それぞれの副作用自体はより強くなっていました。

放射線を当てている患部(右顔面)側に脱毛、口内の荒れ、目やには明確に出ており、左はそうでもないという状態でした。

過去記事から再掲

口内の荒れ、目やには、字面で見ると大したことに感じないと思いますが、明らかに異常と思えるレベルのものでした。

  • 口内の荒れ:激痛で歯磨きや食事をする気力が起きない。

  • 目やに:朝、目を空けられない。

倦怠感も非常に強く、座って仕事をする時間も減り、ベッドに横になる時間が増えました。結果的にドラクエ3(スマホ版)を5ターンで神龍(裏ボス)を倒せるぐらいにやり込んだりしていましたが…

味覚障害は、最も辛く10kg近く体重が落ちました。ただ、味は殆ど分からなかったのですが、『薄皮チョコあんパン(山崎製パン)』と『プリングルス サワークリーム&オニオン(Pringles)』は味を少し感じるようなので、そればかり食べていました。

この味覚障害は、医師も明確なことは分からず、人によって戻り方は異なり、[治らない>数年以上続く>1年程度で治る>数カ月で治る]といった具合のようです。

白血球の減少は、感染症の重症化リスクなどがあり、退院の懸念となりましたが、ある程度回復し、帰っても基本外出しない上、実際退院後の血液検査では回復をしていたため、不安があるということ以上には支障はありませんでした。

脱毛は時間が経てば治るので、私の場合は特に気になりませんでした。

RADPRAT中期~後期の過ごし方

前述の通り、副作用と苦しみつつ、ベッドで過ごすことが増えていたものの、仕事も多少は続けており、ドラクエ3をやり込みまくったりしていました。

また、時折知人・友人とWebミーティングをしていたのですが、ガンが治ることを前提にして「一緒にこういうことを出来たらいいですね」という話をすることが多く、入院当時そうした前向きな話を当たり前に出来ることがありがたかったです。

実際、本記事を執筆時点、その時に話をしていた友人のお仕事をお手伝いしています。

入院中、勤務先の社長夫妻にもらったもの

入院期間に思っていたこと

入院前に買った大きなディスプレイでゲームをしたり、前述の味覚障害が治るか非常に心配なものの、その中でも味の分かる料理を探求してみたり、とにかく早く退院したいということばかり考えていました。

また、余命宣告はされていたものの、なんとなく「死ぬかも」とは思わなかったので、その辺りは不安に感じたことはなかったです。

その理由を振り返ってみると、幼い頃から「いつでも人は1秒先には死んでいる可能性がある」と常々考えていたので、自分の置かれている状況を特殊だと思わなかったことが大きいように感じます。

むしろ外出しない自分は、出歩いている健康な人より事故などで死ぬ可能性がない分、窓から外の人を見て「来年春に死んでいる可能性は自分の方が高いかもしれないが、今日死ぬ可能性はこの人たちの方が高い」と思っていました。

なので、死ぬことを考えても仕方なく、『生きている内に出来ることだけ考えていればいい』というメンタルなのが功を奏したのかもしれません。

退院、そして経過観察期間へ移行

その後、RADPRATの治療は終わり、9週間に及ぶ入院も終わりと思っていたら、白血球など免疫関連の血液検査の値が異常に低くなってしまい、1~2週間様子を見ることになりました。

結局、血液検査の値は完全に戻らなかったのですが、早く家に帰りたいという私のわがままもあって退院の許しが主治医から出ました。

入院期間は、2021年5月21日~7月30日でした。退院はしたものの、放射線治療の効果は徐々に効き、根治出来たかは数カ月後に分かります。

退院時点では、まだ腫れているものの少しずつ腫れが引いてきているようには感じていましたが…それはまた別記事で書いていきます。

退院後、2カ月程の経過観察期間を経て、残存する腫瘍の状況を検査して、主に下記判断をすることとなります。

  1. 腫瘍の残存がない場合、寛解として、経過観察をしていく。

  2. 腫瘍の残存がある場合、その時の状況に応じて別の治療を行う。

本記事執筆時点では、すでに『2.腫瘍の残存がある場合、その時の状況に応じて別の治療を行う。』になることが分かっているのですが、それについては次の記事で書いていきます。

https://twitter.com/maiyamashusaku

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