届かない自分の声
僕は自分の声が嫌いだ。
声変わりする前はそんなに気にしたことはなかった。みな声変わりする前の声は高くてかわいいものだ。
初めて自分の声が嫌だなって思ったのは、声変わりが終わった頃。おそらく中学2年生あたり。自分の声が入った動画を見た時、気持ち悪いと思った。たぶんほとんどの人が経験したことのある、違和感を感じるあの感じ。できるだけ自分が喋っている動画は見たくないのが正直なところ。
自分の声を聞いて、「自分の声いいじゃん」って思えたら、それは僕からしたら誇るべきことだと思う。
でも自分の声が嫌いな理由はそれだけじゃない。
なにより、声が通らないことが一番嫌いな理由かもしれない。
僕の声質は、ちょっとこもっている上に、その音域がざわざわした空間の騒音・雑音とぴったり同じなのだ。つまり雑音と同化してしまう。だから対面で喋っていても、ちょっとでも騒がしい空間にいると会話が成り立たないことがしばしば。そうなるたびに自分の声質が嫌になる。
作詞家・いしわたり淳治さんの本の中にも同じような体験談が書いてあった。いしわたりさんも少しこもった声質らしく、居酒屋の中のざわざわした空間で、店員さんを呼び止めるのに苦労したという話。何回も店員さんを呼ぶが、全然気付いてもらえず、いろいろな呼び方を試しているうちに隣の客に笑われてしまったらしい。
いしわたりさん!それすごくわかります!
呼び出しボタンあるとめちゃくちゃ安心する。
高校生の時、授業中に隣の席の友達とおしゃべりをしていたら、先生に「〇〇さんうるさい!」って隣の席の友達だけ注意された。なんか悲しかった。ふつう「そこのふたりうるさい!」でしょ。
きっとその場にいた誰の頭にも残っていない、自分だけの思い出だ。
小さい時、声が小さくて人前ではもごもごした喋り方だった。だから「もっとハキハキと喋りなさい」といろんな人に言われ続けた。自分でも自信がなさそうに振舞うのはダメだと思うようになってから、ハキハキ喋ることは意識して、だんだん変わってきたと思う。
ただ声質はどうしようもない。
バイト中に接客している時。誰かを呼び止めたい時。普通に喋っている時。
決して周りがうるさいわけでもないのに、自分の声が相手に届かなかった時、やはり虚しさに襲われる。
どこにいても通るような声が欲しいわけじゃない。せめて、必要な時に必ず届くだけの声を。
これから何十年とこの声と付き合っていかなければならない。これからもたくさん苦労するんだろうなあ。
(いっそのことならファルセットでしゃべってみるか。)
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