朱鷺(shuro)

陸奥の国で鍼灸師をしております。 肖像画ではなく、文章に寄る「肖像」を制作することを…

朱鷺(shuro)

陸奥の国で鍼灸師をしております。 肖像画ではなく、文章に寄る「肖像」を制作することをライフワークとして進めております。 ブログ掲載に許可をいただいた方の記事を順次掲載していきます。 もしも、ご自身のこのような「肖像」制作ご希望の方はご連絡いただけると嬉しいです(*´▽`*)

最近の記事

肖像 ~災害医療~

嶺聡一郎先生  2019年2月2日。翌日に節分を控えた平成最後の冬の終わり。  前日は東京も「これが日本の冬じゃ~」という勢いで冷え込み、冷たい風が吹き荒れたのだが、嶺先生とお会いしたその日は、恐ろしいほど清々しいコバルトブルーの青空が広がり、まるで今日のインタビューを祝福してくれているかのようであった。(そんなに御大層なことだったのか!)  首都圏事情にうとい田舎者が、待ち合わせ場所がさっぱり分からなくて、「こ…ここは、いったいどこだ」「俺はどこに迷い込んでいるんだ!」と

    • 肖像 ~東日本大震災・フクシマ~

      鈴木暢弘先生  福島県郡山市にお住まいの鈴木暢弘先生をお尋ねしたのは、6月14日木曜日の午後。鈴木先生の治療院『はり・灸・接骨・快生堂』が木曜日の午後はお休みだとうかがっていたからでした。  当日は朝から綺麗な空で、清々しく晴れた梅雨の合間。  ナビを設定して行ったにも関わらず、何故か入る通りを間違えて一旦通り過ぎてしまい、途中で引き返してあちこち曲がりくねってようやく辿りつく始末。いつでもどこでも方向音痴は健在なのであった…。  13時のお約束がちょっと早めに着いてしまっ

      • 肖像 ~7年目の大船渡~

        山野目辰味先生  3・11震災より7年が経過。  その、東日本大震災よりずっと以前から、災害医療というものを心に描き、発災前から少しずつ対策を練り、いずれ訪れる災害に向き合っていらした大船渡病院の救急専門医・脳神経外科専門医山野目辰味先生をお尋ねしてきた。  6月ももう終わる29日金曜日、この日にお尋ねすることは今月初めにはすでにお約束していたので、週間天気予報を睨みながら、「梅雨に入ってしまった~! 天気悪っ」と数日前からヤキモキしていたのに。  なんと、その日は美しく空

        • 肖像 ~東日本大震災の記憶~③

          山形 光弘 先生  山形先生のお父さまは大船渡の地でセメントの石を運ぶというお仕事をされていたが、先生が21歳の時に亡くなってしまわれた。山形先生は四ツ谷の呉竹学園で鍼灸・あん摩マッサージ指圧を学び、大船渡の御自宅にて開業された。  2011年3月11日、大震災当日。「先生はどちらにいらっしゃったんですか? 」と朱鷺(shuro)が伺うと、先生は「申告に行ってたのです」。隣町、盛町の農協会館で集団申告の最中だったそうで、隣接する税務署にまさに申告しようとしているときに揺れは

        肖像 ~災害医療~

          肖像 ~東日本大震災の記憶~②

          井上 正敏 先生  井上先生は、大船渡の地に生まれ育ち、代々続く鍼灸院を継がれて診療を続けられてきた。評判を聞きつけて、岩手のあちらこちらから患者さんがいらっしゃる。御自宅兼治療院は、海から1kmほどの海抜15m程度の御自宅で治療院を営まれ、木造の薬屋も隣接されていらした。  その日、地震の揺れは凄まじかった。今までの揺れと違い、「津波が来るな!」と思ったそうだ。先生の御宅の建つ場所は地盤が固いのか、いつもはそんなに被害はなかったのに、その日は鍼などを収めているボードが倒

          肖像 ~東日本大震災の記憶~②

          肖像 ~東日本大震災の記憶~①

          新里 勤 先生  神奈川県川崎市に生まれ、静岡県三島市で小学校3年生までを過ごされ、その後、父方の伯父に呼ばれて岩手県大槌町へ。伯父さんは大槌にて洋品店を営まれ、その「暖簾分け」ということで、一家で転地。未だ見たことのない東北の地、どんなところなのかと不安に感じつつも、引越しして来られた。  静岡では雪を抱く富士山を見て育ったが、実際に雪に触れたのは大槌に来てから。そして、冬の寒さには驚いたとおっしゃる。まず、苦労したのは言葉の違い。特に沿岸部は独特で、言葉遣いがとても乱暴

          肖像 ~東日本大震災の記憶~①