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世の中から置いてきぼりを食らった夜に効くクスリは本。だと私が言い切るわけ

「40代で子どもを産むチャンスがもう限られていると思った時にすごく悲しくなって、子どもを抱いた人と擦れ違うのも、ちょっと“かすっ”と痛いみたいな感覚を抱いたことがありました」

と、あのキョンキョンが語ったらしい。

あのキョンキョンが。

なんてったってアイドルとして新しいアイドル像のセルフプロデュースを成功させ、時代を代表するミュージシャンのミューズとして愛され、映像や舞台作品にも爪痕を残し、文筆家としてもベストセラーを生み、50代を過ぎてからはプロデューサーとしての足場も手に入れたキョンキョンが。仕事だけじゃない、家族や友人を大事にし、大事にされているキョンキョンが。 

“かすっ”と痛いみたいな感覚。

人生で、大方の女性が経験し、それにより何物にも代え難い豊かさを得るとされる経験を選ばなかった(選べなかった場合もある)ことへの後悔? 

と、私たちはひとことで片付けようとするけれど、単純にひとつの言葉では言い表せない、“かすっ”とした痛み。

一瞬の摩擦により生じた痛みかもしれないし、やがて炎症を起こし、赤く腫れ、水ぶくれを生じる痛みかもしれない。

アーティストとしても一個人としてもいろんな可能性を味わい、豊かさを享受しているように見えるキョンキョンも、あの痛みを感じていた時期があるのか、と知ったときは、驚きとともに、少し安心した。そうだよな、完全完璧な人生などないよな、と(人の痛みをみて心が軽くなるなんて、なんとゲスな品性だろうと思うが)。その後、キョンキョンは「自分自身も誰かの経験や言葉に救われて、そうか、その手があったのかって、助けられることが結構あるので、私も積極的に言葉を伝えて誰かの励ましになればいいなと思います」とコメントを続けるのだが、まさに私は救われ助けられ励まされていた。

40歳を過ぎると、自分の努力や習慣だけではコントロールできないことが多くなる。積み重ねたものたちが、少しずつ手からこぼれ落ち、その価値までが目減りしていたことに気づきはじめる。だから、これまでの価値観やものさしをかたくなに信じていると、つらくなる。

自分の人生は薄っぺらいな。と感じるシーンが多くなった。

だからといって、自分を哀れむわけでも、悲嘆に暮れているわけでもない。相対的に見て、薄いな、デコボコがないな、と分析しているだけだ。

キョンキョンは「出産」に限ってコメントしていたけれど、私の場合は恋愛にも、結婚にも、仕事にも、どこかに〝やることをやらないでなんとなく素通りしてきてしまった〟感が強い。

リアルに「実践した/行動に移した」かどうかや、他者から「全力を尽くした/集中していた」ように見えるかどうかは別として、あくまで自分を客観視したところ、どこもかしこも中途半端だった気がするのだ。だから、私の人生は、薄っぺらい。

小説が好きなのは、実人生では手に入れられなかった〝豊かさ〟を与えてくれるからだ。〝かすっ〟を和らげ、なきものにしてくれるからだ。

ページを開けば、私は母親にも、父親にも、警察官僚にも、希代の犯罪者にもなれる。東京以外の場所にも住める。ポテチで腹をふくらませながら、マッチ売りで生計を立てる少女にもなれる。

だから、月に1冊も本を読まない人が6割超に上るというニュースを知ってびっくりした。スマホやSNSの普及が原因とみられ、公表した文化庁の担当者は「読書離れを顕著に示しており、国語力の養成に影響が出かねない」と危機感を示しているらしいが、国語力以上に、本が与えてくれる豊かなもうひとつの人生に気づかずに生きていくほうが、危機だ。と思った。

みんな、スマホで、何をそこまで見ているの? SNS? ネットニュース? だとしたら、つらくなりませんか?

私は、つらくなるよ。

編集者という仕事柄、見ないわけにはいかないし、時には積極的に投稿やシェアといった行動も起こすけれど、一定量を超えると没入感がハンパなくて世界のすべての意見や視点がタイムラインにしか存在しないような思い違いを起こしてしまう。

〝担当した本、売れてます!感謝しかありません!〟的なコメントを見れば、自分はダメだ、著者に申し訳ない、もう消えたい・・・・とすぐ落ち込む。

仕事に限らず、ていねいな暮らしや効率重視の家事テク、節約ポイ活の知恵、生き方における格言などを見ては、ああ自分は損してる、うまいことやってない、志が低い、だから薄っぺらいんだ、とすぐ焦る。とくに夜も更けた時間帯は危ない。

本は、そこまで私を追いかけない。追い立てない。詰め寄らない。

うまいことやってる人物も、私みたいにデフォルトが怠け者で中途半端な人物も、私から見てもさすがにクズだなと思う人物も、笑ったり泣いたり落ち込んだりしている。そこには明確な正義や正論は存在しない。警察は出てくるけど、人生まるごと取り締まれる刑事はいない。

生きていれば、どうやっても手に入れられないものが出てくる。それにより豊かさが損なわれると思うならば、あえてニセモノを、手に入れてもいいんじゃないか。

筋トレ、ゲーム、推し活も、同じだろう。

私はたまたま本が好きで、本に深くかかわる仕事がしたくて、けっきょく本のおかげで食うことができている。本は確実にわたしの人生を豊かにしてくれている。だから、本のありがたみを伝えていきたい。

置いてきぼりを食らった気持ちになる夜は、SNSより、本を読んでみて。
大丈夫、ひと晩スマホを見なくたって、仕事でだれかに迷惑はかからない。
あなたを責める人は、いない。

でもね、“かすっ”と痛いみたいな感覚、も、また人生の豊かさのひとつなんではないだろか、とも思ったりする。そんな感慨を深掘りできる本も、世の中にはたくさんある。

文/マルチーズ竹下

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