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校閲は、編集者がどこまで行うべきか?
編集者の仕事のひとつに校正・校閲があります。
校正とは、文字や文章など、日本語として間違いないかを確認する作業のことで、
校閲とは、本の書かれている内容について間違いがないかを確認する作業のことです。
校正でチェックするモノ
校正の基本的な要素は、誤字脱字や、「ら」抜き表現、二重敬語などを確認することです。
誤字脱字をなくすのは当然ですが、「ら」抜き表現や二重敬語などは、微妙になっています。
たとえば、「見られる」と「見れる」。正しい日本語は「見られる」です。
しかし、言葉は時代とともに変化していっています。
「見れる」を使う人が多くなっている現在では、間違いとは言い切れなくなっているのです。
実際、私もあえて「見れる」のまま本にすることがあります。
著者やライターさんが「見れる」と書かれた原稿を作成し、その本のターゲット読者の多くが、「見れる」を使っていそうな本のときです。
この場合、「見られる」に修正せず、「見れる」のまま本にしています。
校正では、主語と述語の一致を確認することも行います。
1文が長い文章を好む書き手の場合、まれにですが主語と述語があっていません。
そのようなときに主語を受けた述語に修正します。
このように、日本語としての間違いをなくすのが校正です。
校閲でチェックするモノ
校閲では、本の内容の間違っているところを探す作業を行います。
たとえば、「富士山の標高は3776メートル、北岳は3193メートル」という文章が書かれているとします。
この場合に、3776メートルや3193メートルが正しいかどうかを調べる作業が校閲です。
「富士山の3776メートル」は、間違っていないという自信があるでしょうから、正しいかどうかの裏取りはしません。
しかし、「北岳の3193メートル」を正しいと言い切れる人は少ないと思います。
このようなとき、裏取りをするのが校閲です。
校閲の基本は、「正しい」と自信があるモノ以外について調べることです。
校閲で裏取りをするサイト
では、どこで調べるかですが、現在はインターネット検索が中心です。
このとき、どのサイトで裏取りをするかが重要となります。
まず、ウィキペディアはNG。
ウィキペディアは、「だれでも書くことができる = 正しい情報かどうかはわからない」という理由からです。
もちろん、ウィキペディアに正しい情報が載っていることも少なくありません。
でも、本の校閲の裏取りをする対象とみた場合、ウィキペディアはふさわしくありません。
校閲で調べる先は、正しい情報が載っていると思われる「信頼できるサイト」です。
代表として挙げられるのは、省庁のホームページでしょう。
上記の「北岳の3193メートル」を裏取りするならば、国土交通省のサイトです。
このような地味な裏取りという作業を繰り返すのが校閲です。
間違いゼロは不可能
100ページや200ページもあるような書籍にて、校正・校閲で間違いをゼロにすることは不可能です。
実際、あの『広辞苑』でさえ、初版では間違いが残ったまま刊行されています。
人間が行うことですから「ゼロにはならない」。でも、限りなくゼロに近づける努力は求められます。
校正・校閲によって間違いゼロを目指すのは、自動車の運転で事故ゼロを目指すのと同じような感じです。
自動車の運転で事故ゼロを目指すため、教習所や警察では「『あの横道から人が飛び出してくるかもしれない』という考えで運転しましょう」と指導します。
これを行えば、限りなく事故ゼロに近づくことができるでしょう。
しかし、実際は見通しが悪い交差点において、毎回、徐行をしている人はいません。
校正も校閲も、間違いをなくすための基本は、「間違っているかも?」と疑いながら取り組むことです。
すべての文章について、この考えに沿って確認していけば、誤字脱字や内容の誤りは限りなくゼロに近づくでしょう。
しかし、本作りの現場では、すべての疑問について調べていないのが現状です。
すべての疑問に対して裏取りをしていると、時間がいくらあっても足りないからです。
現場では、校閲をどのようにしているのか?
ところで、あなたは5年前に放映されたテレビドラマ「校閲ガール」をご存じでしょうか。
このドラマは大手出版社の校閲部が舞台です。主演の石原さとみさんは、校正・校閲を行う部署に入った新人という設定で、物語が進行していきます。
ドラマを観たことがある方は、「すべての本の校正・校閲は、プロが行っている」と思われているかもしれません。
実際、校正や校閲のプロはいらっしゃいます。
ドラマの舞台のように、大手の出版社には校閲部が存在していますし、校正・校閲を専門に行っている会社もありますし、フリーランスのプロもいらっしゃいます。
一方で、中小の出版社には、校閲部はありません。
校正や校閲を外部のプロに依頼することも、なかなかできません。
予算に余裕があれば、外部のプロにお願いできるでしょうが、本が売れなくなっている現在、予算は絞られてきています。
結果、校正・校閲を外部のプロに依頼することができなくなっているのです。
そうしますと、校正や校閲はだれが行うのかですが、まず挙げられるのは著者と監修者です。
著者や監修者は、その本のテーマの専門知識をお持ちですから、内容の確認は、基本的に著者や監修者が行います。
しかし、彼らも人間ですからモレが出ますし、間違っているのに「正しい」と勘違いして見逃すケースもあります。
さらに、著者や監修者の性格もかかわってきます。
細かな作業が得意な方でしたら、ある程度、お任せすることができます。
しかし、細かいことが苦手な著者や監修者もいらっしゃいます。
また、とても忙しい方や合理的な考えが強い方もいらっしゃいます。そのような方は、内容の確認に、あまり時間を割いていただけません。
結果、確認モレが残ります。
そうしますと、残るのは編集者だけ。
間違いのない本を出版するためには、編集者が最後の砦となって確認するしかないのです。
でも、自信のないすべての内容に対して裏取りをしていると、時間がいくらあっても足りません。
そうなると、バランスの問題になります。
「ここはある程度、自信があるので調べない」
「ここは著者や監修者に任せる」
「ここは自分でも調べる」
これらのバランスをとりながら、校閲を進めていくのです。
バランスをとりながら、間違いゼロを目指していくということです。
そして、裏取りされた正しい情報が読者に届くのです。
今回は、「校正・校閲を編集者がどこまで行うべきか」についてお伝えしました。
いかがでしたでしょうか。
文/ネバギブ編集ゴファン
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