宇治川のほとりにたちて何思ふ
神社に参拝に行った。
さて、神に出会うのは、鳥居だろうか? 拝殿の前だろうか?
旧約聖書には、このように書かれてある。
神は自分の作ったものを眺めて祝福された
この神の心と同じ心境になったときに、神に出会うとすれば
それは、拝殿から鳥居を含め、全てのものを慈しみながら
眺める気持ちになったときであろう。
近年、イギリスのフィリップ王配殿下は
混迷に満ちた世界を救うのは、科学ではなく、宗教だろう
とおっしゃったそうだが
宗教というよりは、神と等しき心境を目指す宗教心であろう。
即ち、真・善・美
中でも、これからは、美が最重要であろうと思う。
京都、宇治川のほとりに立つ。
何という気高さ、何という美しさ、何という恵みであろう!
宇治川のほとりにたちて
何思ふ
気高きものの優しさと
恵めど尽きぬ慈しみ
宇治川のほとりを歩き
何思ふ
育むものは誰ぞある
思いを何にかけるべき
2018年8月17日 五島秀一
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