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制作の原点「極個人的なワクワクがパブリックに広がるとき」-小学生の頃の個人新聞の取り組み-

【原点】

新聞をつくるのが好きでした。
小学校5年生〜6年生の頃の話です。

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通っていた小学校では、5、6年生の時に「個人新聞」の取り組みがあり、先生が用意してくれたテンプレートの用紙に記事を書き込んで後ろのロッカーの上に掲示するというものでした。


5年生の僕は『友達』というタイトルの新聞を発行しました。

学校での出来事、読んだ本のこと、開幕元年のJリーグの勝敗、釣りのこと、ゲームの攻略法、オリジナルキャラクターの紹介などを記事にしてつくりました。この取り組みにのめり込んで1年で120号発行しました。ある時から掲示板の画鋲では重さに耐えきれず朝投稿すると落ちている新聞の束を張り直すことが日課になりました。

(因に多くのクラスメイトは10号程だったと記憶しています。)

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6年生になり、この取り組みは続けられ、僕は新たに新聞のタイトルを「穴のあいたくつした」としました。

「友達」からみたら「ずいぶんぶっとんだタイトルにしたなぁ」と自分でも思いますが、5年生の時の「友達」という新聞のタイトルが他のクラスメイトと同じになってしまった事もあり、こんどは絶対に被らないタイトルをつけようと、ずいぶん悩んだ末のタイトルだったと記憶しています。

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「穴のあいたくつした」はさらにグレードアップし、10号単位で紙面の仕様が変わる仕掛けをつくり、読者のイラストやだじゃれなどの投稿スペースなども設け、その発行は、1年で200号になりました。
(仕掛けは、カラー版、A3版、両面記事版、イラストを投稿してもらうとプレゼントあり版など)

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この取り組みで面白かった事は、極個人的な「わくわくしたこと」を「新聞」というメディアに乗っけると公共空間で「わくわく」が伝わって行くという体験でした。新しい号の発行で、掲示板の後ろに糊付しにいくと、またたく間に人だかりができるのもなんだかくすぐったくも楽しい瞬間でした。図書室にある面白い本の紹介をするとそれが密かなブームになっていたり、また釣りの釣れるポイントの情報は、瞬く間に広がり、釣り場の魚がスレてしまったり(魚が学習をして釣れなくなる)もしました。

僕はこの取り組みを改めて今見返した時、「つくる」と「つたえる」の双方の組み合わせにとても興味があるのだと実感します。

ただつくるだけでなく、つたえるだけでもない、双方の関わり合いに「わくわく」を見出します。

再びここに立って今の取り組みを見た時、作品をつくるだけではなく、その作品の置かれる環境もつくることに大きな価値を見出していることは、この時の経験が大きいように感じます。

ある人に、「プロジェクト等に中心的に関わっている人の多くは子どもの頃に、1人プロジェクトを行っている場合が多い」と指摘された事があります。その言葉をもらったとき、やっぱりまっさきに思い出されたのがこの「個人新聞」の取り組みなのでした。

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この取り組みは、約20年後、「さいたまトリエンナーレ2016」で実施するプログラムの1つに繋がります。

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https://www.excite.co.jp/news/article/E1481190270432/

そして、その取り組みを取材してくれた記者さんは、私の個人新聞の取り組みも記事にしてくれました。

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https://www.excite.co.jp/news/article/E1482739939012/

夢中で続けていることが、未来に繋がり、その時間軸の中で自分を含め、新しいワクワクを生み出す経験はとても貴重なものでした。今後とも制作を続けていこうと思います。


記事は、2016-06-20 01:07 に書いた物を一部加筆・修正して公開

⚫︎写真作家・造形ワークショップデザイナー ・キュレーター・「時間」と「記憶」をテーマに制作。2012年〜ヒロシマの被爆樹木をフォトグラムで作品制作 ●中之条ビエンナーレ2019参加アーティスト ●さいたま国際芸術祭2020 市民プロジェクトコーディネーター