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文武両道という言葉への違和感

文武両道(ぶんぶりょうどう)とは、文武両道とは一般的に「文」とは文事、「武」とは武事のことを指し、その両方に努めていることを意味する語[1]。しかしながら、今日では「文」は「勉学」、「武」は「運動(スポーツ)」 のことであり、その両面に秀でた人物に対して用いられることが多くなっている[1 Wikipediaより

今日のプレイヤートークをみていたら、文武両道というワードが何度か出てきた。
確か高校時代はどのような感じだったかというテーマについて話しているとき。


僕は中学生くらいの時から文武両道という言葉に違和感を感じていた。もっと言えば文武両道という言葉が好きではなかった。

文武両道は上に書いたような意味として浸透しているはずだ。

勉強もスポーツもどっちもできる人、頑張っている人を指すはずだ。


しかし実際はどうであるか。

僕の出身高校の校是にもなっている文武両道であるが、

どこか"武"の部分は二の次みたいな感じがなかっただろうか。運動部に入ってさえいれば"武"はよくできていて、問題は"文"の、ところみたいな風潮は皆さんの周りにはなかっただろうか。

そもそも僕は教育現場に文武両道という言葉を用いる事で、文化部へのリスペクトが足りていないのではないかと感じている。

文化部に入った時点で"文武両道"は達成していないのでは?といつも思っていた。


文武両道と言っている以上、その二つの要素は同じように評価されるべきなのに、
運動はさておき勉強を頑張る人
勉強はしないが運動はとても優れている人
この二者を比べたときに評価されていたのは前者の方ではありませんでしたか?


社会的に信用されるのが勉強だ!

という意見があるとしたらなぜ教育現場では頻繁に文武両道なんて言葉が飛び交うのでしょう。


もっと"文"を強調した言葉が目立っても良いのではないでしょうか。


僕は将来教育者になりたい。

でも文武両道なんて言葉は使いたくない。
生徒が目指したい方をとにかく頑張れば良いと思うから。
ただ僕はどちらも結果はさておき頑張ってきたつもりだ。
だからこそ高校までのサッカーの成績は芳しくなかったものの、当時の高校サッカーのライバルたちと比べると今はおそらく一番レベルが高いところでサッカーが出来ているのではないだろうか。
勉強も自分の中では手を抜かずやってきたからこそサッカーにおいてもすごく良い影響があった。

文武両道を目指すことのメリットはここにある。

だが、僕はそんな言葉を易々と使いたくはない。
メリットを知るからこそ、スポーツを頑張る生徒に、勉強をしておけばいつか助かるときは来ると言うことは是非とも伝えたい。

ただ僕はその生徒がどうしてもスポーツ一本しか考えたくない、勉強一本しか考えたくない

という意見なのであれば僕は尊重したい。
まして文武両道という言葉を使いながら、部活に精を出さず勉強に明け暮れているエリート学生の事を簡単に評価したくない。
何度も言うが文武両道なんて言葉に違和感を感じるからだ。


こんな教師はニーズがないのだろうか...

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