たなしゅん

横浜F・マリノス🇫🇷 22歳 大学4年生 防災という言葉をこの世から無くせたらなぁと…

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横浜F・マリノス🇫🇷 22歳 大学4年生 防災という言葉をこの世から無くせたらなぁと。 主に東北沿岸地域をふらふらとしてます

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最悪な負け方をして渋谷で韓国人に励まされて泣いた話

最後まで声を出し続けた。 距離感の掴みづらいピッチの向こう側で、相手ゴール裏の歓喜が伝わる。 終了間際の致命的な失点であった。 それでも手を叩き、応援するチームの名を叫ぶことをやめなかった。 ここで折れて何がサポーターか、トリコロールのユニフォームを纏う選手達が戦い続ける限り、自分たちが諦めていいわけがない。 先月経験した柏戦での劇的な逆転劇もその支えとなっていた。 とにかくこっちまで持って来い、来い、来い、その一心で声を送り続けた。 それでも終わりはやってきた。 ピッチに

    • 教育実習生になってみて、教育実習生を思い出した

      教育実習生になった。 母校ではない高校で、2週間過ごさせてもらった。 人に恵まれ、感謝しかない期間であった。 一方で、高校生や大学生にとって斜め上の、ともすれば憧れになりうるその存在の正体は、至って普通の大学生であったのだとも感じた。 そんなことを知ってなお、唯一印象に残っている先生がいたことを思い出した。とはいえ、名前は全然思い出せない。 アカマ先生だったか、エビナ先生だったか、全然思い出せない。 日体大出身の体育の先生だった。 あのマリノスが誇る、走る筋肉こと高野遼

      • 私とマリノス#1

        試合終了のホイッスルが鳴る。ピッチの上に崩れ落ちる背番号25。テレビカメラに抜かれたその背中を今でも鮮明に覚えている。 出会いの天皇杯横浜F・マリノスが優勝を逃した2013シーズン、その年の天皇杯決勝の舞台に僕はいた。改修前最後の国立競技場。偶然チケットが当たったのだ。マリノス側で。 それまでマリノスは好きでも嫌いでも無かった。当時のスター選手であるボンバーこと中澤佑二選手や中村俊輔選手は知ってるしまぁ好きくらい。 ただテレビで崩れさる中村俊輔の衝撃的な姿は、強く印象に残

        • 2021シーズン目標 ~ざっくり編~

          2020年中はお世話になりました。今年もよろしくお願いいたします。 さて、目標を立てようと思います。 まずはざっくりしたやつ、思いつくままに。 ・逃げないでやる ・逃げるなら逃げ切れ ・すべてはマリノスのために 逃げないでやるこれはもうそのまんま。あとでやろうを辞める ボールロストの瞬間から切り替えて、早い段階で回収するてこと。 逃げないでやらないといけないことは、およそ楽でないものが多い。 それをサッカーで言う守備だとするならば、できるだけそれをやっている時間

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          三陸花火大会が良すぎて痛風になった話

          ※本文には「痛風」の話は一切ありません。痛く刺さるほどよかったという例えです。センスが迷子ですが、ものは例えです。はい。 花火は今までの自分にとって手段とか口実だったなぁと思って。部活の友達と駄弁るための、河川敷でポテチをあてに安いお酒を飲むための口実であり、「花火行こう」の花火は自分にとって主役じゃなかった。 今回もそうで、陸前高田に行くこと、友達と出かけることが大事だった。正直な話、とても失礼だけれど、打ち上げが始まってすぐはお腹を満たすほうが優先だった。もちろん、ス

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          専門家になりたい

          note見るのはとても面白い。 自分の周りの身近な人から、第一線でプレーするサッカー選手までいろんな人の考えをのぞくことができるから。 で、そんな素敵な考えに触れる度に、その時感じたことをこのnoteに書き残しておこうと思った。 思って思って思って、やらなかった。受験期にこのnoteを見つけてから早3年やらなかった。 note始めようと思った回数選手権なら世界狙える自信がある。 そして遂に、この期末レポート、試験、実験レポートに追われて疲れたこのただ今、note書い

          専門家になりたい