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日々の雑感 day52【歩かないことが「利便」という車世代のギャップ】

おはようございます。

今日はうちの下の裏道を歩く親子連れや学生の横を抜けていく車を眺めて、書いてみる事にしました。

☆ウォーカブルシティを妨げるマインドセット

僕がこの長野県伊那市に来たのは2014年の事。

中心市街地活性化の担当者として市役所を始めとする公的な機関、団体とも話し合いをしていくなかで、ここが実は最も難しいレベルになりそうと思ったのが、この「歩く」というデザインでした。

2015年にはスペインのバルセロナで自ら街を歩き、ガイドさんに学びながらその思想や根底のマインドセットにも触れてきました。

こうした歩行者が安全な街は、街としての価値を上げていく。
グランドレベルとも呼ばれるその言葉は、こちらの著書にも見られるように民間レベルでは当時から積み重ねられてきたものでした。HAGISO の建築夜話とかまた再開しないですかね・・。

当時の僕。そして他の多くのまちづくりと呼ばれる民間側の現場でおきていたことの一つが、車信仰とも言える上の世代の「主観的思い込み」との関係だったと思います。

街の回遊性の話をして、回遊性による人の流れと地域経済の活性化には賛同してもらえるのですが、いざ「歩きましょう」という話になると「嫌だ」と言い始めるわけです。

店の前に横付けできる。そうでなければ、ほぼ歩かない距離に駐車場があることが「利便」であって、歩くなんて馬鹿げていると事実上の手のひら返しをしてきます。

そりゃまあ、行政内の決定権者や議会にいるような人々がそんな考え方をしていれば、彼らが率先して街ではなくロードサイトのチェーン店を愛用し、地域のお金(彼らの給与の財源はどこですか?)を東京や海外にせっせと輸出していく姿は想像に難くないわけです。

率先躬行の怖ろしい所は、こうした日本のようなピラミッド社会では上のモノが悪い手本になってしまうと、下まで一気にその悪い手本が伝播し、悪化してしまうこと。

先の厚生省のどんちゃん騒ぎとか典型ですが、規制を作る側が自分の規制を守らないようでは、誰も守るものがいなくなってしまうんですね。

うちの近くの路地とかは、軽自動車一台やっとの道で片側ブロック塀で見通しもきかない。それでもタクシーや運送業者のトラックが突っ込んできてポールや電柱は傷だらけです。

でも「歩かない正義」はこうした運転側に共感性を見せて、その車両によって脅かされる住民、高齢者や幼少期の子供のリスクには無関心だったりするわけです。

それはつまり、彼ら自身もこうした裏道、抜け道を使う運転手である可能性も高いからと言えるのではないでしょうか。

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☆2020年の制度化でどう変わるのか

とはいえ、2020年に国交省がウォーカブルシティを打ち出したことで風向きは変わってきたように思います。上意下達の世界なので、こういう形になるとそれまでの経緯はなかったことになり、国⇒自治体という形で「職務」として取り組み始めるからです。

実際にはこうした民間の先進的な取り組みを研究したり、時には中にはいっていったような国家公務員の方々(単に事例を集めてみたケースもありますが)によってこうした方針の多くが出来ています。

ですので、本来は各自治体が、自らの地域で先進的な挑戦をする人々の話を聞く耳さえ持ってさえもっていれば「先んじて」出来ることが殆ど。
ここは、強めに触れておきたいところで、うちのケースでも、路上脇の私有地空間で「キッチンカーでカレーの日」を始めたのは2019年であり、国交省の2020年に先んじてやっています。

そして国側のブーメランにも触れておくと、これまで予算や天下りといった利権の枠の中で地方自治体が受け身になる習慣を積み重ねさせてしまった歴史があります。

これは否定できない自責の部分であり、その結果、こうした時代の変わり目で「地方自治」の主体的達成を目指しても難しい状況になりました。この一年繰り返されてきた「国が」「地方の首長が」という責任のなすりつけあいは、まさに象徴的ではありませんか?

と、話を戻すとそんなわけで、今も各地域の現場に必要な事は、FACTに基づいた「車」という存在の考え方。マインドセットの再定義からだといえそうです。

例えばG市がそうであったように、車に慮りすぎて都市デザインを誤り、市電を待っている人が車と接触するような空間を作る。
あげくにその結果から「市電をなくそう!」と車をどこまでも優先し、車の為に街を衰えさせてしまったようなことは今後、いくらでも繰り返される可能性が高いでしょう。

合意形成の中でこうした「主観的で車ありき」な声の大きな人を尊重し、忖度してしまうと、子供や高齢者の歩けない街が出来てしまいます。

そして、車に乗れない子供や高齢者は歩けない街には住まないので、高齢者とその介護者世代。子供とその両親を地域から追い出す結果になるのは必然なわけです。

免許を返納する高齢者と未来の為の子供のいる世代。

この二つのカテゴリーに優しくない街は、自ら滅びの道を歩むだけなんだろうなと思います。

なので、車ありきのマインドセットを忖度すると、滅びかねないですよ。
と、久々にLocalっぽいことを書いてみました。

*参考




ありがとうございます。頂きましたサポートは、この地域の10代、20代への未来投資をしていく一助として使わせて頂きます。良かったら、この街にもいつか遊びに来てください。