コーチの社会分析 Note【オーバーユースと当事者視点。稼ぐという考え方】

上記ニュース画像の涸沢カールではテントが300を超えているそうですね。日本を代表する大自然の深淵部ですので、本当に安全第一でと送り出し、祈っているこの3連休です。

日本人の悪い癖で、遭難の多くが「せっかくの休みなんだから」という考え方から生まれています。いわゆるコスパ思考というやつで、せっかくの休みの時間を費やすのだから「元を取りたい」とか「期待通りの体験をしたい」と考えて、天候や状況を無視した行程を選択します。

日常でも北アルプスでは午後4時、南アルプスでは午後3時目安には山小屋へ到着ということが公に発信されています。しかし、国内、海外を問わず、完全に日が暮れてから到着するようなケースは後を絶ちませんし、うちのエリアでは何回忠告しても二次交通のアクセス時間を修正しないので、山小屋の午後3時着には到底間に合わないというアクセスリスクを運行側がつくってしまっています。

なぜか「ニーズや必要性を感じない」という言葉が出てくるのですが、事故が起こるまではその予防的措置は必要ないという意味なのでしょうか?

ましてや、ここまで触れてきた富士山登山の無法地帯化なんかは、登山者視点として、目も当てられない。関わりたくない印象すら感じます。

☆構造的ミスマッチング

これら観光事業における課題の多くは、実は行政と民間の関係性に生じている部分が少なからずあります。例えば日本人の多くは自然の利用は「無料が当たり前」と考えており、自然を汚そうが、消費しようが「税金でリカバーされる」→「税金払ってるから無料でOK」という考え方に結びつけ、そんな態度、行動に出てしまう。結果、BBQ後の河川敷ゴミを始めとするマナーのニュースになってしまうわけです。でも、管理者側は、有料化しないことがほとんどですよね。
 
一方で、ここまで既出のように登山を愛する方々は「登山料は強制で」と意見を表明しています。欧米では至極当たり前のライセンス制度であったり、国立公園で稼いで再投資をしたりというスタイルは、こうした考え方の根底が多数派になって成立しているとも言えそうです。
 
そしてこの違いの根底は、行政組織の「お金マインド」に端を発していると考えられます。これまで触れてきた富士山の件しかりで、お金を取るという行為に対して無意識的拒絶反応を示すのが、ここまで触れてきた行政組織の文化であり、無意識レベルの考え方といえます。

☆ミスマッチングも考え方から生まれる

【そもそもなぜ役所まわりは失礼な人が多いのか。それは売上がないからだと私は思っています。役所はカツアゲみたいに税金集めて仕事できるから、信頼、関係資本で仕事してる実感も、重みも感じにくいが、そういうことを理解していない】

木下さんがちょうど書こうとしていた部分を描いてくれていますので、ご参考頂ければと思いますが、まさにこの経済の基本や「つながり」を軽視という文化が構造的な欠陥にすらなっているのではないかと推考出来るわけです。

実際、あるガイドさんから聞いた「ガイドは一日3万稼げればいいだろ」と言われた話であるとか、行政系三セクに出向してきて「登山者にはレトルトのカレーかカップ麺でも食わせとけ」みたいな発言してたとか。そんなずれた話を真顔でドヤ!と「俺、いいこと言ってるぜ」としたり顔をしてる人々がリアルにいる。まさにギャップ。

僕なんかは「トップガイドが1000万稼げない。そんな長野の山岳に未来あるのか?」と言ってるわけですが、もうカルチャーが違いすぎるんですね。

当たり前ですが、山岳ガイドって公務員みたいに山に張り付いて週5日で働けるわけではないんですよ。天候状態もあれば、送迎、装備の交換等。夏山ハイシーズンの約4か月の間に詰めて稼働日数6割いったとして約70日。×3万の収入210万で実質利益として手に残るのはどれだけでしょう。長野で日本アルプスと呼ばれる山々で、人様の生命のリスクも背負ったうえでこの収入って本当にその技量や技能にみあった適切な価格なんですかね。何を基準に上記の方は3万なんて主観的発言をされたのか・・。

僕はガイドの健康状態も考えるなら、平均で夏山ガイドが利益(収入ではない)5万×50日くらいを目指していくのが、業界として、エリアとして普通の考え方だと思うわけです。当然、一日単価10万くらいで年間100日くらい稼働できる。あるいはそれ以上のガイドがブランドとして生まれるべきですし。

それをなぜか規制しようとする。稼ぐな、儲けるなという無意識が顔を出す。これって日本の経済にとっても、とても危ない。まさに永遠のデフレ思考なのではないかとも思うわけです。

☆クローズド・ループ現象を脱却せよ

上記リンク「失敗の科学」では、

【失敗や欠陥に関わる情報が放置されたり、曲解されたりして、進歩につながらない】

状態をクローズド・ループと定義しています。このループに陥っているカテゴリーには「言い逃れの文化」があるというわけです。ミスは「不測の事態」「偶発的な事故」として捉えられ、当事者は「最善を尽くしました」と言っておしまい。

しかし、オープン・ループと呼ばれるカテゴリーにいる人々は、この失敗を「データの山」として捉え、誠実に向き合い、そこから学ぶことを文化とする。

どちらの文化に生きることを決めるか。

それこそが、私たち自身の人生の選択でもあるのです。

*というわけでニュースからの番外的な回になりました。前回触れた時間と幸福の視点は、また次回以降に!

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