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日々の雑感 day12【Go to キャンペーンが描いている模様①】

どうも、お久しぶりのさいさんです。

9月21日から約10日間の北海道行き、そのまま飛騨へ向かい、長野に帰宅後はたまりにたまった業務をこなして週末キャンプ。

ようやく note に向き合う時間を取ることが出来ました。

今日からは、その旅の中で見つけたこと、感じたこと、考えたことをまとめていきたいなと思います(分析ベースではこちらの瀬崎さんの連載を参照して頂ければなと思います)。

☆ダブルバインド(二重拘束)からの解放

日本の会社、教育の現場で日常的に起こっているのがこの現象です。わかりやすいところでは

「指示、命令に従えという上司や教師が、指示、命令に従った部下の成果、結果が伴わなかったり、真面目に指示や判断を都度都度仰ぐと、それくらい自分で判断できないのかと突き放す」

ようなケース。今回の件で、国の行政はダブルバインドの対応が多く、大多数の国民をフリーズさせてきてしまいました。

「Go to での移動は大丈夫だが、帰省は自粛してほしい」

とか

「Go to 東京はダメだけど、神奈川や埼玉、千葉は大丈夫。あ、地方の人も、普段はそれぞれの県境は超えないでね」

とか。そして、どちらかを極端に信じて実行した国民同士は対立し、動いた人に石を投げるような話だったり、こうした行為に対して東京エリアからは「ばい菌扱いするな」と叫んでみたり。

人と人の分断を国の主導で進行させてしまったように感じる人も多いでしょう。

実際、2011年の震災時には東京エリアでは真逆な状態が発生していました。福島からの避難者を「放射能」といじめるケースが多々ありましたし、放射性下降物総量は宮城や岩手よりも関東の方が多かったのに「東北は危ない」とFACTとは異なる主観や思い込みをTwitterやSNSで拡散したりといったことが普通に起こっていたわけです。

☆民に情報は知らしむべし

2011の時も、今回も本質は変わりません。

国としてどのような情報、エビデンス、解析の結果、こう判断するというメッセージがきちんと表現されていない。

情報が透明でオープンに明確に伝えるという基本をこの国の行政は出来ないのです。いつも過程を省いてゴニョゴニョと結論だけを国民に丸投げしていきます。それも明快ではなく、どちらでもないような曖昧な情報であることが殆どで「察してね!」という国民への無茶ぶりが続いていくわけです。

まさにダブルバインド。対立もするし、国民のストレスが加速度的にあがっていくのも必然と言えるでしょう。

6月末頃は旅行に行こう!だけどお盆に帰省はしないでほしいというメッセージになっていましたし、東京での感染者数をメディアがただ煽っていったことから再度の緊急事態宣言を望む声もあるような状況でした。

しかも、3月に配られる筈の10万円が届いていなかった人々も少なくないなかで、休業補償もない。自粛してほしいんだけど、店やサービスの事業はあくまでも民間の問題なので関与しないからよろしく!というこれまたダブルバインドな国民丸投げの責任回避したいだけ政策判断が続いていたわけです。

会社の経営はどんどん厳しくなるし、人々のストレスはどんどん上がっていきます。もとの生活に戻るから我慢するのか、もとの生活には戻らないからどうするのかということすら、国民一人一人が情報も乏しい中で判断し、決定し。そして動いた人には石を投げつけようみたいな同調圧力の環境もまた並行して作っていたわけです。

いやあ、本当にみんな大変でした。

☆きっかけは東京OK!

そして、9月に入って東京が GO TOキャンペーン に加わる情報が公開されました。その結果、メッセージがシンプルになりました。

誰もが相応のマナーを守り、マスクを携えていけば、国内どこにでも移動可能となる。そんなメッセージとして国民が理解しやすくなったのです。

加えて、みんなストレスがたまりにたまっています。環境を変えたい、動きたいと思うのは当然でしょう。この夏も距離を保ち、自然と火の力を使えるキャンプはかなりの伸びを見せていました。

この状態で、アウトドアのカテゴリーに入れなかった人も動ける。解放されるという心が働く。9月の4連休はこうした複合要素が重なり、一気の移動ブレイクがほぼ偶発的に発生したのだと思います。

☆やってはいけない二重拘束のメッセージ

個人的に出発前、帰宅後に感じたことは、とにかくダブルバインド(二重拘束)はいかんということ。ましてや行政のような組織がこれを日常的にやるのは被害が甚大です。

Go to の是々非々以上に、前提となるメッセージ。そこに矛盾がないように、オープンに、わかりやすく、明確な方向性を示してという基本が出来ていないのはとにかく辛いことは体験したわけです。

もしそこがきちんと出来ていれば、Go to はもっと違う捉え方をされていたでしょうし、国民の分断も起こりにくい状況となったでしょう。本質としては、政策の個々の話しよりも、こうした行政のマインドセットの変化こそが望まれるところと言えます。

そういう意味でもオーセンティック・リーダーシップは、時代のニーズとして身に着けておくとよいスキルだと思います。

それと、こうした癖がある人々への処方箋としては、失敗を失敗と受け取れる自己受容力、そこから学ぶ真の学習力と実行力が必要ではないかなと考えます。

でもまあ、こういう人々はなかなか自分自身を客観して、学ばない。だからこそ、いつまでもこうした回避、自己正当化の世界から抜け出せないんですけどね。

というわけで、フライトもしていませんが、次回からは北海道のお話をしていきます。


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