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伊那市ダブル選後【ファクト考察 観光と経済③「認識のアップデート」】

さて、伊那市のダブル選も終わり、結果も出るべくして出た感じでしたね。
ということで、アフターになりますが「観光と経済」を続けていきましょう。これが三回目、今日は心理学的視点を交えて行きたいと思います。

☆ダニング・クルーガー効果とは?

うちの現在の本業は「対人支援」です。ひらたく今風にいうと「メンタルコーチング」と言えるでしょう。国内を代表するような企業や経営大学院の方々のパートナーもさせて頂いたりしていますが、地域ではあまりそうは見られていないようです。

これは良し悪しではなく、いわゆる人の「認識」というテーマで生じるものです。そして、その中にダニング・クルーガー効果というものがあります。

この効果を一言でいうと、出来ていない人ほど自分(自分達)は出来ていると思う。地位や権力が伴うとその傾向はさらに強化されるというものです。

例えば、テストで下位12%だった人達は、テスト直後の自己評価が「自分は上位3割の中にいる」と想像していたりとか。あるいは刑務所にいる囚人たちが「自分たちは普通の人と同じように法を守っている」と思っていたりとか。また、世の中の専門家と呼ばれる人たちの予想や予測が当たらないことばかり・・とか。

これらの「自己欺瞞」による現象は、総じてこの効果として扱うことができます。そして、この効果は「地方」「地域」「観光」というカテゴリーにおいてもそこかしこにみることができるわけです。

☆認識の誤り

前回、伊那市において「南アルプス」という山岳観光の一大ブランドを地元の行政や観光がそれにふさわしい評価をせず、使い切れていないという話をしました。

これらは都市圏の人からすれば「信じがたい」話に聞こえるかもしれませんが、東京の人は「東京タワーやスカイツリーにいったこともない」ことが多いように、足元の宝というものは軽視されやすい傾向にあるのです(とはいえ、南アルプスがあるのに「上高地がないから」とか「北海道や沖縄がうらやましい」とかまで考えるのは度が過ぎていると思います)。

国内でも世界遺産ながら一過性集客ばかりで行き詰まりが見える平泉・中尊寺。手探り感を感じる「神」テーマの福岡・長崎・天草のエリア、もはや世界遺産?な明治産業革命絡みのエリアも同様でしょう。

「良いものと売れるものは違う」

というのは時代を超えた鉄則ですが、観光とその関連事業。特に行政が携わる案件では、この点が未だに大きな誤解の上に成立しています。その根っこにあるものは心理バイアス。つまり、

「世の中や人々に評価されないものを支持、評価されていると考える」
「世の中や人々に支持、評価されるものを評価されないと考える」

という二つの主観的思考による認識の誤りです。そしてこの認識の誤りが、

「現場を知らない」という根本的な情報、知識不足である状態の自分達が「情報を知り、知識を得ている」と思い込み、勘違いをしたまま意思決定

させている。それがまさにダニング・クルーガー効果による失策と言えるのです。つまり、テストの点が下位10%というレベルの人たちに事実を伝えても「そんな筈はない!俺たちは上位ランカーだ!」と事実を受け入れず、学ぼうともせず、同じ失敗を繰り返しているということ。

私たちが苦労している真の課題の姿とは、こんなしょうもない考え方ひとつだったりもするわけです。けれど、そんな失敗を認めないために「事実を受け入れない」というたった一つの行動が、悲劇的ループすら起こしてしまうのです。

*参考おススメ

☆外的自己とは?

昔、あるコーチにこんなことがありました。ある地方の講演で主催者の人が「うちの地域は何もなくて・」と地方あるあるのフレーズを言ったそうです。で、そのコーチがカチンときて「本当ですか?」と聞くとその主催者は「本当に」と答えたそうです。するとそのコーチは

「では、あの小さなビルにどんなテナントが入っていて、どんな仕事をして、この街とどんな関係にあるかを教えてください」

と主催者に聞くと、その主催者は答えられません。続けて、

「では向こうの角にある商店はどんなビジネスをしていて、どんな人たちが働いているのかを教えてください」

と聞くとやはり主催者は答えられませんでした。そして、そのコーチは

「あなたはこの通りに誰がいて、何をしているのかを全く知らないということですよね。ここに暮らす人たち、働く人たちを知りもしないで、なぜ何もないなんて断定できるんですか? おかしくありませんか?」

と聞いたそうです。皆さんはどう思いますか?

最新の心理学で、私たちは自分で自分自身を知ることが出来ないことがわかりました。私たちが自分自身を知るためには、自分以外の誰かに自分がどう見えているかを伝えてもらわなければいけないのです。

これを「外的自己」。自分以外の誰かが教えてくれる自分自身と言います。自分には見えない自分の姿を見つめるために不可欠な要素で、いわゆる前記のような思い込みや、ついやってしまう自己欺瞞を回避するためには、こうした率直に伝えてくれる自分以外の誰かが不可欠なのです。

☆課題は分ける王道と二つの方向性

この点で私たちは最低二つの関係性を持つと良さそうです。つまり、自分が暮らす地域の中の人間関係と自分と自分が暮らす地域の外との関係です。それもより多様なコミュニティで、かつ全く違うカテゴリーであることが、その有効性をより増幅させます(詳しくは次回以降また触れます)。

そのなかで地域のインサイドにあっては、オープンな関係性の中で、日々の「質(クオリティ)」を少しずつ良くしていく。まさに Well-Being 世界の実現です。そして、その世界はそのままで、外の人に対してもコミュニティの一員としてフェアにパートナーとして提供される。これが、これからの観光の基本形です。

行政やそれに連なる方々の失敗は、これがうまくいっている成功したコミュニティに対してちょっかいを出すこと。おもてなしや大小の要求をすることです。そして、そのちょっかいで Well-Being の状態を崩壊させ、コミュニティごとつぶしてしまいます(しかもその自分達の責任までコミュニティに押し付けます)。これをやっている地域、エリアは今後、衰退を免れないでしょう。

そしてもう一つは、地域にとって示された「外的自己」の個性をより磨いていくことです。

というわけで、この続きから次回としましょう。

*今日のおススメ















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