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星野源の「いのちの車窓から」を読んで、エッセイっていいなと思ったのとの、星野源の感性の繊細さを感じた。

久々にのんびりできる土曜日で、一日中雨だしコロナだし家からは出られないということで、今日は前から読みたくてなかなか読めていなかった、星野源の「いのちの車窓から」を読んだ。

普段エッセイを手に取ることはあまりなかったので、なんだか新鮮だった。

結論をいうと、エッセイっていいなあということと、星野源の率直に肌で感じたままの感覚を文章に乗せている繊細さに感服した。そして「おれも文章書きたい!!」となり、このnoteを書いているしだいである。

そもそも、小説やエッセイは好きだし読まないことはないが、私が手を出すのは、ビジネス書や教養の本が多い。(ハウツー本は読まないが。)

そんな中、今回この星野源の「いのちの車窓から」を手に取ったのは、友人からおすすめされたからであった。

人からおすすめされた本は、興味が湧き実際に購入するケースが多い。なぜならそういった形での本との出会いが一番好きだからだ。自分ではなかなか手に取らないジャンルであったり知らない作者の本に出会うことができるからだ。もう一つ面白いのが、おすすめしてくれた人とその本を通じた共通言語を持つことができるからである。単純に本の内容についてシェアできるというだけでなく、その本や作者の価値観も含めて認識を共有することができるからである。

実際にこの本を紹介してくれた友人が。星野源の価値観が好きで少なからずその価値観を生き方に取り入れているのが、エッセイを読んでわかったし、自分も大事に共有できる価値観を本の中から感じられた。

少し話がそれたが、この「いのちの車窓から」では、星野源の『見る』日常を独特な感性で文字に紡いでいる。『見る』を強調したのは、何気ない日常に対してもその人がどのように「見る」かによって、感じ取りが変わってくるということ。目の前の日常をどのような窓から切り取って見るかで、同じ事象でも何通りの捉え方ができるということ。

様々な過酷な経験を乗り越えた星野源さん。彼の窓から見える景色は、良いことや悪いこともいったんニュートラルであり、ありのままかつ繊細であり、少しでも面白いものであるように感じられる。星野源は彼自身に一番合った景色の見方ができる天才なんだなと、このエッセイを読んで思った。

エッセイというのは、人様の価値観や知恵を少しだけ拝借して、自分にも取り入れてしまえるというのが面白い。他人の人生の一部を擬似体験させていただけるという要素もあると思う。

堅めの本はダイレクトの自分の血肉になるので好きだけれど、エッセイも自分の人生に少し奥行きを持たせてくれるような気がして、いいなと思った。

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