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第十三話 被災地に若者が移住すると言うことの意味

移住を決めた当初(2011年9月)は、
移住後すぐに起業しようと考えていた。
しかし、2012年の2月に陸前高田市に行った時に、
「今起業することへの違和感」を感じた。

それは地元の方に受け入れられないのではないかという不安だった。

阪神淡路大震災が発生した時、
その時も私と同じように多くの若者が移住し、
住み込みで活動を行ったと聞いた。
しかし、多くの若者は挫折、自身の元いた場所へと帰っていったようだ。

また今回の東日本大震災においても、
4月から継続的に陸前高田市に通って活動をしていた大学2年生の子が、
8月で大学を退学し、移住、活動を本格的に行おうとした時いた。
でも、元気な彼だったのですが、結果どうなったかというと2ヶ月で故郷へと帰ったようだ。

原因は様々あると思う。
でも、被災地で暮らす人々は外部の人間をこのように見ると思う。
「本当にできるのか?」
「どうせ諦めて帰ってしまうんだろう?」

私自身も試されている。
地元の方に言って頂いた言葉がある。
「おまえがこっちに暮らすのはお前だけの問題じゃない。
もしおまえの夢が破れた時、つらいのはお前じゃない。
おまえを支えてくれている俺らであったり他の人であったりなんだ。
その意味を本当に分かった上で、お前はこっちにくるのか?」

また東京の方にもこのように言って頂いた。
「被災地に移住し、起業する。たしかに素晴らしいとは思う。
けどもし失敗して帰ってきた時、
それが及ぼすデメリットのほうが
遥かにでかい。
若者で、しかも被災地で起業する人はあまりまだいないからこそ、
君が失敗したら被災地で起業する若者は減るだろう。
それも分かっているか?」

とても重い言葉であり、そして真摯に私自身に向き合ってくれているから、かけてくださる言葉だと思う。

東北地方は日本の古き良き「人」のコミュニティが残っている。
だからこそ、何をするにも地元の方の信頼が何よりも大切だ。

2011年いっぱい、地元の方と約束した通り、1ヶ月に1回、必ず足を運んだ。団体として現地入りを行えない月でも、個人的に訪問した。

だからこそ、移住後いきなり起業ではなく、
まずは1年間広田町でしっかりと
「生活をする」「住む」というところに力を注いで行きたいと思う。
それによって地元の方との信頼もより強くなっていくと思う。

そしてその後に、もし必要であれば起業をする、
ということでも遅くはないのではないかと。

復興には長い年月がかかる。
焦らずじっくり進んでいく。


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