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【所感】6-UDON

冷凍うどんを焼きうどんにしようと思う。
22時を過ぎて、やっと腰を上げた。
いい感じの出汁とかはないが、麺つゆと醤油だけで大体はなんとかなるだろう。
生麺より、冷凍麺の方がコシがあって良い。
ちなみに業務スーパーの冷凍うどんは安くてうまい。
やや多めの油を敷き、固まったうどんをフライパンに放り投げて火をつけるとき、なんだか色んなことが馬鹿らしく思えてくる。
もう何もかも嫌だと思う夜に、RPGの勇者が剣を構えるように私はフライパンに対して醤油を構えているのだ。

私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。
この世でいちばん好きな本の冒頭は、この一文から始まる。
私は料理は好きではない。
しかし台所は、人の家の中で最もださい場所だから良いと思うのである。
格好をつけても、私たちは毎日食べている。
私の家の近所のあのKAWASAKIヤクザたちだって、「酒と煙草と女しか食わねえ」みたいな顔をして、実際は毎日こんな風にご飯を用意しているのだとしたら、馬鹿馬鹿しい。
大嫌いな人の家の台所に残量の少ないラップとかがあったら、それもとても愉快だし、なんなら冷蔵庫で野菜を腐らせていて欲しい。
家のキッチンで、人間の化けの皮は剥がれる。

お腹が空いた、と思うことが恨めしい夜がある。
痩せたいからではない。
こんなに何もかも嫌なのに、一丁前に腹が減ることが恨めしいのである。
しかし結局空腹に耐えられなくて、冷蔵庫を開けてしまうのだから、人間は本当にしょうもない。
生を嫌悪し、生に固執するわたしたちは、まるで矛盾だらけである。
一生腹が減らず、話すこともなく、考えることもなければ、これはとても楽である。
しかし飯を食い、話し、これだけ考えているのである。
このように考えても無駄なことを一生考えて死んでいくのだろう。
私の考えることの大半は、このようなくだらない哲学である。

矛盾を解き明かすことが必ずしも哲学の使命ではない。
総ての解明の先にあるものは常に無であるということは明らかである。
つまり生命の意義とは、無であるのだ。
故に矛盾を解明しないことが、有である。
生に付属する原罪とも言えるこの矛盾は、克服すべき煩悩ではないと最近は思うのだ。
矛盾が人間を人間たらしめていると考えれば、これだけ愛おしいこともない。
大嫌いな人を恨み続けても、結局殺すことはないのだし、これだけ生きることが面倒なのに、結局生きているのである。
要するに、ひとりで総てを解き明かそうとすることは、ほとんど自傷であると知ったのである。

夏は家で服など着ない。
気休めにパンツくらいは履いているが、一人である以上、服など不要なのだ。
このような姿でうどんを焼く私を誰も想像できまい。
外では美しく見せているが、所詮は人間こんなものだ。
なぜ外で美しく見せる必要があるのか知らないが、別にこのまま滅茶苦茶でいれば良いのである。
食べたくないけど、食べたいから食べる、ということだ。
キッチンという最もださい空間で、うどんという矛盾を口にする。
22:30。
くだらない哲学を語って夜を明かすことは減った。
ひとりでうどんを食べてそれでお終いである。
私たちはこれで強くなったのか、弱くなったのか、よく分からない。
少なくとも、夜中のうどんを貪る時、まるで私たちは等しく生きているに違いない。
みんな本当は孤独だ。
冷蔵庫の振動音、室外機、隣人の話し声、雑踏、ビル群のひかり。

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