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酒田から象潟へ。そして象潟の九十九島

羽越本線 普通秋田行 545M 酒田1229→象潟1308

酒田駅発車直前、若い女性車掌はなんとなく緊張気味で時計を眺めながら跨線橋の階段を眺め、積み残しの客がないかを見ている。ドア扱いは別のベテランらしい男性車掌がやっているからまだ付き添いか見極めくらいのタイミングだろう。

本楯駅で老婆が降りる。押しボタンを押して「あ、まだ光ってなかったね。」と言って、ボタンが光ってからもう一回押す。ホームで待ち受けているのはむすっとした老爺。むすっとしてるけど、手を差し出して、降りた老婆から荷物を預かり、持ってあげる。優しさ。

2〜3時間に一本の列車で日常的に出かけるのはどんな感覚なのだろうか。1本逃せばとてつもない待ち時間である。だから逃すことはないのだろうけど。一日の予定はこの列車のダイヤに縛られて、出かける時には帰ってくる時間も決まってくる。お昼ご飯を家で食べるならこれ、夕ご飯を家で食べるならこれ。この老夫婦は幾つかの決まったパターンがあるのだろう。ちょっと買い物に行くだけならこれで帰ってくる。そういえば老婆が降りるドアの目の前で老爺は待っていた。乗るドアも降りるドアも決まっている。

稲を刈り取られた田んぼには雪はないけれど、水路には雪が詰まっていて、流れていないよう。泥と茶色の田んぼは一面の白よりも余計に寒々しく、侘しさを覚える。

平野に広がる田畑の中に、防風のために樹を植えて、家々がきゅっとまとまった小さな集落が点在する。田畑の中にはどでかい看板などはなく、すっきりとしている。

吹浦を出ると日本海と山に挟まれた、狭い、狭い土地を進む。集落ももっと小さくなって、高密。冬の日本海は荒れるものと決め込んでいたが、大して荒れておらず、ちょっと波があるくらい。それまでの駅では小さいところでも1人2人の乗降はあったが、流石に女鹿では誰も乗降しなかった。周りに家もほとんどない。小砂川でも誰も乗降しない。左カーブしたところで見えた浜は、僅かな丘と砂浜がずっと続くような穏やかな海岸。景色そのものには寒々しさはないが、天気がどんよりとして、人が歩いていないと寒さが目で見えるような気がする。

上浜で3人乗ってくる。一人は正月の松飾を持っている。段々と線路沿いの平地が広がっていき、象潟駅。

象潟で下車。5人くらい一緒に降りる。駅には金土日月の10:00から14:30まで開いている観光案内が併設。随分と営業時間が短い。レンタサイクルが使えると書いてあるけれど、この時間しか営業していないのでは厳しいのではなかろうか?

40年を越えるという信用のおける上に、地域共通クーポンの使えるファミリーレストラン123(ひふみ)へ向かう。坦々麺が売りのその店のNew坦々麺を食す。白湯ベースの濃いい坦々麺は罪な味がする。スクランブルエッグとソボロが乗り、混ぜ具合で味の変わるのもまた良き。

街中を歩いていると、黄色い「とまれ」の文字や足のマークをよく見かける。よく見るとどうやら上手い下手があるようで、ペンキ?がはみ出ているものとか、字があんまり上手くないものまである。それぞれの住宅の玄関先の敷地内にも足のマークがあるから、どうやら住民が自分でやっているものの雰囲気。町内会とかで一緒にやってるのだろうか。私有地側に描いてあるものと、道路側に描いてあるものの2種類がある。そこは揃えなくてよかったのか?

海は穏やかで海岸も砂浜が広がる。「荒れた冬の日本海」というようなイメージを覆す。なんとなく太平洋側のような雰囲気。地形も穏やか。この海岸線に並行な道路に沿って集落が発達している。

駅から北に向かって蚶満寺へ。羽越本線の踏切を渡る。田畑、集落、木々、丘、そして奥にそびえる雪をかぶった山。

蚶満寺へ行くと、北側の門のあたりから象潟の九十九島の風景の一部が見える。紀元前466年の山体崩壊の結果、日本海に数多くの島が生まれた。その後1804年の地震でこのあたり一帯が隆起し、陸となったが、いくつもの丘が浮かぶ独特の景観が見られる。

ここらへんの田畑が水鏡となるような時期にまた訪れてみたい。海に浮かぶ島々の光景を眺められるだろうか。

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