僕はモラトリアム人間
大人になれないのに歳だけ取っていく。
最近歳をとりたくない。
見た目も精神年齢も見合わないと感じるから。
僕は本来ならもう社会に出て働いている年齢だ。
友達も大体みんな社会に出て仕事している。
周りがみんなが大人になっていくのに、自分だけ大人になれず取り残された感覚。
同じ大学生のくだらないノリを傍目で見て、「しょうもない奴らだ。」と内心馬鹿にしてしまう自分。
就活のオンライン説明会で私服でいいと書いてあるのに、スーツを着て参加する就活生を見て、温度差を感じずにはいられない自分。
ほぼ毎日テレビに出て自分を押し殺し、大衆ウケのために何年間も当たり障りのないコメントをし続ける芸能人には、もはや狂気すら感じる。
しかし彼らは社会に溶け込んで、これからもきっとうまい具合にやっていく。
そして成長して大人になっていく。
なのに僕は大人になれない。
大人になりたい。
でも彼らみたいにはなりたくない。
矛盾しているのだろうか。
こんな自分にどうしようもなく嫌気が差すのに、そんな自分のことが嫌いになれない。
しかし僕は大人になり、モラトリアムな人間を卒業する気が果たしてあるのか。
僕は彼らの本(町田康、中島らも、村上春樹、開高健、阿部和重、島田雅彦など)を読んでいる限り、ここから抜け出すのにはまだ時間がかかりそうだ。
なぜなら彼らの小説やエッセイを熱心に読むようになって、僕のいわゆる”モラトリアム人間化”が加速したと言って間違いないからである。
彼らの小説には”モラトリアムを拗らせた人間”が登場する。そして僕はその登場人物に憧れてしまう。自分と重ねてしまう。感情移入してしまう。
彼らは本の中だけでそのような人物を描いているのだろうか。
だとしたら、彼らはどうやって現実世界と折り合いをつけているのだろう。
それとも彼らはそんな”大人になれない”部分を抱えながら生きているのだろうか?
だとすれば案外、世の中には同じように生きている人は多いのではないか。
就職した時か、結婚した時か、いつになるかわからない。僕がモラトリアムの深い闇の中から抜け出した時には(果たして僕にそんな時がやってくるのかわからないが)この時期の事、そしてこんなことを書いた事をきっと懐かしく思うだろう。
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