めくるめく咲くやこの花組芝居
『レッド・コメディ -赤姫祀り-』
観劇後の興奮覚めやらぬ気分が、今頃になって、ようやく落ち着いてきたので、感想を書いてみました。
余韻に浸りながら、なぜかラストにベルモンドが爆死するゴダールの映画『気狂いピエロ』を若干思い出したので、引用して『気狂い赤姫』を備忘録のタイトルにしようと思ったのですが、さすがにコンプライアンス的に引っ掛かりそうな気がして自粛しました。
配役とスタッフ
役者は上記の通り、総勢15名。
花組芝居ならではの、郡舞(ダンスシーン)がかなりの頻度で入っているので、全員ほぼ出ずっぱり。皆さん休む間もなく出番がやってくる感じでした。この人数で濃密な舞台を創り上げていることに、改めて驚愕しました。
脚本/秋之桜子 構成・演出/加納幸和
録音ですが、女流義太夫や長唄、附け打ちも入ってます。
殺陣は山下禎啓さん。
美しく妖しい雰囲気が漂う少女漫画風の素敵なチラシが目を引きます。漫画家の波津彬子さんのデザイン。結城座の「変身」へ行ったときに挟み込みチラシでいただきました。
掴みの文句
チラシの裏面右上に、どんなストーリーなのかの手がかりがありました。
赤姫姿の老醜の女形が車椅子に腰かけている。
これを見ただけで、重厚で、何か一筋縄には行かぬ人間たちの物語が始まる予感がして、非常にそそられました。
実際に舞台が始まって早々に、車椅子に腰かける赤姫が出てきます。
インパクトのあるシーンから始まり、そこから、とある歌舞伎の女形の回想シーン(過去の事件)へ入って行きます。
楽屋内の生々しさ
この作品は、小説家たちの愛憎劇と歌舞伎女形の愛憎劇、両方が出てきます。
物語の前半部分に、女形 葵にまつわる事件のシーンが出てくるのですが、その芝居小屋の舞台、とくに楽屋内の雰囲気が凄かったです。
個人的に、楽屋の雰囲気が物凄くリアルだと思いました。それは演出をされている加納さん自身が芝居小屋を知っている人で、楽屋がどういう場所かをよく知っている方だからこそ出せる臨場感だと思いました。事件に至るまでの様子、1コマ1コマが鮮明で、楽屋の風景や匂いが、舞台に立ち込めていました。
歌舞伎を知らない人にも、女形 葵にモデルが存在するのを、何となく感じた人は多いのではないかと思いました。
稀代の名優、六代目中村歌右衛門。
改めて、歌右衛門さんの自伝や人物像や芸風に関する本など、もっと読んでみたいと思いました。三島由紀夫が書いた『女方』という六代目歌右衛門がモデルとなった小説は読んだことがあります。その話では、稀代の名女形の芸に惚れ込んで、作家部屋の人(作者部屋の狂言方)となった男が、存外、俗な恋をした女形に失望するような形で失恋した話。(だった気がします、雑な記憶です)古風さと近代性を孕んだ妖しい匂いを放つ歌右衛門さんの芸と人、その魅力に取り憑かれた人は多い。少ししか映像も拝見したことがないですが、唯一無二の妖しい魅力をたたえた女形。時代やジャンルを問わず、様々な方面へ与えたその影響力は、計り知れない。
芸の世界における、凄惨な事件は他にも存在しています。(過去に)
初代中村鴈治郎は、楽屋で毎日食べていた弁当に微量の水銀を入れられて、気がつけば喉を潰される寸前になっていたという話や(声を失わずに済んだものの、ダミ声は治らなかった)、昔の文楽の太夫で、水銀を白湯に入れられて、喉が潰れてしまった人がいたりと、芸談や記録に残っていないような話も沢山あるだろうと思うのですが、加害者がそこまでするのは、その当時の芸人にとって、芸が全てであり、生活がかかっていたのが大きな理由だったのではないかと思います。
才能や若さ、人気に対する嫉妬。何か存在自体を呪うような嫉妬。舞台への執着が、遥かに凄まじいものだった時代。
狂人と化す美貌の女形
「レッド・コメディ」では、死期を悟った葵の父 四代目魏謳から、葵(五代目)を頼む、と託された咲次郎が相手役を務めてきた弟、与三郎の気持ちを考えずに、相手役に葵を抜擢したがために、事件が起こります。
台本のセリフとは異なりますが、与三郎の心中はこんなところ。
「アイツさえいなければ、アタシはずっとここで輝いていられたのに。なぜ、アイツなの?なぜ、兄さんの相手役に?」
与三郎は硫酸を葵の顔めがけて掛けますが、桃田に庇われ、間一髪、葵は難を逃れます。
「良かった」と、咲次郎が近寄ると
葵は狂ったように笑い出し、そのまま狂人となって笑い声だけが響き渡り、劇中劇はそこで一旦、終わります。
その狂気の笑い声が、いつまでも耳に残っています。狂っていると思わせて、実際には狂ってはおらず、狂ったふりをしていたのだと葵は後半で語ります。つまり、二重の演技をしていることになります。周りを欺くために狂人のふりをした葵と化す加納幸和。その演技、単にイカれた女の笑い声ではなく、一抹のもの哀しさを感じる狂気の笑い声。その声の響きから、葵の本心が垣間見える。葵は、芯の強い女形。
「葵さんは凄い」ボクちゃんがセリフで言うように、心からそう思いました。ボクちゃんが惚れるのも無理ない。私自身も、格好いいこの女形には、男惚れしました。
小説家たちの愛憎劇
舞台はキナ臭い昭和十二年。
新進作家の川田と乾が狂言回しを務めながら語られる、新聞社主の田岡と手塚という小説家の愛憎劇。気狂い赤姫である葵は、キ○ガイ病院から退院し田岡に匿われている。ざっくりとした関係図としては、川田→葵→田岡→手塚→田岡?過去に田岡と手塚は愛し合う仲だった。手塚のパトロンを名乗り出た横井財閥の娘と手塚が結婚してから、手塚の歯車が狂い始める。ざっとそんな感じで、かなりドロドロとした群像劇。田岡と手塚の痛々しさが、観ていてちょっとつらかった。人間誰しも抱える恋愛の痛手が蘇るような苦しさ。想い合っていながら、噛み合わずに、むしろ意図せず、互いに傷つけ合ってしまう有り様。絡み合う人間模様の合間に、彼らの現実へ乱入してくる赤姫たちの芝居が繰り広げられるという、情報量の多さ。クリストファー・ノーランの映画作品のように、一度観ただけでは伏線を拾いきれないようなところがあります。目と耳が追いつかないぐらいの情報量が怒涛の勢いで迫りくる。息をするのも忘れて、溺れながら、観ていました。溺れているのに、不思議と息苦しさとは無縁で、ブクブクと沈んで、水底から、淀みに浮かぶ泡沫を観ているのが楽しかったです。
有り難いことに台本が販売されていました。
完売したらどうしようかと思って、開演前に購入。
観劇後、台本を読みながら聴き落としていたセリフが拾えたり、卜書きに書かれた細かな指示や、芝居に夢中で見えていなかった人物の心中が見えてきて、読めば読むほど、もう一度観たい。と、楽しみが尽きない演劇でした。
もちろん、台本に全てが書かれているわけではないので、実際に観て確認してから判明する歌舞伎のパロディがあったりしました。とくに衣装については見て確認するほかなく。出演者全員分の詳細が書いてあるわけではないので、実際に目にして気づく加納さんの演出がいくつもあった気がしました。
稀代の女形
ベテラン勢から若手まで、本当に実力派な方が多いのだと、花組芝居の公演を観に行くたびに思います。
こたびの公演では、何よりも、加納さんが全身全霊で舞台に立つ姿に感動いたしました。
舞台が始まって早々の場面、田岡宅で編集者や作家たちがキナ臭いご時世や小説について話をしているところへ、田岡が帰ってくる。
二階から赤姫姿の葵が降りてきて『芝居ごっこ』が始まる。
気がふれた女形が演じる芝居ごっこ。加納さんが演じるそれは到底、芝居ごっこなどではなく、本物の芝居だと思いました。
目前に広がる八重垣姫の世界。田岡や川野が相手役を務めながら、葵が見せる、科白、息遣い、激しい立ち回り。
間違うことなき、稀代の女形が、目と鼻の先に息をして存在する。目前で生きている。
時代を越えて生きつづける稀代の女形を観たとき、途方もない量の感情が胸の奥から込み上げてきました。ワーッと溢れ出さないように、歯を食いしばると、沸騰したように熱い涙が流れてきました。この涙を、私は生涯忘れない。忘れたくないと思いました。
花組芝居の俳優たち
あの人も、この人も、江戸川乱歩作品の世界から抜き出てきたようで、個性豊かな俳優で観ているのがとても楽しかったです。
俳優という生き物を見ていて、個人的に面白いと思うのは、どれほど厚化粧をしていようとも、衣装を着込んでいようとも、何かの拍子にふっと丸裸になる瞬間です。
名探偵 明智小五郎のような変装の名人だったら裸になる瞬間はごく稀かもしれません。しかし、明智小五郎にしろ、役者にしろ、いかに見事に化ける人間であっても、当人の精神を完全に切り離して、芝居の登場人物を演じることは不可能で、だからこそ、俳優自身の性根や品が、肉体に多重露光のように映し出されて、様々な表情が見えてきます。
俳優たちの芸(順不同)
青年/母の息子/川野 和夫(新進作家)
・・・武市 佳久
個人的に一番驚いたのは、川野役(通称ボクちゃん)の武市さんでした。
あの、やたらと色気を売りにしてらっしゃる歌舞伎俳優たちの色気には、こう見えて慣れている方なのですが(いつの間にか耐性がついてしまったので)、武市さんの色気も、それに匹敵する凄まじいもので、舞台に充満するその色香に、灰色の脳細胞がグラグラいたしました。久しぶりの濃厚な色気に、冷静さを失い、正気を取り戻すのに一苦労しました。また、品も際立っていました。際どいシーンが多いのに、彼だけは、なぜか下品になりきらない。ハマリ役でした。武市さんの川野を越える川野はなかなか現れないと思います。
母であり女/染香
・・・山下 禎啓
山下さんは加納さんと同様に様々な女形を務めながら、川野の母である強烈な女を務める。息子を取って食うような恐ろしい女。ボクちゃんのトラウマ。彼の悪夢に頻繁にあらわれる。ときには、爪先鼠の白鼠となり、また、ときには、お三輪となって付き纏う。夢に見そうな悪女。山下さんがヒールを堂々と務めているからこそ、ベビーフェイスである息子の、性根(心)のなかにある、汚しがたい美しさと彼の弱さが浮き彫りになってくるのだと思いました。
横井 文子(横井の娘)
・・・永澤 洋
悪女といえば、文子ほどイヤな女がいるだろうか。カネと権力に守られて、流行作家を手に入れる。ミーハーで、初めは大人しいふりをしながら、非常に傲慢でしたたかな、鼻持ちならぬ令嬢。この手の女が私は大嫌いですが、この永澤さんの悪女っぷりは見事だったと思います。手塚を狂わせた女ですが、手塚と文子は何だかんだ言って最終的に類友のようだとも感じました。
田岡 啓太郎(東新聞社主)
・・・小林 大介
モダンな色男。たまたまですが、最近、再放送の『明智小五郎の美女シリーズ』を観ていたのもあって、天知茂を思い出しました。明智小五郎探偵は美女たちにモテモテですが、田岡もやはりモテる男。だがしかし、報われない想いを抱えていて、手塚への想いを絶ちきれない。一番痛々しい男かもしれません。いつも皆を見送る役回り。新派の二枚目俳優的な匂いもしました。
桃田 (小間使い/葵の付き人)
・・・押田 健史
コンテンポラリー的な振りが印象に残る。いつもひっそりと葵の傍に居たり、田岡宅の雨漏りする雫をひとつひとつ拾ってゆく小間使い。黒いヒラヒラとした羽織が揺れるたびに、不思議な影が舞台を通り過ぎて行く。うっそうとした古い城址跡で、亡き主をずっと慕いつづけて、漂い舞う、黒い揚羽蝶のような風情がありました。
ツネ(田岡の婆や)
・・・秋葉 陽司
秋葉さんはレスラーみたいにガタイがいい。出てくるだけでインパクトがありますが、芝居の邪魔にはならない。皆が頼りにするツネさん。
四代目 柊魏謳/(葵の父)
横井 兵右衛門(横井財閥のトップ)
・・・横道 毅
二役を務めた横道さん。死期を悟り、息子の葵を咲次郎に託す場面は、印象的でした。娘と結婚するのを条件にパトロンを名乗り出る横井財閥のトップ。対照的な二人の父役を、演じ分けていて、面白かったです。
手塚 修造(流行作家)
・・・桂 憲一
商売人に愛を売った男。アル中、ヤク中、あげくに心中未遂を起こす。太宰治を少し思い出しますが、当時の作家や芸人はヒロポンやってたという話は珍しくない。手塚の酒グセの悪さは、心の弱さからくる虚勢が現れている感じがします。流行作家になったものの、編集者 西村と文子の介入で、自己を見失い苦悩するも、最終的には、田岡の愛ではなく、商売人になる道を選ぶ。ミーハーな流行作家に開き直る。そのポリシーのなさ、破滅的で、心中や動機が掴みづらく、個人的に川野の視点が一番、私自身の目線に近いのもあって、共感はしづらい人物でしたが、何かと嫌われ者なりがちなメンヘラ男、見事でした。
西村 洋祐 (編集者)
・・・八代 進一
流行作家の手塚を担当している編集者。やり手の編集者。小説は売れてなんぼ。鋭い目つきがニヤニヤと歪むとき、やらしい商売人の顔が出てくる。田岡と手塚が揉み合いになったとき、西村も乱入。血に染まった刃、伊勢音頭恋寝刃オマージュの演出がとても印象に残りました。まさかの福岡貢、貢さんを持ってくるとは思わず。
三代目 岸野 咲次郎
・・・磯村 智彦
岸野 与三郎(咲次郎の弟)
・・・北沢 洋
劇中劇の場面は、六代目中村歌右衛門の芝翫時代、吉右衛門劇団にいた時の話がベースになっていると思いますが、芝居はフィクションなので事細かには触れません。恥ずかしながら、詳しい資料を読んだことはないので、また調べてみようと思います。
ともかく、座頭格の立役の役者 兄の咲次郎と、長年相手役を務めてきた弟の与三郎という女形が出てきます。個人的に、磯村さんの咲次郎は京都訛りで(大阪寄りの)上方の匂いがする役者で、どこか少し十三代目片岡仁左衛門の面影を思わせる雰囲気がありました。北沢さんの与三郎は、舞台への執着心が人一倍ある、気の強い女形。葵に対して嘘の詫びを入れ油断させた上、事件を起こす。葵の顔を潰せずに、失敗して悔しいと唸る姿の恐ろしさ。葵の若さや美貌に対する嫉妬と、執念深さ。誰にも止められない気性の激しさが伺える女形の姿が、深く印象に残りました。
乾 智也(作家)
・・・丸川 敬之
川野を田岡に引き合わせた作家。将棋を指しながら、交流を深めるシーンが印象的。やや世間ずれして、不思議と擦れていない感性を持ち、純粋で未熟なところがある川野を、兄のような目で見守っている感じがしました。出征して行った川野の才能を心から惜しみ、嘆く。最後の場面で、感情的に嘆く演技が、個人的にはちょっと違和感がありました。不条理なもの、理不尽な状況によって、才能豊かな仲間が、存在や、人間が、奪われようとするとき、怒りや悲しみの、その前に、失われてゆく世界(や人間)に対する圧倒的な喪失感が、先に来ると思うのです。本当にショックを受けたとき、しばらくの間、感情さえ失ってしまう。もう少し、静寂の間が欲しいような気がしました。緩急がついて、より、喪失感が際立つのではないかと思いました。
花組芝居の郡舞ダンス
最後の最後を飾るのは、花組芝居ならではの郡舞。おどろおどろしくて、華やかで、楽しく妖しいダンス。タキシード軍団と赤姫軍団のダンスを観たら、やっぱり面白くて、ちょっと笑ってしまって、元気が出ました。悲しいエンドでも、決して湿っぽくしない。梅雨なのに、ちっともジメジメしていない。ジメっとさせずに、最後は笑って花を咲かせて吹き飛ばす。花組芝居のそういうところが個人的に好きです。幅広い世代の観客に愛されている理由のひとつではないかと思いました。
花組ペルメル vol.1
長崎蝗駆經 ~岡本綺堂『平家蟹』による~
2028年、夏、イナゴに襲われた九州。
近未来SF、これも面白そうな話。
一体、どんな台本なのでしょうか。
期待が募ります。
花組芝居ペルメル楽しみです。
お詫びと感謝
蛇足が多く、えらい長文になってしまいましたこと、心よりお詫び申し上げます。
長々とした拙文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
伝えることの難しさを日々痛感する毎日ですが、それでも、あきらめずに伝えようと努力する人々が、素晴らしい舞台を創り上げる。芝居を観ていていつもそう感じます。
舞台を共に創り上げるスタッフ全員の力が、芝居をつくるのだと。
端から観ていて、分かってるようで、分からない苦労が、どれ程あるだろうか。
制作に関わった皆様、俳優たちを支援する方々に、心からの感謝と御礼を申し上げます。
カンブリア大爆発 拝
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