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没入する二人と、ときどき訪れる同志たちの家

この物語は、実在するふたりの人物をモデルにしたフィクションである。
空間を処方するまでをストーリーとして綴った。

01_これまでのこと

ふたりにとって、オフィスでつまらない一日をやり過ごしてから、ソッコーで家に帰ってきた後の時間、マンガやゲームなどの世界に没入するのが何よりの快楽だという。

今は別々に賃貸マンションを借りているのだが、家賃も高く、増え続けるコレクションを収蔵する空間の確保も難しいとのことだ。
そして、ふたりとも作品の世界に没入しすぎることが共通の悩みであった。

彼女たちは、これまでもお互いの家をいったりきたりして、お互いのコレクションを共有して楽しんできた。それで、今回の引っ越しを機に一緒に住むことに決め、相談が持ちかけられたのだ。


02_カウンセリング

A子さんとB子さんは、大学時代からの友人である。

ふたりは、地方の大学のデザイン系の学科で一緒だった。就職のタイミングで同時に上京し、それからさらに仲が深まりお互いの家をいったりきたりするようになった。

同じサブカル女子のふたりではあるが、それぞれが"専門"にしている分野がある。A子さんはマンガ、B子さんはゲームである。
ふたりは、お互いのコレクションに触れることで少しずつそれぞれの世界を広げて楽しんできた。


A子
A子さんは、マンガマニアだ。特に魔法少女系のマンガを好むのだが、その他にもジャンルを問わずに読む、いわゆる雑食系だ。

休む間もなく、いつまでも読んでいられるほどのマンガ愛を持つ彼女であるが、それが祟って一度体調を崩したことがある。
仕事に行く以外は、家でマンガを読むことに没頭してしまい、ほとんど物理的な動きを止めてしまうからだ。そのせいで、身体中が凝り固まってしまったのだ。
運動不足は、身体だけではなく、情緒までも不安定にするらしい。それもあって、ますます人と会うのを避け、休日は引きこもりのような感じとなった。負のスパイラルに陥っていたのだ。

医者には、"適度に外に出たり身体を動かしたりしてください"と言われたが、それは彼女にとって本質的な解決にはならなかった。
マンガとの正しい距離を保って、交友関係を広げ、心身共にもう少し健康になれればと考えていた。


B子
一方、B子さんはゲーマーである。特にオンラインゲームだ。
仮想世界は、現実世界では得られない快楽や刺激を与えてくれる。オンライン上には仲間もたくさんいるし、これほど楽しい時間はないと感じている。

ただ最近、ゲームの電源を切ったあとに、なんとなく不安みたいなものを感じるようになっていた。自分は、はたしてこのままで良いのか。
そして先日、A子さんの体調不良の話を聞くなかで、自分にも思い当たるところがあったのだ。
やはりこのままではいけない。オンライン上だけではなく、オフラインでも充実した生活をできないだろうか。
ただそんな悩みをほかの人に言っても、
"じゃゲームやめればいいじゃん"
という、クソみたいな助言しかもらえず、途方に暮れていたのだった。


彼女たちは、お互いの恥部をすべてをさらけ出した関係性であるため、"個室はいりません"ということだった。
ちなみに、好きな作品のジャンルについては、"フツーの人に言ってもわからない"とのことだったので、深く聞かないことにした。

そんな彼女たちのこれからの共通の目標は、"外向的サブカル女子"である。ときどき同じ志しを持った仲間たちが家に自然と集まって、一緒に料理をして、お酒を飲みながら、好きな作品について語りあえれば、この上ないと言う。


03_空間の処方

彼女たちと一緒に賃貸マンションを探すところから、この計画ははじまった。賃貸であるから、現状復帰が条件となる。
なるべく自由度の高い間取りを選択し、最小限の操作に留めることで、コストを抑えながら、空間を改変していくことが焦点となった。

処方①
彼女たちに処方した空間は、コレクションで埋め尽くされた収蔵庫のようなコモンスペース(Common Space)と、それに付随する2つのブース状の空間(Booth A/B)だ。それぞれの空間は棚で緩やかに仕切られている。ちょうど漫画喫茶のような空間構成だ。 

コモンスペースには、大きなテーブルとソファといくつかの椅子が置かれる。ここで彼女たちは会話を楽しみながら、ライトに作品と関わり合える。
そして本気モードに入ると、それぞれのブースに籠って仮想世界に没入する。

つまり、選択したいモードによって、空間を使い分けることができ、現実世界と仮想世界の両方を行き来できるのだ。


処方②
設計の構想を練っているとき、
彼女達が、僕とのミーティングの合間によくふたりで猫動画をみていたのを思い出した。それであるとき、"猫を飼ってはどうですか?"と思い切って二人に提案してみた。
”え、猫を飼う、ですか?”と、ふたりは少し驚いた顔をした。

彼女達の共通の悩みは、作品の世界に没入するあまりに、現実世界に戻ってくるのを忘れてしまうことだった。猫を飼ったらと提案したのは思い付きではなく、人とは違う時間軸で動くものがふたりを現実に引き戻してくれるのではないか、と考えた末の提案だった。

訳を話すとふたりは、"それいいですね"と面白がってくれた。

この部屋では、彼女達があまりに長い時間ブースに籠っていると、猫のゴハンをねだる鳴き声が、彼女たちを現実世界に引き戻す。それでも気付かないときは、猫がめんどくさそうな顔をしてブースの中まで入って彼女たちを呼びに行く。

つまり、ここで猫は彼女たちを現実世界に引き戻すアラートとなるのだ。


04_処方のあとで

空間を処方した後の彼女たちのくらしを経過観察した。

平日
A子さんは仕事を終え、19時頃に家に着いた。すると、コモンスペースではB子さんが猫と遊びながら、昨日自分が勧めたマンガを読んでいた。

それ面白いでしょ

軽い会話をして、A子さんは自分のブースに向かう。仕事着という名の仮面を脱ぎ捨て、ゆるい家着に着替えるのだ。
そして、B子さんのいるコモンスペースに戻り、ソファに腰掛ける。
このソファに座って自分の好きなものに囲まれていると、一気に自分を取り戻せる感じがしてくる。

少しすると、B子さんが用意してくれた軽い夕食を、ふたりで話しながら食べる。その後は、各々が好きな場所に座って、作品の世界に入っていく。そして、しばしの静寂がこの部屋に訪れる。

しばらくすると、B子さんが、"これから出勤だから籠るわ"と言って、自分のブースに戻っていった。"出勤"とは、仲間たちと待ち合わせて、ボスを倒すため仮想空間に集まることをいうのだ。

A子さんがマンガを読んでいると、22時頃にB子さんが"ただいま"と言って戻ってきた。充実した表情をしている。
そしてその後、睡魔が彼女たちを襲うまでのあいだ、お互いの好きなことを語り合った。


休日
B子さんは10時頃に起きた。コモンスペースに行くとA子さんがマンガを読みながら、朝食を食べている。
朝は食べない派のB子さんであったが、最近は身体の調子も良く少しだけ食べるようになった。ふたりでなにげないことを話しながら、ゆっくりとした時間が流れる。

少しすると、ふたりで猫缶をスーパーまで買いがてら、軽い散歩に出掛ける。これまでにはないほど健康的な朝だ。

家に戻ってきてしばらくすると、同志たちが集まってきて、ゆるい会合が始まった。

この家にいると自然と人が集まってきて、いろんな人に刺激を受けるし、なにより自分たちのことを理解してもらえる気がする。もうすぐ30歳になる彼女たちは、どちらかが結婚するまで、このくらしを思う存分楽しみたいとのことだ。

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