見出し画像

「姿勢を良くしなさい」の伝わらなさについて

「姿勢を良くしなさい」は、伝わらない。

「姿勢を良くしなさい」は、
「あたたかくして寝なさい」とも、
「道路で遊んではいけない」とも違う。

「姿勢を良くしなさい」にはタイムラグがあるし、それを想像で補うには、その弊害はあまりにも地味なのだ。

パソコンに向かって仕事をしていると、ふと背中が丸まっていることに気が付く。
その姿勢を続けていると、背中や首が張って、呼吸が浅くなり、身体が強張り‥と良いことがない。

そうは思ってみても、大人になってしまった今、あらためて姿勢を正しくするというのは、一朝一夕にできることではないから、子どものころに大人の言うことを聞いておくんだったと思う。

「姿勢を良くしなさい」

子どもの頃によく言われたけれど、それが何故なのかわからなかったから、僕はそれを聞き入れないで、かわりに、厳しそうな大人のいる前では姿勢を良くしておけばよいということを学んだ。

良い姿勢でいることの効果、もしくは悪い姿勢でいることの弊害は、大人になってはじめて実感する。

色々調べると、僕を悩ませた不安障害も、遡れば姿勢の悪さから来ているのではないかとさえ思えるほどに、姿勢というのは重要だ。

であるけれど、それはあくまでも姿勢の悪い状態で数十年たった今はじめて分かることであるし、大人になってから理解しても、それから正しい姿勢を身につけることは難しい。

「姿勢を良くしなさい」は、
「あたたかくして寝なさい」とも、
「道路で遊んではいけない」とも違う。

「あたたかくして寝なさい」
は、最初はよくわからないけれど、何度か身体を冷やして風邪をひいたりすれば、身体を冷やすと風邪をひいて体調を崩し、辛い思いをするという連想ができて、気を付けるようになるだろう。
「あたたかくして寝なさい」という言葉を受け取ってから、その意味を実感するまでのタイムラグは、問題になるほど大きくはない。

「道路で遊んではいけない」
は、たとえ車に轢かれるという経験がないとしても、車に轢かれた蛙などを見かければ、それによる弊害は想像が容易い。そして、何度か危ない場面を経験するなどすれば、やがて自然と車のいないところで遊ぶようになるだろう。

それに比べて、「姿勢を良くしなさい」はあまりにも地味だ。
悪い姿勢であり続けた大人をみて、それによって生じているであろう肩や腰の痛みや諸々の弊害は、ほとんどこちら側に伝わってこないし、道路でぺしゃんこになった蛙のインパクトからすれば、ほとんど気にするようなことではない。

子どもは、なぜ正しい姿勢でいなければいけないかを、本当の意味では理解し得ない。だから、子どもであった僕は大人の言葉を受け入れなかった。

だけど、本当に理由はそれだけだっただろうか。
たぶん、それ以上に、僕は幼いながらに「素直」という言葉のあやしさを感じていたのだと思う。

大人は、説明しきれないことを「素直」という言葉で誤魔化すし、そこで「年長者を敬え」という儒教的な空気をうまく紛れ込ませて強要する。
子どもは、敏感にそういった匂いを嗅ぎ付けるのだ。
子どもは、そういう大人を信用しないし、それに「素直」に従う子どもは、他の子どもから信用されない。

「姿勢を良くしなさい」は伝わらないし、伝わらないからといって、それを誤魔化して強要しても、それは結局伝わっていない。

では、いま二歳になろうとしている自分の息子を前にして、教育とはなんなのだと思うのだ。

息子はいま一語の世界にいる。

彼の語彙は、

ちゅうちゅうしゃ:救急車
かかかー:パトカー
やや:嫌だ
ぱぱ:僕と妻はどちらもぱぱである
わんわん:犬や猫などの動物
わいわい:バイバイ

その程度だ。

それらを繋げて文章を構成することはまだ出来ないから、彼とのコミュニケーションにおいては、あたりまえのように、僕の言葉も彼の言葉もほとんど伝わっていない。

それでも彼は、僕や妻から様々なことを学んでいて、驚かされる。

植物に霧吹きをするような真似をするし、
携帯を耳に当てたりもする。
たまに、笑ってるのかと思って見てみると、実は笑い方を練習しているようなときもある。

彼は、まず僕や妻を真似るのだ。
子どもは、驚くほどに大人を観察していて、まずは言葉や行動を訳もわからずに真似て、それを何度も試してみる。そして、意味や使い方は後回しにされている。

彼のやり方をみていると、確かに何かを言葉で説明するというのは、とても非効率に思えてくる。
僕たち大人が辞書に書いてある言葉の意味を読んでも、なんの説明だかよくわからないように、言葉による言葉の説明というのは、そもそもほとんど伝わっていないと考えた方がよいのかもしれない。

子どもに対しても、私たち大人に対しても。

そのように考えるなら、やはり、僕が息子にいくら言葉をつくしても、「姿勢を良くしなさい」は伝わらない。
だけれど、彼らは言葉の周辺の情報を怖いほどよく観察している。
であるから、ぼくは彼に真似されてもよい自分であろうと思うし、そうするとやっと心から背筋を伸ばそうと思えるのだ。

そしてどうせ伝わらない言葉であるとしても、言葉の周辺の態度は観察されているであろうから、
「姿勢を良くしなさい」
ではなく、せめて
「姿勢を良くするといいよ」
という言葉を使おうと思うし、
言葉の最後に、
「だけど、おとうさんもよくわからないから
一緒に調べて考えてみようね」
という言葉を付け加えることが、一番害がないのだろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?