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愛していた、辞書を捨てる

《天下》に引き続き、不要な書物を捨てるよう命じる鬼軍曹も、猛暑期間だけはその追及の手を休めていましたが、さすがに10月も半ばとなり、再び圧力を強めています。

以前は愛用していたがネットの普及と共に開くこともなくなったのが『辞書類』です。
ここ20年から30年の間、ほぼ死蔵していたといっていい辞書を捨てました。── とはいえ、長い間に情も移り、燃えるゴミとするのは忍びなく、ほかの書物と共に、近くの図書館に寄贈しました。
「あんなもの、どうせ図書館も捨てるんでしょ」
鬼軍曹は冷たく言いますが、いいのです ── かつての友人と別れるには、それなりの儀式が必要なのです。

捨てたのは、広辞苑をはじめ、それよりも分厚くたった一冊でも枕に使ったら翌朝首が痛くなること間違いなしの英和辞典と英英辞典が1冊ずつ、英和、和英の中辞典、独和辞典、そして、英語論文を書く際に愛用していた、これも巨大な科学技術英語表現辞典です。そして……

『そして……』の後を続ける前に、こうした巨大な辞書を編集した人たちに敬意と感謝を表さなくてはならない。
といっても、映画『舟を編む』を観るまでは、そのような人たちに思いを巡らすことなどまったくなかった。
その意味で、三浦しをんさんの小説(読んでいないけど)は重要だなあ。それにしても、その原作を映画にしようなんて、よく考えたものだと感心します。
時間がとてもゆっくりと流れる世界なんですね。
小林薫と松田龍平の『静かな演技』が印象的でした。

そして……
20代後半から30代にかけて私が一番愛した辞書が:

名著「日本語の起源(岩波新書)」著者の大野晋さんが共著者!

言い訳になりますが、仕事上で読む書類のほとんどが理系の教科書や論文であり、その半数が英語だった当時の私が小説を書くと、同じ単語の繰り返しになってしまいがちでした。

例えば『思う』とか『気付いた』がやたらと出てきたりするわけです。
これはいけない、と買ったのがこの辞書で、かなり使いでがありました。
30代で小説やエッセイを書いている時は、まさに『座右』に置いていました。

けれど、手書きからワープロへ、そしてPCに変わり、インターネット検索機能が爆発的に高まるのと連動して無料データベースが増殖していくと、いつしか類語検索もPC上で行うことになりました。

無用となった後、さらに20年以上も『類語国語辞典』を書斎中の『一等地』に置いてあったのは、過去にお世話になったことへの感謝なのか拘泥なのか、単なるノスタルジアなのか、わかりません。

合理主義者の鬼軍曹には『意味不明!』と言われますが、そもそも自分と言う人間は、
『カキモノは論理的でありたい』
と思っていますが、

『その実体/本質/アタマの中は意味不明!』
なのでしょう。

両者の中間にあたる、
『口から飛び出す話』
がしばしば、
『意味不明!』
と言われるのはこのために違いありません。

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