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人材派遣(短編小説;8,700文字)

<当たり前に思っていた日常風景が突然変わる ── 怖い話>


 その朝、いつものように出社した俺は、営業所に人影がまったくないのに当惑した。
 毎朝赤ら顔でにこにこしている守衛の爺さんがいない。ちょいと色っぽい受付の中村麻里もいなけりゃ、セールスの近藤や芝田もいない。技術の赤沢も、経理の川村係長の姿もない。朝の挨拶代わりに俺をにらみ付ける課長もいない。所長室をノックしてみたが、返事はなかった。
 ── 所全体がもぬけの殻なんだ。

 まず、俺は時間を確かめた。もう9時近い。そりゃそうだ。8時半始業の営業所で常に一番遅く出社するのは、自慢じゃないが、朝が苦手なこの俺だ。
 曜日を間違えたか? いや、今日は確かに月曜だ。第一、昨日が日曜で、お前や大輔、宏美と一日、遊園地で遊んだんだから、間違えようがない。
 次に俺は、今日が営業所の慰安会か何か特別な行事でもあったか、と考えたが、カレンダー黒板にも、もちろん俺の手帳にも、特別な事は何も書かれてなかった。しかし、それ以外の理由で全員が一斉に休暇を取るとは考えられなかった。

 守衛の爺さんはウチの社員ではなく、警備会社からの派遣だったから、守衛室の壁に張ってあった番号を頼りに電話をかけてみた。
 そうしたら、
「ああ、立原医療機械さんですか? ええ、今日から守衛は出ておりません。いや、昨日、おたくの会社から連絡がありましてね、本日付けで守衛の派遣を断ってこられたんですよ。── 最近、業績が良くないとは聞いていましたが、なかなか大変ですな」
 と言われたよ。冬のボーナスは知っての通り大幅カットだったけれど、守衛を雇う余裕もなくなっているなんて、思ってもみなかった。

 それから1時間くらい待っていたが、相変らず誰も来ない、俺ひとりきりだ。その間何度か電話がかかってきたが、警戒して取らなかった。俺の知らない所で何か大きな陰謀が進行しているような気がしたんだ。
 あ、そうか、と思って今度は本社の代表番号に電話をかけてみた。俺が出社する前に、本社から何か緊急の呼び出しがあって、── もちろん考えにくい事なんだが、全員が呼び出された、なんて可能性もあるからな。
 普段なら受付が出てすぐ取り次いでくれるんだが、今日だけは待っても待っても誰も出やしない。もう切ろうかと諦めかけた頃にようやく繋がった。

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