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夢の配役(短編小説;9,600文字)

悪夢から逃れたい、最初はその願いだけだったけれど……。


 暗闇の中を、俺はずっと走り続けていた。ひたすら走り、逃げていた。何から? ── わからない。何かおどろおどろしいものだ。俺を喰い殺そうと追いかけてくる。速力を緩めると、そいつはすぐ追いついてきて、耳の後ろに生臭い息を吐きかけてくる。
 もうだめだ。心臓が破れそうだった。立ち止まろうとしたとたん、強く腕をつかまれた。
「うわわわわっ!」
 ふりほどこうと、腕を振った ── そこで、目が覚めた。

「どうしたのよ? ……すごくうなされていたわよ」
 妻の顔が覗き込んでいた。
(ふう……怖ろしかった……まただ)
「このところ、毎晩じゃない」
「……ああ……君か、腕をつかんだのは?」
「だって、ほんと苦しそうにしてるんだもの……このまま死んじゃうかと思うくらい」
「……このところ、こんな夢ばかりなんだ」
 激しい鼓動だけは目が覚めても変わらなかった。
「……こんな夢ばかり見続けていたら、本当にどうかなっちまうかもな」
「心配で調べてみたんだけど、夢のカウンセリングってあるみたいよ。今日にでも行ってみたら?」
「精神科医かい? ……あんまりなあ」
「ううん、ハイテク企業なんだって。ほら、時々聞くじゃない、── バイオテック・ショート・サーキット社って名前?」
「ああ、BSCか? 生体とITとのインターフェースみたいなデバイスを作っている会社だろ? うーん……」

 ダメモトで問い合わせたら、その日のアポが取れた。体調が悪い、と勤務先に連絡を入れ、BSC社の《夢相談》に行ってみることにした。

**********

「……へえ。怖い夢を見る、それも連日? ……そりゃ、耐えられないわね」
 白衣を着たカウンセラーを予想していたが、女子高生にしか見えない海老茶色ジャージ上下姿が、クラスメートに相槌を打つかのような軽口をたたいた。
「そういった夢を見ないで済む方法はあるのでしょうか?」
 この小娘じゃなあ、と思いながらも、カウンセリングの小部屋の中で ── そこには壁取付式のパネルモニターがひとつあるだけだった ── 他に頼る者もなく、藁をもつかむ気持ちで尋ねてみた。
「ないわよ、そんなの」
 実にあっけなかった。
「はあ……ですよね」
 やっぱり来るんじゃなかった。
「でもね」肩を落とした俺に彼女は続けた。
「楽しい夢を見ることならできるわよ ── そしたら、結果的に怖い夢を見ずに済むじゃない?」
「はあ……楽しい夢、ねえ」
「オジサン、どんな夢を見たい?」
「……うーん、そうだな……ホテルのプールサイドで横になって、冷えたビールを飲んで……それから、えーと」
 少し迷ったけれど、JK風カウンセラーがどう取るかはこの際気にせず、思いきって《楽しい路線》に突っ走った。
「……隣にはビキニ姿の美女がいて、青いカクテルを飲んでる……ボクたちふたりは時々泳ぎ、疲れたら寝そべって、今度はどこに旅に出ようか、なんて話しているんだ……」
「それから? それからどうしたいの?」
 JKカウンセラーの目が大きくなったような気がした。さすがにその次の展開は都合がよすぎるし、R18話になりそうだったので、
「いや、……それだけなんだけど」
「ふーん。意外とあっさりしてるのね。相手の女の人は誰? ── 例えば、奥さんとか、ナニナニ会社の経理課のマルマルさんとか、── 具体的に」
「え、そこまで指定できるの?」
「というより、指定しなきゃ、オジサンがどんなイメージを望んでいるのか、わからないじゃん。女の人、とだけだったら、ビキニ着た幼稚園児だとか、95歳のおばあちゃんだったり ── が夢に出てきたらどうよ? 美女ったって、好み次第 ── 万人共通の概念じゃないでしょ?」
「── たしかに」
 どうせ夢だ、と勤務先で同じ課の岡田美玖の名前を挙げてみた。顔はイマイチだが、ビキニ姿、という設定から、会社で五指に入るナイスバディを優先した。
(岡田美玖は先月結婚したばかりの新婚人妻だが、どうぜ夢だ、かまうものか)
 カウンセラーはタブレット端末になにやら書き込んでいたが、5分ほどで壁モニターを起動した。
「今から30分、このモニターにドラマが映し出されます。そのドラマを真剣に見てくださいね。目をそらさず、真面目に見ていないと、オジサンが望む夢は見られないわよ ── いい?」
 彼女は部屋から出て、ドアを閉めた。

 モニターのドラマは ── てっきり、ホテルのプール場面が出てくるかと思って見ていたら、なんのことはない、無関係で退屈な刑事ドラマだった。
(馬鹿にしてるのか?)
 せっかく会社まで休んだのに ── 腹立たしくもあったが、とにかく最後まで見た。
 ドラマが終わるタイミングで、50代後半ほどの、スーツ姿で禿げた男が部屋に入ってきた。
「これで終了です。本日のカウンセリング料はこちらになります」
「えええ! いくらなんでも、高すぎるんじゃないの? ── 健康保険も効かないんだろ?」
「何をおっしゃる。あなた、天才発明家の貴重な時間を20分も独占したんですよ」
「天才って、あの女のコ? 高校生だろ? ── まだ」
「高校生活は人生のムダ、と行ってはおられません。ドリームニッターの発明者にして天才AIプログラマー、わが社の至宝、神島こうのしま鈴鹿すずかフェローです」
 ジャーン、とバックで銅鑼でも鳴りそうな言い方だった。
「ド、ドリ……何? 聞いたことないな」
「……でしょう。まだ開発と並行してバグ出ししている段階ですから。でもお客様は今日、既に使われましたよ」
 狐につままれたような気持で請求額を払い、家に帰った。

「どうだった?」
「うーん」妻に尋ねられても、答えようがなかった。
「……わからない」
「どういうこと?」
「うまくいけば、今夜は怖い夢を見ずに済む……かもしれない……でも、やっぱり……わからない」
 夜になるのが、楽しみでもあり、怖くもあった。

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