見出し画像

オフィスでインベーダーを撃ち続ける流れ者の営業マン

いや、『奇人・変人』ではなく、ごく普通の人だったのかもしれないけれど……。

結婚した時、私は大学院に入学したばかり、妻は仕事を辞め九州から上京するタイミングでした。
妻が定職を見つけるまでのバイト仕事を探すため、学生課で求人票を眺め渡した私は、
・職種:事務員
・職場:地下鉄湯島駅より徒歩*分
という、病院に医療雑貨を納める会社に電話してみた。
このあたりの経緯いきさつは別アカウントに書いたことがあり、その時は若い社長に焦点をあてました。

社長の名刺には、『本社・工場』として埼玉県の住所、『東京営業所』として湯島の住所が書かれていたが、4月初めから勤め始めた妻によれば、
・『本社・工場』は社長夫人の実家住所で実体はない。
・『東京営業所』は小さなビルの2階にある8畳ほどのオフィスに机が3台と電話が1台のみ。
・その会社には社長の他、流れ者の営業マンT氏と大家のおばさん(見かねて経理を手伝い)しかおらず、バイト事務の妻が加わりようやく4人。
── という零細企業でした。

**********

『謎』だったのは、貴重なオフィススペースに、当時一世を風靡した『インベーダーゲーム』が置いてあったこと。
喫茶店でテーブル代わりに使われ、ついコインを入れてしまうという、こんなヤツ:

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Space_Invaders.JPG

株式会社タイトーがこの2年ほど前に発売した『スペースインベーダー』が大ヒットし、特にテーブルタイプ出現によっり、設置場所がアーケードから喫茶店やスナックへと広がりました。
このゲームにはまって喫茶店に通い詰め、受験勉強ではビクともしなかった視力が一気に衰えた友人もいました。

この回想を書き始めたきっかけは、懐かしい昭和を素敵なイラストで描くYu Morioさんの記事を読んだことです。

社長は28歳、この営業マンT氏は40近かったはず。
深夜まで働き、時にはオフィス横の2畳ほどの倉庫で泊まることもある社長がややくたびれたスーツだったのに対して、T氏は学生の目からも高価そうな三つ揃いをまとい、髪をポマードで光らせていた。

私が妻の職場を訪ねたのは数回程度だったが、T氏はいつも『スペースインベーダー』のテーブルに陣取り、ほとんど顔を上げることなく真剣にゲームに興じていた。
インベーダーを狙って繰り出すミサイル発射音がオフィスに漏れていた。

独立して間もない社長は、自分より年長であることに加え、大手を含めいくつかの医療商社を渡り歩いたT氏の『顔』を頼りにしており、彼への遠慮は相当なものだった。

注文品がまだ届かず、客から苦情電話がかかると、妻が、
「あれ、まだ着いていませんか? もう出てますけどお」
と《蕎麦屋の出前》応対の傍らで、社長が必死に梱包中、という状況でも、T氏はマイペースだったという。

「あの人はたぶん、会社が危なくなったら、さっさと辞めると思うわ」
妻はそう話していた。

ある晩、社長は私をお好み焼き屋に誘い、ビールを注ぎながら、
「大学院なんか辞めてウチに来いよ。俺の《右腕》にならないか?
と口説いた。
「結婚もしたことだし、自分の力で金を稼いだらどうだ?」

その話には乗らなかったけれど、『真の部下』が欲しい、という彼の気持ちはよくわかった。

**********

妻がこの会社で働いたのは半年間ほどだった。
辞めた後も年賀状のやりとりはしていたので、就職で故郷に転居した後、上京ついでにふたりでこの会社を訪ねてみた。

── 3年ぶりだった。

驚いたことに会社は発展しており、同じビルの1,2階を全て占拠し、社員も10人ほどに増えていた。
社長は彼らに向かって、過分なる紹介をしてくれた:
「創業期にたいへんお世話になった、会社の恩人、谷さんご夫妻だ」

一斉に頭を下げたその中に、インベーダーゲームに熱心だった『流れ者』T氏の姿は無く、それは、私たちを安心させた。

**********

40年経った今、妻に尋ねてみる:
「どうして、あそこにインベーダーゲームのテーブルがあったんだろう?」
「あの頃の社長は毎日の自転車操業で頭が一杯で、時々、全てを忘れたかったんじゃないかな ── 頭を空っぽにしたかったのよ、きっと」
「……なるほど」

── Tさんが(たぶん)定時で帰った後、あるいは仕事が全て終わった夜中、社長はたったひとり、迫りくるインベーダーを退治していたのかもしれない。

この記事が参加している募集

心に残ったゲーム

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?