大好物の鶏ハツとヤキトリ串打ちのトラウマ
とあるスーパーマーケットの店先に、屋台の焼き鳥店が出るのは、金土日の3日間。屋台といってもテイクアウトで、多くはスーパーに来るお客のついで買い狙いかもしれない。
スーパーの総菜売り場にも焼き鳥(モモ、皮、レバー)が売られており、そちらが若干安価ではあるが、味は大差で、私は(いや、他にもいるだろう)屋台のみを目指してその場所にしばしば出没する。
屋台には総菜売り場と競合する定番の他、軟骨、砂肝、ぼんじり、砂肝、……などラインナップもそろっている。
なかでもこの店の『ハツ/こころ』は絶品で、おそらく相当新鮮な鶏心臓を使っているのだろう ── とても柔らかい。
当然のことながら、心臓に毛が生えている人間はたくさんいるが、鶏の心臓はひとつしかない。
串には(おそらく)ふたつに切ったハツを3切れ刺しているため、ひと串で1.5羽使用、とあまり効率的な部位ではない。
にもかかわらず、ライバル愛好家がいるらしく、遅く現れるとオジサンに、
「すみませんねえ。こころ、売り切れなんです」
と頭を下げられる。
うーん、今度はもっと早く来なければ、と臍をかみつつ、焼き鳥(=モモ)を買って帰る。
帰り道に、
「いつの間に『ハツ』を『こころ』と呼ぶようになったのだろう?」
などと考えながら。
同居人は、レバーを除く内蔵系は苦手で、もっぱらビールをお供に私がひとり食べる。焼肉屋でも、彼女は牛タンなども、そしてモツはもちろん、めったに口にしない。
── それは、彼女の潜在意識の中に、あるグロい光景がトラウマとして残存しているからではないか、とずっと疑っている ── けれど口には出さない。
**********
大学2年の時、学園祭で何かやろうぜ、とサークルで話が持ち上がり、仲間のひとりが、
「行きつけの飲み屋の親父から聞いたんだけど、ヤキトリ屋が儲かるらしいぞ」
と言うので、前日夕刻にその店の2階に集まった。
親父の伝手で豚モツの卸から買ってきたのは、血まみれの、豚の顔(カシラ)、心臓(ハツ)、肝臓(レバー)、小腸(シロ)の塊だった。
それを仲間5-6人で細かく切り、竹串を打つ、という作業を、ほぼ徹夜で延々とやったのだ。
中でも特にグロいのが『カシラ』で、
「目玉もあったけど、そこは外してもらったよ」
と買い出し係は言ったけれど、さすがに『顔』らしく、ひげも生えている(注:焼くと燃えて消えるから、客は知らないけれど)。
そして、串に一番刺しにくく手こずったのは、とてつもなく柔らかいレバーだった。
そんな血みどろの現場になるとは想像だにせず、調理の手伝いぐらいの感覚で、私ひとり、彼女を連れて行った。
事件現場に立ち入った後、ひとりだけ帰るわけにも行かず、彼女はほとんど泣きながら、一緒に血まみれになってくれた。
── ただ、ひとつ疑問があった。
「これ、豚だろ? ヤキトリって言って売っていいの?」
「『鳥』って漢字を使わなきゃいいのさ。カタカナ表記の場合は豚だって、客もわかっているのさ」
そんな会話を交わしながら串打ちしていたが、どうなんだろうか?
── そう、今は便利な道具がある:
本当だったんだ!
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