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パシィとトコトコ人形(再掲)

《トコトコ人形》をご存じだろうか。
先端におもりが結ばれている長い紐がついた、人や動物の形をした小さなおもちゃだ。
おもりを机の端から垂らすと、人形は足を交互に動かしてトコトコ歩き、机の端まで行くと、ピタッと止まる。

この他に、紐とおもりが付いておらず、緩やかな坂道をトコトコくだる方式もある。
いずれも、《位置エネルギー》《運動エネルギー》に変わることを利用している、とても《昭和》なおもちゃだ。
ゼンマイ式のトコトコ人形は今も販売されているが、《重力式》はほとんど見かけない。

このおもちゃに関する僕の記憶は、高校2年の同級生《パシィ》の想い出と重なり、その想い出は、新任の数学教師ながら、その1年だけで教職を辞め《故郷の島》に帰っていった、K先生に対する(今では)苦い記憶と重なる。

**********

高校生とは、残酷で容赦がない生き物だ。
猛獣使いが有効な《ムチ》を持っているか、あるいは《ムチ》の代わりに《徳》や《力量》に裏打ちされた《威光》を持っているか、常に見定めようとしている。

K先生は国立大学の工学系学科を卒業し、僕たちの高校に赴任した。
僕らは1年から2年に上がるタイミングだった。
その年から学校群制度が始まり、60人の教員中、反体制系20人が『飛ばされた』。僕の属するワンゲル部の顧問も転出させられた、
そして代わりに、体制側っぽい教員が『送り込まれてきた』(と在校生は感じた)。
K先生はこのような『政治的』動きとはまったく関係のない、単なるノンポリ新任教師だったが、僕らは無意識のうちに、(『向こう側』教師のひとり)に自動分別していた ── かもしれない。

K先生は、小柄で黒縁眼鏡をかけ、穏やかな性格の人だった。声を荒げて生徒を叱ったりするようなことはまったくない。『職務』である数学授業を粛々と進めていった。
このように、『性格はいいが、特徴がない』先生は、生徒たちにめられるリスクが常にある。

最初の半年ぐらいは、それなりに均衡が保たれていた。
他の授業と同じく、教室内での『適度な傾聴』と『適度な無視』、それに『適度なサボり』が共存していた。

一方の《パシィ》は、少し変わった男子生徒だった。
長身でオカッパ髪、普段はほとんど誰とも会話をしなかった。その日まではクラスのほぼ全員が、《寡黙な変わり者》ぐらいの印象しか持っていなかった、と思う。

その日、K先生の授業の少し前から、《パシィ》は机の上に《トコトコ人形》を出し、何度も何度も歩かせていた。
僕のすぐ後ろの席だったので、振り返って見ていると、彼は、《トコトコ人形》が机の端まで歩いてはピタッと止まるのが、不思議なようだった。なぜ止まるのかを解明しようとして、《実験》を続けていたのかもしれない。

授業が始まっても、《実験》は続いた。
K先生はそれを少し気にしているようにも見えたが、いつも通り、注意するようなことはなく、淡々と授業を続けた。
そして、微積分かなにかの問題を黒板に書き、
「じゃ、前に出て、この問題を解いてもらおうかな。……解ける人、手を挙げて」
── いつも通り、誰も手を挙げなかった。
「では、こちらから指名します。……**君」
《パシィ》の名前が呼ばれた。
彼は《トコトコ人形》の実験を中断し、立ち上がった。── その場で立ち上がった ── だけだった。

「えーと……」
K先生は少し反応をうかがった後、
「この問題、わかりますか?」
と続けた。
《パシィ》は立ち上がったまま、わずかな、── もし割合で示すなら、1/10ほどの笑みを浮かべ、黙ったままでいた
K先生は、明らかに困惑し始めた。
「どうしたの。黙っていちゃ、わからないな。……この問題、解けるかな」
沈黙を続ける《パシィ》に、ついに、温厚なK先生も声を荒げた。
「どうして黙っているの! この問題、解いてみなさい、って言ってるだろ。わからないのか?」
その時である ──《パシィ》が口を開いて何か言った。
「え?」
K先生も、僕も ── たぶん、教室の誰もが、最初は聞き取れなかった。
《パシィ》は、相変わらず1/10の笑みをたたえたまま、今度はゆっくりと、くっきりと、言った

「今、テレパシーで答えました」

「はあ?」
K先生の頭のネジは、一瞬外れた、と思う。外れたネジは急いでハメなければならない。
しかも、教室中の全生徒が、ネジをハメ終えた先生の、《次のリアクション》を待っていた

K先生は、自分の頭に両手を当て、
「あっ! 来た来た来た、テレパシーが来た!」
と叫び、一目散に黒板に向かうと、自分が出題したばかりの問題を、自分で解いた。
そして、
この答えでいいんだな、**君」
と尋ねた。
《パシィ》は静かに、
「はい。合っています」
巫女みこ》のように告げて着席し、《トコトコ人形》実験を再開した

そう、《パシィ》というニックネームは、この《事件》から始まったのだ。

そしてこの日から、K先生に対する《潮目》は大きく変わった。
彼にとって、おそらく一世一代の《お茶目》は、空振りに終わっただけでなく、完全に裏目に出た
その日以来、僕らのクラスでは、彼に指されても、立ち上がったり、ましてや黒板に行って問題を解いたりする生徒は、ほとんどいなくなった。
僕自身も、K先生の授業になると頻繁に抜け出し、喫茶店や公園で遊んでいることが多くなった。

残りの半年間、彼は教室で、ほぼひとりで授業を行った。
自分で問題を出し、自分で解いてみせた。《みせた》といっても、実際に見ている生徒はどれほどいただろうか。

**********

その学年の終業式で、他校に転出する先生、定年退職する先生に交じり、K先生が別れのあいさつに立った。
「……1年間ではありましたが、たいへんお世話になりました。この度、教職を辞め、故郷の島で家業に就くことになりました。その島は……」
講堂でマイクの前に立つK先生は、ずいぶん小さく見えた。
彼は、自分の故郷の島は自然が豊富な素晴らしい場所であると語り、1年間の教員生活の中身にはほとんど触れることなく、挨拶を終えた。

今でも、K先生の顔は鮮明に想い出すことができる。
そして、彼は、彼の教員生活を1年で葬ったあのクラスを、一体どう思っているだろうか、と考える。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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