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元日の客(短編小説;3,800文字)

 ひとりきりの初詣を終えてアパートに戻ると、炬燵こたつに見知らぬ女が入っていた。

「あれ、……誰?」
「#&%*#&%*#%*」
 女が何か言ったようだったが ── その唇は紫色で、体がふるえている。
「ああ、炬燵のスイッチ、入れればいいのに」
 電源を入れ、炬燵に足を入れる。女と足が触れ合った。
「とりあえず、幽霊ではなさそうだ」
 女は白装束姿だった。
 神社で絵馬を売っていた巫女は袴が赤かったが、と思い、炬燵布団を少しめくって覗いてみたら、胡坐をかいた白い太腿が目に入った。
「おっとっと……」
 何かいにしえの衣のようだった。
 年齢は ── まったくわからない。張りのある表情から、少なくとも老婆ではなさそうだった。
(そうか、今日は元日か……)

 ── 歳神様としがみさまかもしれない

 正月に各家庭にやってくるという《来訪神》で、お供えをしておもてなしをするのがしきたりだ。
 歳神は女神、と誰かが言っていたような気もする。晦日みそかの掃除も、歳神様をお迎えするためにするのだと聞く。
 部屋を見渡せば、半ばゴミ屋敷状態だった。
 昨年、離婚調停が成立し、凶暴な元・妻に家から追い出されたのだ。
(歳神様ならば、歓待せねばなるまい)
 ── しかし、お供えの支度もない。
「あのう、……お風呂でも入って温まりますか?」
 尋ねるとやはり、
「%*#%*#&%*#&」
 理解困難な言語だったが、しかし、お多福にも似たしもぶくれの顔は、わずかにほころびたようにも見えた。
(よし、湯を沸かそう)

 狭いユニットバスだったが、せめてもの歓迎のしるしに、と歳神様の手を取って立たせ、風呂に導いた。
 脱衣所で立ちすくんでいるだけなので、弱ったな、と思いつつも古代風白装束を脱がせた。── 驚くことに、その衣1枚を肌身に着けているだけで、その下からはふくよかな体が現れた。
(こりゃ、寒いはずだ)
 女は特に抵抗もせず、導くままに浴室に入り、浴槽に体を沈めた。
「どうですか? 湯加減は?」
「#%*&%*#&%」
 相変わらず意味不明だが、目を細め、喜んでいるように見えた。
 その体は白く豊かで、つくり・・・自体は人間の女性とあまり変わらないようだ。
 歳神様を風呂場に残して部屋に戻り検索すると、歳神が女神の場合、頗梨采女はりさいじょと呼ばれる、娑伽羅龍王しゃがらりゅうおうの娘、牛頭天王ごずてんのうの后だという。
(こりゃ、かなり偉い神様らしいぞ。高貴な女性は人に世話されることに慣れているから、恥ずかしがったりしないんだ)
 風呂に戻り、侍女になりきったつもりで湯船に浸かったままの歳神様の首筋や背中を流すと、やはり、
「#%*&%*#&%」
 とつぶやき、目を細めて気持ちよさそうだ。
(まあ、こちとら、奴隷みたいなもんだから、こんなところに旦那の牛頭天王に踏み込まれても問題なかろう)
 歳神様を抱きかかえるようにして風呂から上げ、先ほどの白装束の上にカーディガンを羽織らせて、炬燵につれ戻った。

「どうですか、温まったでしょう? ……一杯いきますか?」
 熱燗をつけると、これがけっこういけるクチで、ふたりで5合ほども飲んだ。
「……なんだか眠くなってきた。じゃ、歳神様はベッドにどうぞ。私はこの辺で適当に寝ますので」
 そう言う私に、彼女は、
「#%#%#%#%#%#%#%!」
 と、呂律の回らぬ声で叫び、意外なほどの力で私をベッドに連行した。
(……こりゃ、従うしかあるまい、何せ向こうは神様だ)
 酔った頭でそう判断し、暖かくふくよかな体と一緒に倒れ込んだ。
(えーと、何か願掛けをした方がいいのかな。……歳神様、今年は気立ての優しいひとと幸せなご縁がありますように!
 ……その後のことは、夢かうつつか確とはしない。耳もとで何度も、
「&&*&##!!」
 激しい喘ぎ声を聞いたような気がする。

***********

 さて、歳神様へのお願いは叶ったのか? ── それは、自分でもよくわからない。
 正月が明けてしばらく経っても、仕事場でも、また、プライベートでも、特に親しくなった女性はいなかった。
 ただ毎日、アパートに帰ると、
「#%*%*&%*#*%*&!」
 白装束にふくよかな体を包んだ女が、相変わらず意味不明の叫びを挙げながら突進してくる。
 ── これが、歳神様のくださった幸せ、── なのかもしれない。

*********************

「ちょっと、あんた、アタシの言うこと、ちゃんと聴いてる?」
 ふと我に返ると、横に坐った女が目を吊り上げていた。
「あ? ……ああ、聴いてます。……って、何でしたっけ?」
「もう! 何話しても上の空なんだから!」
 職場の懇親会に出ていたはずだが、いつの間にやら2次会の席、女性上司とふたりきりになっていた。
「あんた、去年離婚してから元気がなかったようだけど、年が改まってから、様子が変わったわねえ。誰かいい人、できたんじゃないの?」
 男性上司が女性部下にこういう質問をすれば、最近はイエローカードが出されると聞くが、その逆はどうやらOKらしい。
「いや、課長、そんなことありません」

 元日以来アパートにみついている《歳神様》はそもそも《人》ではないのだから、《いい人》の範疇には入らないだろう。いや、そもそも、《いい/悪い》という《概念》の枠外にある。

「でもあんた、今日アタシが話しかけても、なんだかずっと、心ここにあらず、って感じ ── 全然聴いてないみたいだったわよ」

 ── それは違う。

 毎日家で、
「&%*#*%#%%**&!」
 意味不明の言語を聞いているうちに、本来意味を理解できる言語にも関心を失ってきたのだ。
 最近では、《歳神様》がにっこり笑って、
「#%%**&&%*#*%!」
 など話すと、
『そうですね、今日も熱燗にしましょうか』
『腰を揉みましょうかね』
『え、もう……始めるんですか』
 ── など、それなりに日常が進んでいく。
 《以心伝心》なんてことはまったくないが、理解できない言語を毎日聴くうちに、《理解できる言語》にまで重きを置かなくなってきたのだ。
 思えば、前妻とうまくいかなかったのも、彼女の《暴言》をそのまま受け止めて傷ついてしまったことが問題だった、と今ならわかる。彼女が意味不明の言語を発していたなら、あそこまで関係がこじれることはなかったかもしれない。

「よし! 3次会はあんたの家で飲もう!」
 課長はかなり酔っているのか、こちらにもたれかかってきた。彼女もバツ1独身なのでどうなろうとお互い問題なしとはいえ、上司と部下である。これも、男女逆転していれば、間違いなくレッドカード、《一発退場》だろう。
「……弱ったな」
 家に送ろうにも住所を知らない。住所を聞き出して送り届ければ、より面倒なことになりそうだ。一方、こちらの自宅は《歳神様》が鎮座 ── いや ── 突進してくる。
(待てよ。……歳神様が居ついたのはおそらく、俺の願掛け『気立ての優しい女との幸せなご縁』を叶えてくれているのだろう。だとすると、課長を《お持ち帰り》したら、どういうことになるのだろう?
 自分の出番はここまで、と姿を消すのか、それとも、この女と喧嘩でも始めるのか、 ── なんだか興味が湧いてきた。
「……じゃあ課長、行きますか」
 かなりふらついている課長とタクシーに乗り、アパートに着いた。

 身構えながらドアを開けると、半ば予期した通り、白装束の《歳神様》が叫びながら突進してきた ── 酔った課長の体を抱えて身動きできない私に向かって。
「#$%&#%%$##%#&%!!」
「うわわわわあ!」

 ── 気が付くと、私はベッドにいた。
 傍らには、課長がスーツ姿で横たわっている。
(あれれ? ……《歳神様》は?)
 起き上がろうとすると、課長が目を覚ましてしがみついてきた。
「あ、課長、すみません。……何が何だか……」
 言い訳しようとした私に、課長はあらん限りの声で叫んだ。
「#&%#$%#%&#%&#%!!」

***********

 その日以来、《歳神様》の姿は見ていない。
 《歳神様》に代わって、アパートには課長が居座っている。
「#&%#$%#&$#&#%!」
「そうだね、そろそろ出勤の時間だね」
 なんとなく、気配でわかるのだ。

 ── でも、わからない。《歳神様》が課長と合体したのか、あるいは、課長に憑りついたのか。いずれにしても、《今の》彼女とはうまくやっていけそうな気がしている。
 じゃあ、結局、《歳神様》が「幸せなご縁がありますように」というお願いを叶えてくれたんじゃないの? とあなたは言うだろう。
 家庭ではそうかもしれない。── でも、まったく問題がないわけじゃない。

***********

「#&%*&%$*#$&%*#!!」
 課長が立ち上がり、私に書類をつきつけて何か叫んだ。それはどうやら、私にだけ意味不明の言語のようで、同じ課のメンバーは気の毒そうにこちらを見ている。
「わかりました。報告書、訂正しておきます」
 とりあえずそう言って、書類を受け取った。

 ── まあしかし、悪くはないか。
 上司の言も、家庭内の会話と同じく、意味不明・理解不能な方が、お互い幸福なのかもしれない。

〈初出:2022年1月1日〉

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