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女性原理が日本を救うかもしれない




ユニアの場合もこれと良く似ている。
「ローマの信徒への手紙」(16:7)で、
パウロは自分より先に使徒になったアンドロニコとユニアに挨拶している。
中世になるまで、それ以前の神学に従って、
ユニアは女性だと固く信じられていた。
ところがその後、遅くともルター以降は、
このユニアがユニアスという名前の男性になってしまった。
女性が使徒であることは許されなかったのである。
     ――――ヘルベルト・ハーク(『聖書の中の女性たち』8頁)



▼▼▼フェミニズムと性別二元論への疑いと性差の肯定と▼▼▼


僕は自分のことを「フェミニスト」だと公言している。
フェミニズムにも本当にいろいろあり、
僕が「ちょっとアレだな」と思うフェミニズムもあれば、
教えられ続けているフェミニズムもある。

ドロテー・ゼレというフェミニスト神学者がいるのだけど、
その人の書いた『神を考える』を読んでから、
僕は自分がフェミニストだと思うようになった。

「家父長制」「男性優位主義」に疑義を呈する意味で、
僕はフェミニストだが、
よくトランスジェンダー批判に利用される、
「男女二分法をむしろ強化ことを前提とするフェミニズム」には、
明確に反対している。
「フェミニズムというイデオロギーのために女性は女性、
 男性は男性でなければならず、
 トランスジェンダーというのはフェミニズムにとって脅威」
という考え方。
ハリーポッターの作者が典型的にこれで、
僕はこれには反対だ。

フェミニズムは「男女二分法と男権主義」を、
脱構築し女性(も男性も)を自由にしてきた思想だ。
そのフェミニズムが、女性>トランス女性 という、
権力関係を志向し、性的マイノリティを排除するするなんて、
倒錯もいいところだ。

クイア寄りのフェミニスト。

これが僕の今のところの思想のかたちになろうか。

さて。

今日はそんな小難しいことを話したいのではない。

『話を聞かない男、地図が読めない女』っていう本が、
随分前にベストセラーになった。

きっと今の時代なら、
ジェンダーバイアスが強すぎるってことになり、
出版社はタイトルを改題することを考えるだろう。

大方の予想では、
あるいは「藁人形論法」の犠牲となり、
僕が「性差などない」と主張していると誤解されがちだ。

しかし、僕を誰だと思ってるんだ。

僕は獣医師で、
「性差」については神学者や牧師を含む、
その辺の人文系の誰よりも、
具体的かつ解像度高く理解しているつもりだ。

哺乳類全般の身体について、
大学で6年間かけて188単位取ったのだ。

あまり馬鹿にしないでほしい。

いや馬鹿にしてもいい。

馬鹿にしていいけど、
「自分が誰と論争しているのか」を、
「LGBTは後天的なもの」という、
似非科学(もっと言えば悪質なウソ)を僕の前で振り回す人は、
自覚した方が良い。
自分が誰にものを言ってるのか考えた方が良い。

マウントを取るというのははしたない行為なので、
マウントを取るつもりはないけれど、
人文系の人がいう「人間の性別は男と女しかない」、
は、背景にある知識があまりにも薄っぺらだ、
ということだけは何度でも言わせてもらう。

何でも「言えばいい」ってもんじゃないのだ。

5ちゃんねるの落書きと、
査読を経た論文は言葉の重みにおいて等質ではない。
SNSがなした世界への最大の害悪は、
馬鹿の放言と勉強した人の根拠ある言葉が、
同じテーブルに並べられるようになったことだ。

その僕に言わせれば、
性別には男と女しかない、
は明確に間違いだ。

そしてなおかつ「性差」はある。

「男性的な傾向」や「女性的な傾向」もある。

ただし、その「性差」は、
多くの人が誤解しているのと違い、
「バイナル(0か1という二分法)」ではない。

それは「二峰性」を示す。
グラフで言うと「双子の山」になるのだ。
両端と真ん中を切り捨てると、
それは「バイナル」になるのだけど、
自然はつねに真ん中を切り捨てない。

昼と夜の間に夕方や朝日があるように。
海と陸の間に干潟があるように。
爬虫類と魚類の間に両生類があるように。
定義によって分類が変わる、
カモノハシがいるように。
コウモリがいるように。

自然は常に「グラデーション」なのだ。
「性グラデーション」はだから、
「世界」を「言葉という鉈」で乱暴に切り捨てないために、
とても大切な考え方なのだ。

神の作品である被造物に耳を傾けるのが自然科学だ。
だとしたら自然科学の知見は神からのメッセージだ。
それを「(自分が勝手に神の言葉と勘違いした)人の言葉」で、
切断してはならない。
多くの人が逆に考えるのとは裏腹に、
それはむしろ神を冒涜することにならないだろうか。

「性別には男と女しかない」は、
「創世記1章に書いてないから夕方は存在しない」とか、
「海と陸を神は造られた」と書いているから干潟は存在しない、
が間違いであるのと同じ理由で間違いだ。

そしてなおかつ、
「性差」はやはりあるのだ。

どゆこと?

解説しよう。


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