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老後はハイラルで過ごそうと思っている




多忙を極めて配慮的に気遣われたものに己を喪失しつつ、
非決意の人は、そうしてものにおのれの時間を失っているのである。
だからこそ彼にとって性格的な語り方は、
「私には時間(ひま)がない」である。
非本来的に実存する人が、不断に時間を失い、
けっして時間を「もっている」ことがないのと同様に、
本来的実存の時間性を際立たせる点は、
本来的実存が、決意性において決して時間を失わず、
「つねに時間(よゆう)をもっている」ということなのである。
 ――――『存在と時間 第三巻』ハイデッガー(248頁)



▼▼▼あと8時間あったら何がしたいか▼▼▼


最近ふと考えた。
「1日がもしあと8時間長かったら、
今やっていること以外に、何を加えたいか」

良い質問だ。

ちなみに、
「今やっていることをもっとやる」は、なしだ。
健康や家庭や仕事や人生設計や休息や、
そのために今、24時間をフルに使っているわけだ。

僕ならば8時間寝ること、
家族との時間、
仕事の時間、
読書の時間、
筋トレの時間、
家事や雑事の時間、
そんなもので一日はあっという間に埋まる。

この場合の「増えた8時間」で、
それらの延長にあるものは、なしだ。
部屋の片付けや、有酸素運動や、
マッサージに行く、や、
たまっている雑用を片付ける、や、
さらに本を読む。

こういったのはなし。

ドラゴンボールの『精神と時の部屋』みたいな感じで、
そこでは「真っ白な時間」が流れている。
しかも、そこで得た能力や知識や技能は、
リアルライフに引き継がれない。

だとしたら、何をしたい?

そういう質問だ。

そうすると、純化された、
「とにかく時間が余ってさえいればやりたいこと」が、
抽出されるというわけだ。

しかし僕たち現代人の99%は、
「時間が余っていることなど皆無」なので、
この質問は、何か哲学的な装いを呈してくるのだ。

いかがだろうか。

読者のあなたも、すこし考えてみてほしい。

、、、

、、、

僕はちょっと考えてこう思った。

ゲームがしたい。

なんじゃそりゃ、と思ったのだけど、
これは僕の根源的な欲求を表しているなぁ、とも思ったのだ。


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