医療現場における暴力について

医療現場における暴力について

【考えるきっかけは実習中にみた暴力】

 それは、僕が病院実習中、先生方と一緒に受け持ちの患者さんの病室を回っていた時の事でした。
 高齢男性の患者さんが急に怒鳴り、話していた先生に罵声を浴びせました。その先生は非常に穏やかで学生の僕に対してもとても優しく指導してくださる方です。普段からお世話になっている先生が、患者さんに寄り添おうと声を掛けたところ、理不尽に怒鳴られている様子に、憤りとも悔しさともつかないやりきれない気持ちが溢れました。
 
 病室を後にして、看護師さん方からその患者さん様子を聴くと「つねられる」「顔を近づけると殴られる」と言うのです。ますます訳が分からなくなりました。なぜ、看護師さんが殴られなければいけないのか?そもそもなぜ暴力がまかり通っているのか?スタッフを守る術ないのか?
 
 一方で、なぜその患者さんは暴力を振るうのだろうか?その苛立ち、焦燥、怒りの根源となっているのは何なのだろうか?そういった事も考えました。患者さんからの暴力の話を半ば諦めた口調で、仕方ない事として語る看護師さんの表情がずっと心に残っています。
 
 こうした暴力に慣れてしまう前に考えたことを残しておこうと思います。

【過去1年間で暴力・ハラスメントを経験した看護師は52.8%】

 看護rooという看護師さん向けの情報サイトがあります。こちらにとりあげられていたアンケート結果は更に衝撃的なものでした。2017年10月に行われた看護師を対象とするアンケート調査において、過去1年間で暴力・ハラスメントを経験した割合は52.8%となりました。(※1)

図1.日本看護協会「2017年看護職員実態調査」より

図2.日本看護協会「2017年看護職員実態調査」より

 過去1年だけに限った調査にもかかわらず、看護師の2人に1人が被害に遭っていました。これだけの看護師さんが、患者さんからの暴力に日々さらされています。それにも関わらず、見過ごされています。更に見逃せないのが、同じ勤務先の職員からのハラスメントが報告されている事です。人間関係の切り離しという項目になっていますが、無視や悪口など人間関係の問題があるようです。

 また訪問看護の現場でも同様に患者さん、またその家族からのハラスメントにさらされています。こちらも約半数の訪問看護師が、身体的暴力、精神的暴力、セクシャルハラスメントの経験を報告しています。同じ看護rooの中で、国訪問看護事業協会による初の全国的な調査についてまとめられています。(※2)

 この調査は、2018年2~3月の間に、協会会員の訪問看護ステーション5580事業所と、勤務する訪問看護師1万1160人を対象に実施され、事業所管理者1979人、訪問看護師3245人から回答を得たもので、以下のような結果になっております。

暴言などの「精神的暴力」を経験した訪問看護師は52.7%で最も多く、「セクシャルハラスメント」は48.4%、「身体的暴力」は45.1%が経験したことがあると回答。過去1年間に限っても、28.8~36.1%の訪問看護師がいずれかの暴力被害を受けていました。

図3.看護roo「訪問看護師の半数「利用者・家族からの暴力やセクハラ」を経験、初の全国調査」より抜粋

【果たしてネタで済ませていい話なのか?】

Twitterでバズっていたゆうとさん(@yuto2550) テレビのキャプチャについてのツイートですが引用させていただきます。

 無論多くの患者さんがねぎらってくれたり、感謝してくれたり、良好な関係が築けている例の方が多いのではないかとは思いますが、一方で、セクハラもまた横行している事も事実なのだと思います。テレビでどう扱われていたのかは見てないのでわからないのですが、こういった話はネタとして済ましてしまっていいのでしょうか。笑い飛ばす看護師さんはたくましいですし、あるあるネタなのであれば、驚きですし見過ごせない問題だと思うのですが、看護師さん達はどのように認識しているのでしょうか。 

医師や上司からのハラスメントまである。

 これは、医師に対するアンケートですが紹介します。m3が行ったアンケート調査では、6割前後の医師がセクハラがあると回答しています。(※4)

 本調査は2018年2月14日~3月13日にかけて、m3.com医師会員を対象に実施。男性250人(うち35歳以上200人、35歳未満50人)、女性207人(うち35歳以上112人、35歳未満95人)から回答を得たものとされています。

 記事の中で紹介されている回答からは、セクハラに関しては、医学的な話か区別しにくい話もあり、セクハラがまかり通る温床になってしまっているようでした。腹部エコー等、異性に不必要に見られたくないものであっても、医療だからと強要される場合もあるようです。手技を教える振りをして体に触る、上司から医療技術伝授と引き換えの飲み会やお付き合いを強要されるといった救いようのない低俗な医師もいるようで残念でなりません。

元記事はこちら(※会員登録が必要です)https://www.m3.com/news/iryoishin/592247

 僕も実習の中でセクシャルハラスメントであろう現場は度々見掛けましたし、同級生や先輩の医師の話を聴いてもセクシャルハラスメントに対する業界全体の意識の低さは感じざるを得ない部分があります。それが教育的な内容ならばまだしも、延々と指導医に拘束され自慢話や仕事の愚痴を聴き、セクハラまがいの扱いまでされる学生や女医さんは少なくありません、キャバ嬢みたいと自嘲気味に話す同期の様子には心が痛みます。この問題を見過ごしておくような事はしたくありません。

 こんな状態の職場に、自分の友人や後輩が働いているとしたら、自分の子供が働いているとしたら、それは許しがたいことですし、心配でなりません。憧れの職業でありながら離職率の高い仕事であるのはこういった問題点があるからでしょうか。

【話を広げるならそもそもの人権意識】

 なぜこのようなことが起きるかと考えた時、相手をひとりの人としてみなしていないからなのではないか。と感じました。人権意識といったらいいのでしょうか。明らかに相手の気持ちへの想像力に欠いた行いです。もしくは立場上逆らえない事を利用した卑劣な行いであり、本来許されるものではありません。

【看護学生を無視する文化】

 あえて文化という表現をしますが、どういった意味があるのかわからないのですが、看護学生の実習において、1日の最後に学生全員でナースステーションに並び、現役看護師の皆様に頭を下げ、大きな声でお礼を言うという習わしがあります。そしてその時大抵の場合、現役看護師の皆様はそのお礼を無視しているという…。もちろん、この手の話を看護学生や看護師さんに伺うと、「そういうのもううちの病院ではなくなったよ!」という声もあり大変嬉しいのですが、他大学の学生や医師に聴いても同様のエピソードは散見されるのでおそらく多くの看護学生が未だ経験していることなのかもしれません。
自分が厳しく指導されて育ってきたから同じように育てる。という事なのかもしれませんが、自分がした嫌な思いをまた誰かにさせるのは違うのでは?と、端から見ていると思ってしまいます。どうか心ある看護師さんそんな連鎖を断ち切ってください。そんな文化ならないほうがいいでしょう。

※ついでに、医学生を放置する風潮も…
 同じような事は医学生にもいえます。先輩からは空気になるようにとアドバイスされます。仕事が優先だから仕事の邪魔をするなという事です。もちろんそのとおりで学生の僕達も邪魔はしないように気をつけたいとは思っているのですが、どう振舞っていいかもわからない環境で無視されているのはつらいものです。僕はせめて立っている学生さんに椅子を出してあげられるような医者になりたいです。

【逆らえない相手に強く出る風潮】

看護、介護に限らず、逆らえない相手に強く出る風潮はどの業界でもありそうです。シンプルに、ほんとうに、ダサい。倫理観はどこへいってしまったのでしょうか?どうしたらそういった風潮をなくしていけるのか?考えていきましょう。

【イギリスでの病院実習でみた掲示】


 英国の診療所で実習する機会があり、そこで目にしたポスターに衝撃を受けました。

「YOUR CHOICE OF TREATMENT」

 警察と医療、どっちの“治療“をあなたは選ぶの? 強烈な皮肉と脅しです。英国らしいですね。NHS staffのNHSというのは、National Health Serviceの事で、診療所のすべてのスタッフ達の事を指しています。verbal or physical ですから、言語的な暴言も、身体的な暴力も起訴しますよ、というメッセージです。

こういった毅然とした対応をとることが、まずは必要な事だと考えています。つい、事なかれ主義に流れてしまうのが日本人の情ですが、悪いものは悪いという事を覚えていかないと上記のような問題は繰り返されてしまいます。

人権意識という意味でも英国での実習は大変勉強になりました。というのも、僕が質問をした時、挨拶をした時、どのスタッフも手を止めて目を見て話を聴いてくれます。わからないことをわからないとはっきり伝えてくれたり、僕が聴き取りに困っている事もわかってくれていて理解できてる?と確認して丁寧に説明してくれる優しさがありました。日本の医学教育ではほぼ味わった事のない、敬意をもって大切に教育されているという感覚を味わいました。人として大切に扱ってくれているという、そんな当たり前のような事でこんなにも心が温まるものなのか、と驚きました。

話は変わりますが、Twitter等々で発信を続けていらっしゃる現役看護師であり、ライターのきむらえりさんも、看護師に対する暴力について以下のようなTweetをしていたので引用させていただきたいと思います。

なぜ、そうなってしまったのか背景を考える姿勢とそれ故に苦慮する様子に頭が下がります。こうした看護師さんの大きな器に頼ってしまって、なんとか現場は成り立っているんだろうなということを改めて考えさせられます。

こちらは、続くツイートですが、医師や病棟医長など上のものが守る姿勢を持つこと、黙認しないことは、徹底して欲しいところです。


 【非暴力、不服従の徹底】

この「断固たる対応をとる」という事、本当に苦手にしている人々が多いように感じます。良い人に限って、我慢してしまいがちです。我慢するものではないという認識を広げる事、声をあげるという事、こういったムーブメントを起こす事は、人権を勝ち取ってきた欧米の人達の方が得意であるように感じます。
 
 これは、パワハラ、マタハラなど育休に対する戦いですが、三菱UFJモルガン・スタンレー証券に勤めていたウッドグレンさんが育休を巡って解雇に至った事について訴訟を起こし、裁判の傍聴を呼びかけたムービーに関するfacebookでの記事です。

 こちらの投稿など、ウッドグレンさんを巡る話題はまたたく間に拡散され、多くの人に認知されるようになりました。1人の社員からムーブメントを起こす力は流石というより他なく、ウッドグレンさんの血の滲むような努力と体を張った訴えあってのものである事は間違いないのですが、ここまでいかなくとも、僕たち一人ひとりが、声を上げる事が重要であるように思います。こういった姿勢は、ぜひ学んでいきたいものです。

 【Shared Dicision Makingという在り方】

少し話が飛躍してしまいますが、「Shared Dicision Making」という考え方が今、少しずつ普及しています。上記のような、患者にとって看護師や介護職員が逆らってこない立場の人間として認識されてしまっている状況を変えるアイディアです。

そもそも、医療はパターナリズム(父権主義)といって、医師や医療者が患者の意思を問わず治療、支援を行ってきた歴史があります。この在り方を否定する形で生まれてきたのが、インフォームドコンセントという考え方です。患者さんの自主的な意見を尊重するというと聴こえはよいですが、意思決定において医療者が責任を持たないようなニュアンスやこれにより消費者主義的な医療になってしまったという批判があります。この消費者主義により、「患者様」が生まれ、横暴な振る舞いが横行しているのではないでしょうか。

 大雑把に言えば、医療者に偏ったパワーバランスを否定してきたところ、今度は患者中心にパワーバランスが偏ってしまっているということです。患者から医療者に対する暴力は、こういった背景による弊害という側面があると考えられます。

 そして、それらを乗り越えるために、新たな在り方を提案するのが、Shared dicision making です。患者と医療者の協働意思決定と診療ガイドライン(※5)においては、協力してヘルスケアの選択を行うために、患者と医療専門職の間で交わす対話と説明されています。つまり、どちらかが優位になるような上下関係ではなく、共に問題に向き合う関係の構築をしよう。対話に基づく対等な関係をつくっていこう、という提案です。

これによって期待されることは、患者さんも医療者の視点に立ち、同じチームとして、共に治療に臨んていけるという点です。医療者は患者さんにサービスを提供するだけの下僕ではないし、患者さんは医療者が提供する医療をただ盲目的に受けるような下僕ではない。目標を共にするパートナーなんですよ、という認識をお互いにしましょうということです。医師だって、看護師だって、介護職員だってパートナーであり、チームメイトですから、尊重し合いましょう。そんな考えが広まっていけば、誰かを暴力の標的にするような事も減っていくのではないかという期待をしています。

 上記のきむらえりさんのTweetでも触れられていましたが、なぜ、患者さんが暴力を振るってしまうのか、その行動の背景にある思いを考えるのもまた必要なことであるように思います。イライラや不安に対して寄り添う、どうして暴力的になってしまうのか?とったところを対話によって乗り越えるような試みは、オープンダイアローグの手法によっても出来るのではないか…と考えていますが、オープンダイアローグについては話が広がり過ぎてしまうので、また別の機会に書こうと思います。

【まとめ】

医療現場では、看護師はじめ多くの職員が日々暴力に晒されています。暴力の種類は様々で、患者から、職員から、医師から、暴力、セクハラ、パワハラなどなど、枚挙に暇がありません。こうした暴力は、相手を軽んじているが故に生じる事であり、また事なかれ主義的な発想から黙認されてしまいがちです。ですが、断固たる対応を取る勇気をもつこと、またそういったムーブメントを起こしていく事で、悲惨な経験を繰り返させないよう一人ひとりが行動していく必要があります。また、医療現場における構造上の問題については、Shered dicison makingの普及によって乗り越えられる希望があります。

 ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。ぜひ、コメント、Twitter等々で議論を深められたらと思います。まだまだ考えが至らない部分ありますので、ご教授いただけたら幸いです。

僕は、医師として働いている訳ではないですが、それでも傷ついたり、怒ったり、現場で感じる事は様々あります。人の人生に立ち会う医療という仕事において、日々人々に尽くしておられる医療従事者の皆様には尊敬の念しかありません。そうして一生懸命過ごしているにも関わらず、辛い思いをする事も少くないのが現状かと思います。そうした理不尽な思いをする人が少しでも減っていく事を願い、出来ることをしていきたいと考えています。

それでは最後は、こんな引用で終わろうと思います。

世界の運命を暴力によって蹂躙させない唯一の方法は、私たち一人ひとりがあらゆる暴力を肯定しないことにある。 by マハトマ・ガンディー


【参考文献】

※1:https://www.kango-roo.com/sn/a/view/5880
※2:https://www.kango-roo.com/sn/a/view/5968
※3:日本看護協会の「2017年看護職員実態調査」:https://www.nurse.or.jp/up_pdf/20180518113525_f.pdf
※4:https://www.m3.com/news/iryoishin/592247
※5:患者と医療者の協働意思決定と診療ガイドライン
http://minds4.jcqhc.or.jp/forum/170128/pdf/05.pdf

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