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攻めの対話~救急医療で感じた対話の場のニーズ~オープンダイアローグから創造する新しい医療(2)

 皆さんこんにちは、精神科救急医学を勉強中の研修医ShunIshikawaです。
前回の投稿の続きの連載になります。

 今回からは、前回説明したオープンダイアローグをどう日本で展開していくか、どんな場面でニーズがありそうかといった話に進んでいこうと思います。

〜救急医療から感じる対話の場のニーズ〜


救急科の患者さんは精神科疾患もあることが多い


 研修医として救急科で勤務した数ヶ月で、精神科疾患が背景にある患者さんの診療に多く関わらせていただきました。
 具体的には、過量服薬(市販薬や処方されている薬を一気にたくさん飲んでしまう)、飛び降り自殺自刃(刃物を使って自殺を試みる)といった自殺企図(自殺を企てた)などの事例です。その他、統合失調症患者さんの多量の飲水による低Na血症、妄想幻覚による事故、摂食障害(いわゆる拒食症)による意識障害などなど、閉鎖病棟があるような精神科に特化した施設はでないにも関わらずそのような患者さんが様々な形で救急車で運ばれてきます。

 彼らの死にたい、消えてしまいたい気持ちはともかく、救急科としては生命を救うのが仕事です。(彼ら彼女らの自殺を絶対に完遂はさせないという、ある種意地を感じさせる治療をする救急科の先生方は頼もしく、シンプルにカッコいいです。)
 さて、一命を取り留めてある程度身体の治療が落ち着くと、どうして自殺を試みてしまったの?というお話を聴くフェーズに入ります。ちなみに、厚生労働省が提唱する自殺総合対策大綱では、自殺は「その多くが追い込まれた末の死である」と、自殺を試みた行為だけでなく、生命を絶たざるを得ない状況に追い込まれるプロセスとして定義されています。
※参照:厚生労働省自殺総合対策大綱


 つまり、その行為をするところまで、何がその人を追い込んでしまったのかが重要になります。

どうして人は自殺に追い込まれるのか?


 そして、「どうしてこんなことしてしまったの?」そう聴いたとき、追い込まれた経緯は様々ですが、口を揃えて言うこと、共通項が少なからずあります。

「何もかもどうでもよくなった」
「どうしようもなくてそうした」
「死ぬしかないと思った」
「相談する相手がいなかった」

 つまり、絶望的な状況下で自殺という手段以外に苦しみから抜け出す方法が見いだせなくなってしまったようでした。その原因は別れ話や職場でのいざこざ、リストラや介護の疲れなど千差万別で、そんな辛いこと続いたら絶望してしまうな…という共感出来る場合もあれば、他の人が聴いたらそんなことで?と思うようなきっかけの場合もあります。いずれにせよ、あくまで当人にとっては、主観的に絶望し活路が見いだせない状況にあったという点では共通していました。

 でも、うつ病や統合失調症など精神疾患があって、精神科に受診しているなら、主治医に体調が良くないことを相談したら良かったんじゃないか?と思う方もいるかもしれません。私もこの質問を投げかけました。「主治医の先生にはつらかったこと言えた?」すると、残念ながら多くの患者さんは、「主治医の先生はよく話を聴いてくれなくて…」と答えます。

 ここでは、精神科診療に当たる先生方を批判したいのではなく、あくまで現行の診療システム上、各患者さんにオーダーメイド的に不調に寄り添うのは困難であるという指摘をしたいので、精神科の先生方はどうか怒らないでください…。

 多くの都市部の精神科外来はどこも超満員、クリニックであれば採算を取るには一人あたり15分前後での診察が理想。大学病院であっても患者さんがとにかく多く、どんなに時間をかけたくても15分程度しか定期受診の患者さんに時間が割けないという先生側にもジレンマ、苦悩があります。
 丁寧に診察すればするほど、多くの患者さんを待たせてしまう。一日あたり診られる患者さんに制約が生まれてしまう。でも、受診を希望する患者さんはたくさんいる…それが現状かと見受けております。

 また、そんな多忙を極める外来診療の中でも、不穏な様子を察知し、しっかり治療するために入院を勧めてくださっている事例も、もちろん多数あります。ですが、多くは入院を拒否したり、そもそも不調ゆえに受診にまでたどり着けず(家を出る気力も失っているなど)入院準備を進めていたのに、拒否された挙げ句救急搬送されてしまった…という悔しい事例も多く経験しました。

 一人ひとりの診察時間をしっかり確保するために、枠を設けるために自由診療のカウンセリングとして高額な診察料金を取るようなクリニックもありますが、果たしてそれが正解なのかは正直わかりません。

相談出来なかった、あるいは、相談相手がいない


 また、家庭や学校、職場、恋愛関係、あらゆることの悩みから自殺を試みてしまった、精神科受診歴がない人も同様の事がいえます。「その悩み、誰かに相談出来なかったの?」と問いかけます。多くの場合、「相談出来なかった。」「頼れる人がいなかった。」と教えてくれます。または相談はしていたが、相談していた相手との関係が悪くなって絶望したというパターンも結構あります。裏切られたとか、期待にそうような相談じゃなかったとか。

もし、対話の場があったのなら…


 たらればではありますが、もしそんな自殺を試みてしまった方々に対話の場があれば、自殺企図を防げたのではないかと思わずにはいられません。
 彼らが、行動する前に、もし駆けつけて対話するオープンダイアローグチームをつくれたら…行為に及ぶ前に、そこまで追い込まれる前に、対話が出来る機会を設けられていたら…。
 こんな危機的状況に切り込んでいく攻めの対話の場はかなりのニーズがあるのではないでしょうか。

 攻めの対話という用語がある訳ではないですが、もう問題が生じてしまっている状況に積極的にアプローチしていくものを攻めの対話、それに対して問題が生じないように日々の暮らしの中に設けられた場での対話を守りの対話と表現して、それぞれにニーズがあることを説明していきます。守りの対話について詳しくは次回以降にしましょう。

 「自殺を未然に防ぐ」ことの素晴らしさは一人の人生を支えるだけでなく、多くの面で有益な結果をもたらす事が予想されます。その人がその後生きていくというだけで十分良かったといえますが、例えば自殺企図による救急医療の逼迫を防げるといったところにも大きい影響があります。
 
 コロナウイルス感染症で診療が圧迫され、救急車も1時間待ち…なんて時勢においては、なるべく救急車が出動する機会を減らせるなら減らしたいというのが本音です。生きたくても病や事故で生命の危機に瀕している人を救いたいと思って救急医学を志した人にとっては、自ら生命を絶とうとする行為自体に憤りに近い思いを抱く方も少なからずいるように思われます。ただ、理由がなんであれ搬送されてきたら全力で診療するのが救急科です。プロとして救命に手を抜くことは一切ないことは確かです。上記の通り、自殺は追い込まれたプロセスがあっての自殺なので、他の疾患で搬送されてくる方と同様に全力で接したいと筆者は考えています。精神疾患患者は邪険に思われている節があるのは悲しく、偏見を解消したいとも考えていますが、それはまた別の問題なので別の機会に。いずれにせよ、医療経済においても自殺を行為に及ぶ前に防げるならそれが一番良いということです。

では、誰が対話をするのか?


 ここからは完全に想像、あったら良いなの仮想的なビジョンなので、大いに色んな方々と対話して実現可能な形を模索したいところです。ぜひ、興味ある方お声掛けください。
 
 上記のような、自殺行為を試みてしまう一歩手前で助けを求める、このままでは辛い、という時に対話の場を設ける…となると、イメージとしてはいのちの電話と救急隊の中間のような要請に応じて対話に向かう組織があったら良さそうかなとまずは考えました。
 メンバーとしては、精神科医、心理士、看護師、ケースワーカー、行政に詳しい役所の方など、多職種で構成されるチームが流動的に要請に応じて対話の場を24時間以内に設けることを目指します。
 この対話のチームに、僧侶や神父など宗教者を交えたらどうなるだろう…?ということも考えていますが、その話はまた別の連載で詳しく触れます。オープンダイアローグの強みは、専門的な精神医療の知識を必要とせず対話の原則を守り、対話を続けることが出来れば誰でも実践できるのが強みです。医療者と患者という権力構造をあえてフラットにするような工夫も随所に散りばめられており、「高度な精神医療の否定」との評価も目にしたことがあるくらいです。とはいっても、なんの指標もなしには出来ないので、現在、日本でのオープンダイアローグの普及や実践の支援を行っている、オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(https://www.opendialogue.jp/

が、トレーニングコースやワークショップを主催しているので、そういったトレーニングを受けた人々で組織をつくるのがクオリティの維持には繋がりそうです。(※2021年度はトレーニングコースの開催は投稿時現在なさそうです。僕も早く受けたい。)


 現行の精神科医が個別対応することが難しいなら、他の誰かがじっくり対話をする場を設けて補い主治医と連携していけば理想的です。高度なカウンセリングスキルや専門知識を持っていながら就職が活躍の場が限られてしまっている臨床心理士の方々がイニシアティブをとって行っていくのも良さそうです。

想定される問題点など

ここで、オープンダイアローグの7つの原則を復習します。

オープンダイアローグの7つの原則
1.immediate help:即時対応
2.Asocial networks perspective:社会的ネットワークの視点を持つ
3.Flexibility and mobility:柔軟性と機動性
4.Responsibility:責任を持つこと
5.Psychological continuity:心理的連続性
6.Tolerance of uncertainty:不確実性に耐える
7.Dialogism:対話主義

 いざ運用を考えてみると、1.即時対応を優先すると、4.責任を持つこと、5.心理的連続性を両立するのはとても難しいことに気づきます。治療チームは必要な支援全体に責任を持って関わる、クライアントをよく知っている同じチームが、最初からずっと続けて対応するという原則を守りながら即時にも対応するにはどうしたらいいのでしょうか…。
 フィンランドはどうやっているのだろう。現在、この連載を書きながら、開かれた対話と未来というオープンダイアローグの創始者の方々著書の日本語訳を読んでいるので、後にヒントが見つかったら嬉しいのですが…。

 少なくとも、現行あるような主治医がワントップでいるような構造ではあまり上手くまわらなそうです。ミニマムなチームを複数つくり上手く流動的に動いていくようなモデルに切り替えていくイメージになるでしょうか。

 また、精神科主治医が現在の外来に加えてオープンダイアローグのセッションをもつのは多忙につき難しそうでしょうか?場合によっては、入院や処方の変更なども議題にあがるため精神科医の協力は必須に思えます。
 オープンダイアローグの方が、治療効果が高いことがエビデンスで示されるようになったら潮流が変わるのかもしれません。
 
 ただ、現行の治療の中でも関係者会議、つまり患者だけでなく、地域の役所の職員、家族などのキーパーソンを交えた会議は行われています。こういった関係者会議を患者さんを交えて、オープンダイアローグ形式で行うのが今ある形からの変形としては自然かもしれません。

まとめ

4000字前後を目標にしていたのにもうオーバーしてしまったので、不十分な記述部に関しては今後の連載に譲るとして、今回の記事の要約を行います。

 救急科には精神科疾患を患う方、様々な理由で自殺を試みてしまった方がいらっしゃいます。そんな患者さん方が、その行為に及んでしまうのは、そこまで追い込まれてしまったからに他なりません。
 
 精神科疾患が背景にあるかどうかに関わらず、もし追い込まれた状況を対話によって共有する場があったら、自殺行為には及ばずに未然に防げるかもしれません。

 自殺を未然に防ぐことは、患者さんご本人の人生の絶望を断ち切るだけでなく救急医療の逼迫を防ぐなど医療経済など様々な観点から良いことしかありません。

 したがって、追い込まれてしまった人達が極限まで追い込まれる前に、対話出来るような体制をつくれたら良いなと筆者は考えています。

 課題は多くありますが、実践可能な形に落とし込めるよう、こんなビジョンに興味のある方がいたら一緒にお話しませんか?

では、次回は、守りの対話。
・各地域に駆け込み寺のようなオープンダイアローグの場があったら…
・日常の生活を豊かに守る対話の場としての、畑、寺、カフェ

そんなお話をお送りします。ここまで読んでくださった方ありがとうございました。

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