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権力と「3密」になる意味と記者としての矜持 ~賭けマージャン問題って何なのか~

 信じ難いようなむちゃくちゃな閣議決定で定年延長されて問題になっていた東京高検検事長・黒川弘務氏が、朝日、産経両新聞社の社員、記者らと賭けマージャンに興じていたことを「週刊文春」が報じた。黒川氏は辞表を提出したが、人々の怒りはおさまらず、マスコミと権力の癒着を指摘する声も上がっている。朝日は早々と土下座し、社員を1か月の停職処分にした。産経も謝罪した。だが、この出来事には、おわびや処分では決着がつかない、記者は権力にどう関わるべきかという、ジャーナリズムの根源的な問題を含んでいる。

 1、「特ダネ」のために接待

 同席していた「元記者」とは同僚だった。つい先日まで、私も朝日新聞社に属する記者だったからだ。およそ他人事ではなく、極めて切実な自分事だ。私はマージャンはやらないので黒川氏のような手練れの相手は務まらない。しかし、30年以上前に新聞記者になってから、警察、検察などの捜査幹部や現場の捜査員、地方自治体の職員、中央省庁の官僚、政治家ら、取材相手とどれほど多くの酒席を共にしてきたことか。多くの場合、支払いはこっち持ちだ。社の接待費もなくはないが、自腹も多い。ハイヤーでの送迎もふつうだった。行き帰りの車内は貴重な取材の場だ。なぜそこまでするかと言われれば、情報を得るためである。記者会見や役所のオフィスではなかなか聞き出せないが、酒席では若干、口の締まりも緩くなる。いや、そう思いたい。酒場に引っ張り出せなければ、夜、酒を手土産に自宅を訪ねる。情報を握る人々から、あの手この手で聞き出そうと試みる。私のように「事件畑」より「遊軍畑」が長い記者でも、そういうものだ。

 賭けマージャンは違法である。賭博罪である。公務員への酒食の接待も、捜査機関がその気になれば贈賄罪に問われかねない。記者が取材でそれらの罪に問われたことは聞かないが、厳密に言えば抵触すれすれであることは知っている。しかしながら、私はこう断言できる。もし仮に、そこそこマージャンがうてる腕前があって、話題の検事長の雀卓に招かれたなら、間違いなく参戦していたであろう、と。なぜなら、情報がほしいからだ。特ダネをものにしたいからだ。知られざる事実を読者に伝えたいからである。卓を囲みながら、あるいは対戦の後でも、「検事長、いろいろたいへんですね」てな感じで話を向け、「そうなんだよ、聞いてくれる? 実はさ、定年延長はさ、官邸がさ、カクカクシカジカ・・・」なんて話でも聞き出せたなら、もう幸運この上ない。気取られないように心の中で歓喜を叫ぶだろう。

 もちろん、そう簡単にうまい話にはありつけない。何十回マージャンやっても酒を飲んでも空振りの方がはるかに多いし、感触ぐらいがとれれば、いい方だ。それでも百回に一回でも何かが聞けそうな可能性があるのならば、いや千回同席しても聞けないかも知れないと思っていても、それでも記者はその場所へ行くのである。なぜと問われれば「記者だから」としか言いようがない。もちろん私もそうだった。

 2、権力と「懇ろ」に

 そして、ここが重要だが、新聞社も通信社もテレビ局も、記者たちにそれを求めてきたのだ。権力と親密になり、重要事項を聞き出せる関係を築きなさい、と。「取材相手に信用してもらう」と言えば聞こえはいいが、要するに「懇ろになる」ことだ。懇ろになって、記者会見では聞けないこと、他社の記者が聞き出せない極秘の情報を聞き出すのだ、と。入社したばかりの20代のころ、先輩記者から「ケツを貸すつもりで取材しろ」と言われた。男でさえそんなこと言われるのだから、若き女性記者たちがどれぐらいの性的侮辱を上司先輩から被っただろうか。それほどまでにマスコミという会社組織は「権力と懇ろになる」ことを、われわれ記者に要求してきたのだ。

 文春報道の後、朝日新聞社が出したコメントにこうあった。

 「新型コロナ感染防止の緊急事態宣言中だったこととあわせて社員の行動として極めて不適切であり、皆さまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを重ねておわびします(中略)社内規定に照らして適切に対応します。また、その結果を今後の社員教育に生かしてまいります。」

 改めて読み返し、天を仰ぎたくなる。今回、記者たちがやったような「3密」こそ、長年にわたって、カイシャが記者たちに奨励し続けてきたことではなかったか。「密室」で、「密会」し、特ダネ提供の「密約」でも交わせれば言うことはない。感染症予防のため「密集」「密閉」「密接」は避けなければならない時期だが、渦中の人物に接触するのは今しかない。記者はこれまでそうしてきたし、実際、一部始終を暴露した週刊文春の記事も記者たちの行動については批判一色ではなかった。また、産経新聞社がはじめに文春に回答した「取材に関することにはお答えしておりません」は、私には共感できるものだった。取材源秘匿の意味からも個々の記者の取材の中身など公にすべきではない。

 念のため書いておきたいが、今の政権を擁護するつもりなど毛頭ない。あの政権の最大の愚行は沖縄・辺野古の米軍基地建設強行だが、一連のコロナ対策で愚策の濫造も極まった感がある。中でも黒川検事長の定年延長を決めた閣議決定の異常さはもはや末期的だ。国民をとことん舐め切って、増長した挙句の暴走に違いない。「忍耐強い」日本国民もさすがに堪忍袋の緒が切れたのは当然だし、賭けマージャンが致命傷になって政権崩壊につながればいいと願ってやまない。

 3、記者に問うべきもの

 世情を見渡せば、黒川氏への非難、政権への憤り、そして雀卓を囲んだ記者たちへの不信感がみなぎっている。

 女優の大竹しのぶさんのSNSには、こう書いてあった。「検察官という法を犯した人を起訴できる唯一の仕事であるはずなのに、その人がかけ麻雀をしていたなんて、しかも事実を伝えるべき仕事の新聞記者と」。もっとも過ぎるぐらいもっともな意見だ。

 さらに「自粛を守り、たくさんの人が苦しい思いをしています。長い間守ってきたお店を閉めた人、面会することも許されず、病院で亡くなった方もいることでしょう。先が見えずに命を絶ってしまった方もいました。犯罪に走った人も。そして命をかけて働いている医療従事者の方たち。明日からどうやって生きていけばいいのか、途方に暮れている人たち。そんな人がいる中で、なぜ麻雀ができるのだろう。わからない。怒りを通り越して、恐ろしいと思いました」。

 そしてこう続く。「本当の言葉で本当の事を教えてくれる人に早く会いたい」

 これほど胸に突き刺さり、心にしみる言葉はない。黒川検事長の定年延長に絡む検察庁法改正案報道で、最大の功績は言うまでもなく「週刊文春」にある。「本当の事」を隅々まで暴き立て、国民的な憤怒を巻き起こしたのだから。権力を追及し、時にその喉元に匕首を突き付けるのがジャーナリズムの役割だ。さらに言えば、その貴重な功労者は、文春に密告したとされる「産経新聞関係者」である。記事からは、この「関係者」が記者であるかはわからぬが、これまでの感覚で言うならば、秘匿すべき身内の取材源を、こともあろうに他メディアに売り渡した裏切り者である。しかし、その行為のおかげで「文春砲」は炸裂し、政権の支持率は急落した。産経関係者は内部告発者、公益通報者になり、一方で、これまで当たり前だった、新聞社など大手メディアの記者の取材のあり方そのもの、「権力との関係」が根底から揺さぶられているのだ。

 記者に一番問うべきものは何か、と言えば、「何をどのように報道するか」に尽きるだろう。むろんそのために何やっても許されるわけではないが、誤解を恐れずに言えば、品行方正や規範順守は二の次である。今回の例で言えば、3人の記者たちはマージャン大会で得た情報を今後どのように生かし、何をどう報じていくのか。それこそが彼らに課せられた責務であり、使命である。記者の中には、単に権力と懇ろになって、お仲間になって、相手様のご機嫌に合わせて、書くべきこともネグるような連中もいる。記者が捜査機関に「親密」になり過ぎることで、事件報道に偏りが生じ、人権問題を指摘されてきたこともまぎれもない事実だ。しかし、権力といかに「密接」につきあっていても、報道においては一線を画し、書くべきことは書く、書くべきでないことは書かないという矜持を貫く記者も決して少なくはない。その姿勢は「社内規定」や「社員教育」などよりも、一人ひとりの記者の志と覚悟によって実現されるものだ。

 今の時代にこそ「記者としての矜持」が求められている。ただ権力側に気に入られたいというのでは、もとより取材者には値しない。そして賭けマージャン事件によって、これまで以上にその姿勢が問われ、厳しく評価されるようになったのは間違いない。

 3人が何か聞けたのか、何も聞けなかったかは知らないが、今回のことをこれからの取材に生かし、大竹しのぶさんの言う「本当の事」を伝える報道につなげようとするのであれば、いつの日か、「意味のあるマージャンだった」と人々を納得させられるかも知れない。それは来週かも知れないし、来年かも知れないし、5年先、10年先、30年先・・・かも知れない。同業の言い訳に聞こえるだろうが、取材の結果を出すには、それだけ時間がかかることもある。結局は何も出せないかも知れない。

 それでも、改めて言う。黒川氏と会ったことはないが、もしも今日、黒川氏から電話があって「今夜、どっかで一杯やらない?」なんて誘われたら、迷うことなく「はいっ、飲みましょう!」と言うだろう。それを週刊誌にかぎつけられて突撃取材を受けたら、動じることなく「取材に関することにはお答えしておりません」と答え、できればその時には「批判するなら、おれの書く記事を読んでからにしてくれ」と言い返したいものだ。それぐらいの矜持は持ち続けなければ、と思う。

川端 俊一(かわばた しゅんいち) 元新聞記者

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