モールと公共性
その豊富なコンテンツと豊かな空間で、世界中から人が訪れるバンコクのモール。その建築(群)は同時に、ジェントリフィケーションの象徴としても語られる。
さて、モールは公共空間たり得るのだろうか。そもそも公共空間とはなんだろうか。
モールの空間
今も超巨大モールの新築が続くバンコク。その空間性は、日本のそれとは比べものにならないくらい多様かつ洗練されている。
まず印象的なのは、自由奔放な吹き抜け空間。地震がなく防火規制のゆるいタイだからこそ可能な空間かもしれない。
Central Embassyでは、フィレットされた吹き抜け空間が天窓まで続き、ICONSIAMでは、東西ふたつの大吹き抜けが建築の方向性をつくりつつ、小中の吹き抜けが環状の動線に沿ってあちこちで連続する。
Terminal21では、駅直結の大吹き抜けをエスカレーターが貫き、Terminal感を演出する仕掛けに吹き抜けが使われている。
さらに印象的なのは、屋外・半屋外空間の使われ方。
日本でもよく見られる屋上緑化に留まらず、中間層も半屋外でぶち抜かれる。
EM QUARTIER。僕が最も建築空間が好きなモールだ。エスカレーターを上ると、屋外空間に囲まれた大吹き抜けが現れる。その屋外空間は高低差をつけながらブリッジで隣棟とつながり、内部空間を取り巻くその場所からはPhrom Phongの街を望む。
BTS Train側を望むスターバックスは、屋内席と屋外席が植栽と高低差で仕切られている。そのため監視されている感じがあまりなく、オーダーしない人も屋外席を利用している。
2023年12月にオープンしたばかりのEmsphere。中層のやたらと大きいEmpty space (Event space)には疑問が残るが、そのシンプルな空間構成と粗い仕上げは興味深い。
ブルータルと言ってもよいその仕上げと配色は、BTSやARL駅、Svarnabhumi Airportなどインフラ空間に通じるものがある。大ざっぱで無駄が多い、しかし、だからこそ余裕があり自由がある空間構成にも、似たものを感じる。
モールでありながら、この建築は単純安価な「タイ・ブルータリズム」を意識的にデザインしたようにも見える。ラグジュアリーのさらに次世代の、バンコクのデザインの可能性を見た気がする。
モールが街を変える
しかしバンコクのモールで面白いのは、建築自体というより都市空間におけるはたらきである。
Siam/Chit Lom駅周辺のCentral Worldを中心としたモール街、Phrom Phong駅周辺のEMDISTRICTなど、バンコク各地でSkywalkが見られる。BTSと連携することで、駅から「他の世界を経験することなく」モール同士をアクセスできる。
その通路は、モールの階高に合わせてアップダウンする。そして駅やモールを越えるとそのアクセスは絶たれる。Siam駅のSkywalkは、モールの中を通らないと駅を通り過ぎられない計画になっている。
これら地区の2階レベルは、モールのための空間といっても過言ではない。
モールもその都市空間と呼応するように、その多くで2階レベルがMAIN FLOORと名付けられる。そのため、3階が1st Floorになるという奇妙な現象が起こる。
その都市空間はすなわち、もはや人びとが地上に注目しないよう促す。クレイジーな交通、物乞い、ストリートヴェンダー、ショップハウスの店舗、、、そうした従来の都市構造を隠すようにSkywalkは走る。
EM DISTRICTの巧妙な戦略は、地上レベルにも及ぶ。モールに囲まれたEM QUARTIERの広場から駅の方向を見ると、歩道や車道、その通行車(者)が全く見えないように計画されている。見えるのは向かいの系列モール・EMPORIUMのDiorの広告のみである。
モールが建つと、当然地価は上がる。そのあおりとブランド戦略などが絡み合い、もちろんInformal Settlementを建てることもかなわなくなる。
そもそもこの広大な土地も、市街地を更地にしてつくられた。いわゆるジェントリフィケーションという現象が、目に見える形で進行している。
モールは何をもたらすのか
バンコクでバイクタクシー(バイタク、現地の人はWinとかモーサイとかいう)に乗っていたある日、運ちゃんが「俺はあそこで働いてるんだ」、そう言った。そこはSIAM PARAGON。言わずと知れたバンコクの超ラグジュアリーモールの筆頭格だ。
彼は昼間そこの物販で働き、夜はGrabでバイタクをして稼いでいるらしい。
失礼ながら、少し驚いてしまった。バイタクの仕事とモールの世界は、関わることがないと偏見していたから。
しかし、である。思えば日本でも、僕ら貧しい学生でもデパートや高級ホテルでバイトをすることがある。ラグジュアリーの都市空間が、ローカルに仕事をもたらす。それは何もタイに限ったことではない。
けれどもタイでは、その格差が途轍もなく大きく、さらにその様がより視覚化されている。
バンコク郊外の超巨大モール群・Future Park。巨大スーパーがあり、ちょうどタマサート大とバンコクの間に位置しているため、僕ら学生もよく利用していた場所だ。
この近辺でも、ホテルなど付属ファシリティの建設が為されている。郊外版のジェントリフィケーションと言ってもよい。
しかし、確実にその効果によって生計を立てているローカルの方々がいる。
バイタクの運ちゃん、気前のいい屋台のオヤジ、誰を待ってるのか分からん物売り。それら全ての人が、モールによってチャンスを得て、お金を稼いでいる。
ときにUnofficialな営みが、柔軟かつ強かにOfficialを取り巻いている。
そのUnofficialにも、Official化の波が迫っているのが、昨今のバンコクである。
上2枚目の写真。道路左側、トゥクトゥクは客待ちの場所が決められ、行儀よく停車している。お金を出せる運転手のみが客待ちの権利を得て、その取引はOfficialだったり、依然Unofficialだったりする。
道路右側、Central Worldの広場前では、手摺が設けられ、もはや客待ちが制度的にも空間的にも許されない。
上述のバイタクも、ベトナムのように道すがら声を掛けてくる感じではなく、ちゃんとバイタクステーションがあってそこに待機している。Official/Unofficial関係なく、システムはかなり統制されてきている。
EMQUARTIERのGround Floor、広場では度々マーケットが行われる。徹底的に管理されたその場所に、Unofficialが入り込む余地はない。
だから全くローカルに貢献していないのか、といえばそうではなくて、案外近くに住む物売りさんが店を出していたりする。
そもそも遊牧的に仕事をする人も多いから、「ローカル」の意義や定義すら危ういものになってくる。
格差の幅がとんでもなく大きく、しかもそれが街に混在する形で併存しているバンコク。そんな場所で「全員平等、全員幸せ」というのはもはや不可能な気もする。建築や制度ができた時点で、そこは限定された誰かのための空間になり、誰かは排斥される。
そんな歪みを和らげてきた要因の一つは、タイの温和な国民性と、過度にシステム化されないことによる柔軟性、そしてUnofficialityであるように思う。
モールの建設は、ジェントリフィケーションの一つの要因に過ぎない。
本当にジェントリフィケーションが進むのは、街がUnofficialを許容する柔軟性を失った瞬間であるように思う。
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