見出し画像

21歳が留学で気づいた5つのこと【留学で人生は変わるのか?】

今日(2023年3月2日)で

海外(主に、ベトナム)にいて通算100日が経ちました。

2022年10月に大学を休学をして、
11月からベトナムで生活して 3ヶ月
今月からベトナムの大学での授業がスタートして 1ヶ月
が経ちました。

※僕の海外生活の様子アップしたTwitterはこちらです↓

https://twitter.com/abcdejuJjtpgdt/status/1631268709611474949


これまで、日本人・外国人含めて色んな人と出会い、
タイ・カンボジア・マレーシアとか色んな場所を見てきて、


初めて海外に行く時の空港
全てはここから始まった


日本にから留学した、イチ学生として
アホなりにも色々気づき、感じることがありました。

なので、今日はここでちょこちょこと書きたいと思います。

特に学生で、

海外行こうか迷ってる人
海外行こうか迷ってない人
今の生活になんかモヤモヤしてる人

とりあえず、読んでほしいです。


①肩書のない自分

海外に行って1番の気づきはこれかなと思う。
どれも大きな気づきではあるけど、1番を決めるとしたらこれ。
なんとなく、高校卒業したから、それが普通やからと思って
大学に入った自分やからこその気づき。




肩書。

自分のことを聞かれたらなんて答えるか?

初対面の人と会って、自分のことを聞かれたら、

「金沢大学の西川駿です」

とかそういう感じで答えると思う。
「〇〇大学」とか「□□専門学校」とか「△△高校」とか。

でも、海外に行くとこの肩書が一気に外れる。

海外におる人からしたら、自分が大学生とか正直全く気にしていないような感じがした。
一個人として、1人の人間として見られてる感じがした。


よく、海外で初対面の人と会って聞かれるのが、

「君は将来何がしたいの?」


「君はなにができるの?」


ていう質問。

正直聞かれたら、もの凄く困る。

あんまりちゃんと考えたこと無いし
そもそもこれまであんまり聞かれたことがない。

だから、答えに慣れてない。

日本では、「金沢大学の西川駿です」といえば、

「この子は学校で何かしら授業を取っていて、
卒業したら企業なり公務員なり何かしら仕事につくんやろうな」

ということを言わずともなんとなく理解してくれる。
「学生」という言葉が、何となく説明してくれるし、
自分も自動的に学生として自覚して、それらしい行動を取るようになる。

学校に行って授業に出て単位をとり、なんとか4年でストレートに卒業できるように、なんとか卒業時期に照準をあわせて就職先を見つける。

でも、外の世界はそうじゃない。

社会に出れば、海外に出れば、
自分がストレート(4年)で卒業してようが、留年してようが、
何の学部を出てようが関係ない。

1人の人間として、

「何ができるのか」

「何をやりたいのか」


そこを求められてる。そのことに気がついた。

だからこそ、自分は何がしたいのか?

もっと向き合う必要があるし、もっと自分の力で

社会で生きていけるための力

なんて表現するのがいいか迷うけど、

生命力

みたいなのをつけないといけないと思った。

学生っていう肩書は、
何かを守ってくれてるようで、なんにも守ってくれていない。


「君には、何ができるの?」


この問いとの戦い。これからも厳しいものになると思う。


②不平等はある

これはもう、海外行った人のめちゃくちゃベタな感想って感じがして、
書くのは嫌やけど、これを無視して通れないくらい感じてることやから
書きます。

海外にいると、日本では見れない・見えない、格差が顕著に見える。
格差というか不平等。

カンボジアでレストランで食事してたら、
小さい子供が席にやってきて、「お金くれ」と両手を差し出してくる。
しかも、1人じゃない、複数人。
たまに子供でもない、おばあちゃんがお金をせがんでくるときもある。

それを初めて見た時は衝撃やった。


こんな小さい子がこんなことせなあかんの?


今日はご飯食べたん?


親はなにしてんの?


考えられへん。


ベトナムの道端で、
5〜6歳くらいの子供が自分よりも小さい赤ちゃんを抱えて、座りこんでいる。時間は深夜。

その子の前には、汚い帽子が裏返されておいてあって、
申し訳程度のお金が入ってる。

理由はなんとなく察せる。
子どもたちの大変そうな様子を見て、
心優しい人が、その帽子にお金を入れてくれたんやろう。

それを見た時は、また、衝撃があった。

家は?親は?どこなん?


危ないで。

虫刺されるで。


 …頭がこんがらがる。

日本にいたら普通無いような光景が、
海外に行けば当たり前のようの光景として存在してる。

日本でもあるかもしれないけど、自分の目で見えなかった。
というか、見えにくかった。
でも、外国ではそれが明らかに見えた。見ないことはできなかった。

それだけじゃない。

ベトナム人のアルバイトの時給。

日本円にして、1時間約150円。

これにもびっくりした。

日本で働いたら最低でも1時間800円以上はあると思う。


え、めちゃくちゃ少なくない?

でも、ベトナムではこれが当たり前。
みんなこの条件を受け入れて、働いてる。ちょっとでも旅行行こうと思ったら、どんだけ働かなあかんのか。

かといって、この時給に対する埋め合わせとかはまったくない。
物価が安いとは言え、世界ではみんなと同じ土俵に立たされる。

「時給150円やから、飛行機代は、バス代は半額割引ね」

とかはないし、

「特別にうちの会社に採用してあげる」

とかそんなんもない。
時給150円で、10時間で稼いだ1500円も
時給1000円で、1時間半で稼いだ1500円も同じ。

生まれた国が違うだけで、こんなにも差があるもんかと思った。
しかも、それは努力とか個人の頑張りじゃ正直どうにもならない。

時給の話だけじゃない。
外国のビザを取るにも一苦労。衛生環境。学校の数。

これを知ったときに、


不平等はある


と思った。


正直ショックやった。
無いと思ってたかったけど、完全に存在してる。



③恵まれていた自分

だからこそ、自分は恵まれてる方なんやと理解できた。

前の部分ともつながるけど、

あんな状況の子どもたち

そんな国の状況

がある中で、

今まで何不自由なく生活できて、大学にも行かせてもらえてることは当たり前じゃないんやとわかった。

日本という先進国に生まれて、いい治安、衛生状態、整ったサービスの中で暮らせてたことはなにも当たり前じゃないとわかった。

日本に生まれてるだけでもうめちゃくちゃ運が良かった
としか言いようが無いと思う。

学校に行けることは、当たり前じゃない。
勉強するということがめちゃくちゃ贅沢なことで、知識というものが
いかに貴重なものかとかをめちゃくちゃ感じるようになった。


バスのりばまで案内してくれたご夫婦
いつか再開してお礼を言いたい


④外国人すげえ

海外の人のエネルギーというか意欲というか
そういうものに圧倒されることが多くあった。

まず、学びの意欲がすごい。

自分は、ホーチミンの大学でベトナム語を勉強するコースにいる。
そこには、中国人や韓国人、マレーシア、メキシコ人とか
年齢もバラバラで、みんなベトナム語を勉強してる。

まず、みんな英語ペラペラ。
誰一人として、英語が母国語の人はいない。
なのに、みんなネイティブみたいなスピード感で会話してる。

「めちゃくちゃ喋れるやんけ。」

来た当初はホンマに焦った。

しかも、英語だけじゃない。
3言語、4言語、なかには6言語喋れる人もおった。

そんな中で、ベトナム語という、発音のえげつない言語に手を出している。
学びの意欲が半端やない。

自分は英語も喋れず、ベトナム語も当然ついていけるわけではないので、
毎回ついていけない。



同年代のベトナム人の友達で、日本食レストランでバイトをしている人が何んかいる。

その人達に、「将来なにやりたいん?」と聞くとみんな、

「自分のお店を出したい」

と答えていた。
自分の中では、その答えがなにか新鮮な感じがした。
どこまで本気なんかはわからんけど、なんか目標に向かって努力するしてる途中なんやと思うと、

なにかすごい、エネルギー的なものを感じたような気がした。

あと、ベトナムに長く暮らす日本人の方から、
若い人たちは、起業したりお店開いたりしたい人が多いという印象がある
と聞いたことがあった。


実際に友達に話を聞くと、
おそらく、みんあみんなお金とか将来とか対してものすごくシビア見てるような気がした。「日本人がお金に対してシビアじゃない」とかそういうことではない。

そもそも、自分も貧乏学生やから「ほしいもん買われへん」とか「やっすいパンしか食われへん」とかある。

けど、海外の人からしたらお金の問題なんて、多分そんな生易しいもんじゃないんやと思う。

だからこそ、自分の目指す将来に見合った行動を取るし、お金とか就職先とかに対してもものすごくシビアに考える。

だから、みんな必死に勉強する。
同年代で大学に行ってる人は、みんな英語めちゃくちゃ喋れる。
働いてる人は将来自分で会社を経営したり、自分のレストランを開くために努力してる。

同年代じゃなくても、新たなビジネスチャンスを見つけるために、
ベトナムに来て、必死にベトナム語を勉強してる人がいたりする。

世界にはこんなにすごい人たちがゴロゴロいるんやとわかった。
そして、そんな世界で戦わないとあかんやと実感する。




⑤やりたいことだらけ

海外に行って、いろんな気づきを得た自分には、
今やりたいことがたくさんある。

書き出したら多分きりないと思う。

今、きりがないほど出てくるけど、
日本におったら一個も思いつかんかったと思う。

正直やりたいことは今まであったんやろうけど、自分の中で無意識にストップをかけていた。

それが今、大学生という肩書をあんまり意識しなくなり、恵まれた環境にいることがわかって、めちゃくちゃ意識するようになった。

また、海外で色んな人に会って、いろんな人の働き方、人生に触れたっていうのもでかい。

海外にいる人は、めちゃくちゃおもろい人生を生きてる人がたくさんおる。

「そういう生き方もありなんや」

と思えるような生き方の選択肢もたくさん知れた。

とにかく、今徐々にいろんなしがらみから開放されつつあって、
やりたいことがたくさん出てきた。



【結論】留学に行けば人生変わるのか?


カンボジア・トンレサップ湖でみた人生で一番の夕日

1月、日本に一時帰国して久々にあった友達からこんなことを聞かれた。


「海外行ったら、変わる?」


(「変わる」っていうのは、視野とか価値観とかそういういろんなもん含めてやと思う。)

その時は、

「んー、どうなんやろう。まぁ変わるんちゃう?」

的な曖昧な答えしか返せなかったような気がする。
今、改めて考えてみてその質問に答えるとしたら、


「日本でも変わる。」


これまで挙げた自分の気づきとかは、ぶっちゃけ日本にいても発見することはできたと思う。

日本にいても、自分の大学生活について考え直せたやろうし、自分が気づけてなかった不平等を見つけるができたやろうし、いろんな生き方の選択肢にも触れることはできたやろうし。

ただ、海外に行くと


周りの環境がかんっっっぜんに変わって、

関わる人が変わって、

いろんなしがらみから外れて、

自分の状況とか、環境とかが比較的見やすくなって、

普段気づけ無いことに気づきやすくなったと思う。

自分のケースでいうと、確実に視野とか考え方とかものの見方は確実に変わったと言える。自分の人生に確実に変化があるし、海外に行ってホンマに良かったと思う。

だから、もし迷ってる人がいたら
試しに1回行ってみるのがいいかもしれません。


別に長期留学じゃなくてもいいし、短期旅行でもいいと思います。


ベトナムじゃなくても、東南アジアじゃなくても、アメリカでも、アフリカでもヨーロッパでもどこでもいいと思います。


とにかく、何かしら思うこととか感じることは少なからずあると思う。
それは、自分の見てた世界とぜんぜん違うっていうことがいっぱいある。

「海外最高」

て思うこともあるやろうし、

逆に、

「海外全然おもんない」

みたいなこともあると思います。

「やっぱ日本しかない」


とか思うこともあるかも知れないし、


「日本で〇〇をやりたい!」


みたいなことあるかもしれません。

そうなってくると、別に、海外に行いかなくてもよくて、
環境が変わればいいと思います。


もし、学生の方で、
今の生活に満足していない人がいたら、環境を少し変化させてみてください


それをするのに、1番手っ取り早いのが、海外なのかもしれません。

こんなイキって書てる自分もまだまだ海外初心者で、
まだまだ知らないこともたくさんあります。

これからも
今までとはちがう環境で起こる気づきや変化を大切にしようと思います。

ーーーーーーーーーーーーー

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?