見出し画像

酒と本の日々:「ドキュメント 戦争広告代理店  情報操作とボスニア紛争」高木徹著

2022年3月26日 記

ゼレンスキーの国会議員会議室でのリモート講演が話題になっているが、僕があれを「スタンディング・マスターベーション」などと茶化すものだから、良い気持ちのしなかった人も多いだろう。
https://www.facebook.com/shunsuke.takagi.79/posts/pfbid02k2TrEJrbDCGZpbfhQnGmEUha7mxLGN1nndXTo5wW1dnd21QDScLC1cHRdwSemY5Yl

(僕のあの記事に絡んでくる人がいないのは、「出過ぎた杭は打たれない」のたぐいか、よっぽどバカはほっとけと思われたか・・・)

だけど僕にとっては、あれは、製薬企業が新しい向精神薬をストレスフルな現代社会に生きる人々への福音のように語る、お馴染みのあのセールストークと同列の巧妙につくられたものにしか見えないのだ。そしてそのことは、今、この世界を動かしている大きな出来事のすべて、コロナ禍からこのウクライナ戦争にまでつながっている。

陰謀論的な話がしたいのではない。あらゆるものをマーケティングしつくしていく資本の欲望と、ネット上のあらゆる私たちの行動から「行動余剰」として情報を吸い取り、その情報にあわせたオーダーメイドの情報をまるで真実であるかのように私たちに返してくる現代の監視資本主義のメカニズムの合体がつくりだした、私たちの生の様相そのものをとらえたいたいのだ。

(監視資本主義についてはズボフの本の紹介。https://note.com/shun20681723/n/n1444d79c2c4f

それは戦争がいいとか悪いとか、どの立場にたってコミットするのだとか、そんなことを言っている間にウクライナの民衆が虐殺されているのだぞ、それを黙って見過ごすのかとか、そんなイヤでもどこかで自分の意志決定せざるをえない現実とは別のレイヤーにある、もうひとつの現実のことだ。

90年代に起きたボスニア紛争でボスニア・ヘルツェゴビナが如何に情報戦を制することで勝利を得たか、それがアメリカのPR会社の精緻で見事な情報操作=広告戦略のおかげであったかということを、高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店  情報操作とボスニア紛争」(講談社;2002)が教えてくれる。そして、ここに描かれた戦略、国家間の情報操作が実はマーケティングを駆使した広告戦略であるということは、それから30年たってインターネットとSNSで情報の流れがさらに素早く、広範に、そして個々人のもとに直接に届けられ、個人がそれに参加(実は行動余剰を資本に搾取されているだけなのだが)できるようになった今この時には、さらに磨き上げられた戦略となっていることは言うまでもない。

まだバルカン半島の民族紛争が泥沼化していなかったクロアチアの独立の時に、アメリカのルーダー・フィン社というPR会社はクロアチア国家と契約することで、戦争広告という手法の基礎をつくりあげていた。それは世界世論をどう味方につけるかということが現代の戦争の勝敗を決めるという、あらたなクラウゼッツの思想となった。グローバル世界では世界の片隅に忘れられた存在であったボスニア・ヘルツェゴビナは、国を挙げてこの情報戦を利用することを決定する。

そのために西欧世界に派遣されたハリス・シライジッチ外務大臣は、そのフィン社の辣腕社員、ジム・ハーフに出会う。ハーフは、シライジッチが広告業界にとってうってつけの人物であることを見抜く。アランドロンばりの美貌、落ち着いた話し声、大学教授としてのキャリアをもつ博識、そして政治家としてのナルシシズム。ハーフは彼をボスニアの広告塔として、徹底的に鍛え上げる。如何にしてメディアの好感を得るか、如何にしてメディアの枠内で効果的な弁舌をふるうか、どのように各国の国民に受け入れられる話題を選びどのように相手の感情に訴えるか、相手の国民に受け入れられるためのマナー。これらの個々のエピソードは圧倒的に興味深い。こうしてPR会社によって作り上げられたプリンスとしての外務大臣は、次々と西欧諸国のメディアをとりこにしていく。

そしてもっとも驚くのは、「民族浄化(Ethinic Cleansing)」という言葉が、フィン社のハーフというPRマンによって「選ばれ」広められることで、セルビアの「悪魔化」が決定的となり、その言葉が西欧の世論を高揚させることでNATOがセルビアの空爆に踏み切らざるを得なくなったということである。その言葉が選ばれるにいたる精緻な企画についても書かれている。そこからは本書にあたってもらいたい。

これを読むと、一介のお笑い芸人であったゼレンスキー(こう言うとまたどっかから叱られそうだ)が、これまでの右派的言動もすべてご破算にしてもらって、西欧世界から英雄、賢人、愛国の闘士として讃えられるほどに、一夜にして変貌をとげ、そしてまさしくそのように振る舞っている、それどころか、世界各国の実情に通じ、その国の人々の情感に見事に訴えることができる誠実な人物であるのも不思議ではない。すでに、着々と用意されていたはずなのだ。

どこにその証拠があるのかと言われそうだ。しかし、これはこの戦争が終わった後にしか決して表に出てこない、この世界のひとつの、しかし堅固なレイヤーに属することだ。このような世界で、僕らはある種のニヒリズム、シニカルさを持ち続けることが必要だと思う。

戦争は、生真面目な人々が起こす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?